154.HAHO

 9分前。

「人間は、探し物をするとき、足元ばかりを探す……」

 フォーハードは輸送機の中、強風を飲み込む後部ハッチ前に立って、雲下にのぞける、34000フィート(1万メートル)下で七角形をかたどるセントデルタを見下ろしていた(七角形の街なのにデルタ[三角形]と名付けられるのは、街の形が三角形なのではなく、500年前の当時、放射線に侵されなかった地帯がデルタ状だったからである。厳密には、この街自体には名前はない)。

 今のフォーハードの姿は、ガスマスクに似た密閉型酸素マスクで顔を覆っており、ポリプロピレン製のインナーを着込んだ上に、厚手の軍服をまとったものだった。

 ただし、準備を急いだためか、手袋とブーツはグレーの軍服と揃った物ではなく、濃紺色のスキー用の物だった。

「マスター……高高度22000フィートに達して45分が経過しました。体調は? 減圧症や酸素中毒の気配はありませんね?」

 コックピットで操縦そうじゅうを預かるラストマンから、確認の句が、フォーハードのヘッドセットへ飛び込んだ。

「ないな。これも、お前達がこの装備の用意をしてくれたおかげだ」

 フォーハードはねぎらいの言葉をかけた。

 ――このへんは、さすが機械だ。これが人間だったなら、ここぞとばかりに、穴の開くマスクでも用意して俺の暗殺を試みるんだろうが、そのへんを考慮こうりょしなくて良いってのは嬉しいものだよ。

 ――自分のいた種じゃあるが、もはや俺は、生物と協力関係になるってことは、一生許されないんだ。

 フォーハードはラストマンとの会話を止めて、小さくそう思案した。

「……ではマスター、作戦を読み上げます。あなたはこれから、未経験の状態のまま、高高度落下高高度開傘かいさんという方法をもって、超弦の子への接近を試みます。いわゆるHAHOヘイホー降下作戦です。

 これに必要な技量は特に要求されませんが、普通の兵士なら、高所から飛び降りる恐怖に慣れるため、何度も訓練をおこなう内容のものです。

 それを、あなたは机上きじょうの知識ひとつでおこなうのです。これは、泳いだことのない人物に、水泳の動画を一度見せた後、水に叩き落すような行為です。

 パラシュートは自動的に開きますから、そこは心配ありませんが、問題はその後です。

 セントデルタの街には今も超流動ヘリウムが満たされていますから、超弦の子の始末を完了したのちは、そのまま彼の立っていたセントデルタに降下することはできません。石畳いしだたみも屋根も、超流動ヘリウムが覆っていますから、とにかく超弦の子の始末を終えた後には、そのMC-4型パラシュートを操って、セントデルタ外まで移動しなくてはなりません。おそらく超弦の子が撒き散らしたヘリウム水は、セントデルタの4キロ四方。ちょうど人間の身長で見渡せる距離です。それよりも、離れる必要があるわけです」

「タンデム降下でも、できたら良かったんだがな」

 フォーハードは隣に立つラストマンを見やった。

 五体はちゃんとしているが、そのラストマンはカメラと演算えんざん装置の故障をしている機体だった。

 ことに遠近感覚がマヒしているので、とてもではないが、落下の補助に使える機体とは言えなかった(それでもこの機体は、ブラジル・カラジャス工場から連れてきたラストマンの中では、一番、故障箇所かしょが少なかった機体である。この輸送機の中には他に、下半身の不随ふずいとなった機体や、配線がいくつも切れているために、たびたび停止と再起動を繰り返すラストマンも乗船していた)。

 このような老朽ろうきゅう機体が輸送機に残っているのは、ほぼ全ての新造ラストマンを、セントデルタに差し向けたからだった。

 そして、わずかに積載せきさい量に余裕のあった場所に、この不備型ラストマンを割り当てて、ここで居残ってフォーハードのサポートをする役目を与えたのである。

 つまり、フォーハードはラストマンでのセントデルタ占拠せんきょは、ある程度はうまくいくだろうと見越していた。

 確かに、住民全ての殺害をおこなって、ファノンの精神を破壊することは難しいと踏んではいたが、それでも、たった1人でもセントデルタ人を捕虜ほりょにできれば、一気にフォーハードはファノンに対して優位に立てたのだから……ここまで完全に失敗するとも、思っていなかったのである。

 とはいえ予備の作戦も用意してあるのは、フォーハードらしいところと言えた。

 セントデルタ人が地下に逃げることは予想していたので、一部のラストマンに、抜け穴を探させていたが、どうやらその進路にゴドラハンが立ちはだかっているという報告を、すでにフォーハードは聞いていた。

「ゴドラハンをどうされますか」

「避難口への侵攻は12体のラストマンで行くんだからな……ゴドラハンに勝てる見込みはないだろうさ。そっちはそれで充分だよ。それより、俺にはリミットがせまっているんだ」

 フォーハードはそう言って、ゴドラハン対策への指示をそこで打ち切った。

 これは完璧主義のフォーハードが、本来なら絶対にしないことだったが、今回のこの選択は仕方のないことだった。

 まもなく、ファノンの力がさらに覚醒かくせいし、あと数分の内に、同じ地球にいるフォーハードの居所をとらえるほどの力になる。

 ──つまり、あと数分の内に、ファノンには『地球から』退場願う必要があるわけだ。

 その状況の中でフォーハードには、これ以上ゴドラハンに思考する時間をくわけにはいかなかったのである。

「作戦開始時間まで、まだ少し時間がありますので、もう一度、確認をします、マスター」

 コックピットのラストマンから、再び通信が飛び込む。

「この作戦はHALOヘイローではなく、HAHOヘイホーにするべきです。

 HALOは標高300メートルほどで開傘かいさんすることを言いますが、HAHOは1500メートル以上での開傘を目指します。アメリカ軍での訓練では8800メートルからの降下ですから、輸送機から飛び降りて15秒には開傘することになります。それが初心者のあなたに、せめて勧めたい作戦ではありましたが、超弦の子が相手となると、そうもいきません。

