ファノンのこしらえた地下シェルターは結果として、かなり複雑な構造になってしまった。
セントデルタ1万人の住む2800
マンホールの長さが60メートルもあるのは、ラストマンがセントデルタ上部で自爆した時に、耐えられるようにするためである(ラストマンは生物兵器・化学兵器だけでなく、核兵器も
さらに、もしもラストマンがシェルター内部へ侵入した際には、5キロにわたる緊急脱出口を作ってあった。
これは劇場のエントランスのように、人々が一斉に出られるよう、複数の扉が設置されたものだった。
シェルターには酸素の供給も必要なため、通風口を48箇所設けたが、その穴への毒ガス投入を恐れたファノンは、その10倍におよぶ、偽の通風口をセントデルタ外に
偽の通風口は、もともとシェルター内部とつながっていない、たんなる細い穴だった。
また、シェルター内の明かりはというと、人間の目の高さにあわせて、ファノンが壁に大量のロウソクと
「で……ファノン。この変な
数日前のこと、メイはエメラルドで補強された壁からせりでた、
「題名は『おっぱいの大きい女』だったんだけど……女に見えないか? 達筆すぎると逆に読みにくい文字とかあるけど、ついに俺のレベルはそこまでイッたか」
ファノンが自信たっぷりに、そう言い切った所から、どうやら、この彫像は最高のデキだと思い込んでいるらしい。
「イヤ全然……え、女? 人間なのか?」
「俺とフォーハードの戦いで、もしかしたら、お前もみんなも、何日か地下で暮らさないといけなくなるだろ? その時、このエッチぃ像があったら、人は何だか、やる気が出てくるんじゃないかな」
「この……トロけたエメラルド
「大根にニーソをはかせて欲情する漫画なら見たことがあるな。
ともかく、これから始まる世界では、人口も今みたいな少数ではなくなる。1人くらい、この像に発情する奴も出てくるさ。もしかしたら、この作品が伝説になるかもしれないぜ」
「この戦いが終わったら、私の職権を使って、こんなシェルターは埋めるけどな」
「俺のアートを埋めるってのか? 俺の伝説を生き埋めにするとか……それがこのシェルターの功労者にやることか?」
「じゃあ、名前を書いといてやるよ。
発案したバカ:ファノン
作ったバカ:ファノン
とな」
「その
も忘れるなよ」
「この石像の下に
とも書いてやるよ」
「ははっ……一時はどうなるかと思ったけど、やっぱりお前は町長に向いてるよ」
――という風な会話をファノンとしたことを、メイは彫像の前に立ちながら、思い出していた。
周囲ではラストマンを
「メイ……ここにいたの?」
落ち着きのある、低めの女の声が、うしろからかかった。
振り向くと、そこにはモンモがいた。
「有志の人たちが、避難口通路でラストマンを待ち受けようとしたら、ゴドラハンと名乗る人物に、シェルターまで追い返されたそうだよ」
どうする? という意味をこめてモンモが質問した(モンモはゴドラハンのことを、教科書に書いてある『享楽の王』以上には知らないのだ)。
「……決意したんだな、ゴドラハンさんは」
メイはわずかに目線を落としたまま、そうもらした。
ゴドラハンの真意を、モンモの話から、全て汲み取ったのである。
ゴドラハンは命を捨てて、避難口を守ろうとしているのだ。
──ゴドラハンさんを助けようとすることは、私達では、むしろ足手まといになる。
──彼は、死ぬ気だ。
──それなのに、私達は何もできない……。
──ファノンの父親のような存在だってのに、私は何もせずに、彼の
──あの人がラストマンに負けてしまったら、次に死ぬのは私でなくちゃならないな。
メイはそう思うと、強く唇を引きつむった。
「モンモさん……その報告は聞いてます。でも、放っておいて構いません」
「そうなの?」
「エノハ様の統治に乱れが生じたから、享楽の王ゴドラハンは攻めてきたわけです。避難口の扉には、ファノンが作ったカンヌキを入れておくように伝えました。
上でのファノンとフォーハードとの戦いは、すぐに終わる。享楽の王ゴドラハンとその一党は、その後、ファノンに消し
「………………ふうん」
モンモは『消し炭』という単語に
メイがファノン以外に使いたがらない、攻撃的な単語を口にしたからだが、モンモはそこに、何かしらの
だがメイのわずかな
「メイ……それなら、上の戦い、どうなると思う? すぐに決着がつくって言うけど、逆を言えば、ファノンが
「わかりません。クリルさんなら、こういう時、どうするんでしょうね。あの人が生きてたら、この戦いに参加したかどうか。捕まれば人質にされて、ファノンの足を引っ張ることになるんだし」
「メイ……」
モンモには、それがメイ自身の心の代弁ということがわかっていた。
避難の完了とともに、何もできなくなっているメイは、そんな自分に、やきもきしている……と、モンモは気づいたのである。
だから、モンモは、こう口にすることに決めた。
「──クリルの奴なら、こう言うね。
ファノンは主人公なんだし、勝つに決まってるでしょ。あなたにはもう、やることは何も残ってない。だったら、解決できないことは考えてもムダだよ……ってね」
「言いそうですね……あの人は」
「でしょ?」
「はい……──はいっ」
メイはそこで、初めてモンモに笑顔を見せた。
──その通りだ……確かに、自分の仕事はやりきった。
──あとは、結果を待つしかない。
──そう、言いたいんですね? モンモさん。
──本当に、あなたらしい慰め方です。
「あっ、ところでモンモさん……リッカの手伝いは、もういいんですか?」
「私も、今は手持ち
そう言うとモンモは、メイの横に並んで、ファノンの『彫像』を一緒に眺め始めた。
「あの……モンモさん」
メイはもともと低い声のトーンをさらに落として、何かを決意するように切り出した。
「あなたの判断は、正しかった――私と自警団が組まなかったら、これだけの避難はうまくできなかった。
ファノンの超弦の力、私の町長の権限、リッカの自警団長の求心力が合わさらないと、こうはならなかった。
あなたがムリヤリにでも私とリッカを掛け合わせたのも、今となっては、正解だったと思います」
「私の言うことだもん。当然じゃない」
モンモはいささか恥ずかしそうに述べたが、すぐにその表情は重いものに変わった。
「でも、あなたには苦い決断を強いた。今でも、よく受け入れてくれたって思うよ」
「ファノンの……セントデルタのためですから」
そこについては割り切れないままのメイが、口ばかりの社交辞令を並べてから、目をそらした。
モンモはメイの
メイの決断が、自分たちの未来に
「ねえメイ」
「なんですか……」
「ありがとうね、あなたが自分の
「まだ、わかりませんよ」
それにはメイが即答した。
「……ファノン、勝ってくれるといいね」
「はい…………」
メイとモンモは同時に、ロウソクの光の届かない、高く暗い闇によどむ天井を見上げた。