 天空から巨大なクラゲのようなパラシュートが、自分のそばに落ちてくるような現象は日常的ではないため、すぐに超弦の子は、そのクラゲがあなただとわかるでしょう。

 開傘のリミットは上空1500メートルとします。

 超弦の子の殺害ののち、あなたは超流動ヘリウムのあふれるセントデルタを避け、風に乗って、街からなるべく離れる必要があります。

 HALOのように、たかだか300メートルでは、4キロも離れることは不可能です。

 ですから、マスターの任務は、なるべく早く上空から超弦の子を見つけて始末し、そののち、できるだけ高い位置から開傘してセントデルタ外へ脱出する……というものになります」

「ファノンを見つける前に開傘すれば、逆に俺が見つけられてしまうからな。田舎者ぞろいのセントデルタ人にとって、パラシュートなんて代物しろものは、たいそう珍しいアドバルーンだろうさ。注目の的になるのはまぬがれないな」

「この作戦は乱暴ですが、効果的ではあります。すでに仲間が望遠レンズを用いて、超弦の子を見つけています。姿はどうしてだか見えなくなりましたが、移動はしていないものかと思います。あなたは落下に任せ、射程距離に入れるまで、セントデルタ中央広場へ近づいてから、次元攻撃をおこなえば良いのです。

 超弦の子のほうは、空からの攻撃を考えないでもないでしょうが、やはり注意を払っているのは、路地の陰や通路の向こうや、家壁の死角です。

 人間の遺伝子には、四本足の動物や二本足の同族に、正面や背後から襲われてきた過去が刻まれています。ですから、それに対処するよう、前や横、背中に注意が向くよう、本能が働くのです。上からの攻撃は、人間には盲点です」

「お前の望遠レンズは、たしかにファノンが中央広場に立ってるのが見えたんだな? だったら俺は闇雲やみくもにセントデルタを探さなくて済むな」

「はい。死んだ同志の最後の報告によると、たしかに超弦の子は中央広場に現れたようですから、そのこととも一致いっちします。そこだけはヘリウム水もないようですから、自らの罠を消したくないのでしょう、今もそこから動いた形跡はありません」

「あとは、あいつを俺の次元攻撃の射程に納めるまで降下したら、力をぶつければ良い。あいつみたいに、視野に入っていない相手に攻撃するほどの力が、俺にはないからな」

「……マスター、準備は良いですね? 作戦開始時間が近づきつつあります。予定通り、わたしがあなたの背中を蹴飛けとばし、地上へ叩き落とすということに、変わりなく?」

 隣にいるラストマンが、一歩進み出た。

「自分から飛び降りる勇気は、かないからな……ぜひ頼むよ」

 フォーハードは鏡面きょうめん仕様のマスクに包まれる顔を、ラストマンに向けた。

 マスク下のフォーハードの顔は青ざめていたが、ラストマンの方はそれに気づきながら、おもんぱかるそぶりは見せなかった。

「マスター……超弦の子には、どのような攻撃を仕掛けるご予定で?」

「ファノンにワープの術をかけて、太陽の真ん中に送りつける」

「太陽に、ですか?」

「そうだ。あいつを視認しにんしだい、俺は全てのエネルギーを叩き込むつもりだ。俺にできるのは、あいつを太陽の中心に飛ばして、100億度の海に沈めることぐらいだ。俺達の住む銀河は数千億の恒星を内包する。そんな銀河があと2兆個存在するが、それを一瞬で葬りされる相手に対して、俺の力はあまりに無力だ……
しかし俺が勝利を手にするには、これで充分だろう」

「マスター……以前、ロゴーデンという男を殺した時、あなたはロゴーデンの心臓の一部分のみをワープさせることで、彼を殺害しました。わざわざ太陽にワープさせずとも、超弦の子の心臓だけを抜き去れば良いのでは?」

「ああ……俺だって、それをしたいさ。だけど、あいつにはもう、俺の小さなエネルギーは通じないほど、強いバリアを張るようになったんだ。

 たとえば固く閉ざされたびんのフタを開けるとき、お前ならどうする? フタは生半可なまはんかな力では開かないなら、中途半端な力は込められない。俺の未来をつかむには、あいつに全力のエネルギーを叩き込まないと、通じないところにまで来ているんだよ」

「……マスター、なぜ、そんなに楽しそうなのですか?」

 マスクの中で含み笑いをしたフォーハードを怪訝けげんに思ったのだろう、ラストマンがたずねた。

「思い出し笑いさ。前世のファノンが言ってたんだ。あいつの心のボスってのは、世界で最初にHALO降下作戦をしたそうだ。それなら、俺は世界の最後にHAHOをおこなう人間ってことになると思ったんだよ」

「私のデータベースに、ボスという名前は多すぎるので、よくわからない話です。どのボスですか?」

内輪うちわのことさ。知らなくても、どうでもいいことだよ……さあ、頼むぞ」

 そう告げるとフォーハードは、ラストマンに背を向けて、風の暴れるカーゴドアの隅へ進んでいった――

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