155.シェルター

 ファノンのこしらえた地下シェルターは結果として、かなり複雑な構造になってしまった。

 セントデルタ1万人の住む2800むねの家屋すべてに、60メートルの長さのマンホールを設置し、しかもそこから迷路のような通路をあつらえ、さらにシェルターの倒壊を防ぐため、中央広場の真下には巨大な支柱を造り上げてあったのだ。

 マンホールの長さが60メートルもあるのは、ラストマンがセントデルタ上部で自爆した時に、耐えられるようにするためである(ラストマンは生物兵器・化学兵器だけでなく、核兵器も搭載とうさいできる。とはいえ戦術核兵器だけは、フォーハードが自らの被爆ひばくを恐れて持ち込まなかったので、結局、この60メートルの長さは無用の物となったが)。

 さらに、もしもラストマンがシェルター内部へ侵入した際には、5キロにわたる緊急脱出口を作ってあった。

 これは劇場のエントランスのように、人々が一斉に出られるよう、複数の扉が設置されたものだった。

 シェルターには酸素の供給も必要なため、通風口を48箇所設けたが、その穴への毒ガス投入を恐れたファノンは、その10倍におよぶ、偽の通風口をセントデルタ外に穿うがって、森やセントデルタ外の田畑、あるいは岩山の隙間すきまに配したのである。

 偽の通風口は、もともとシェルター内部とつながっていない、たんなる細い穴だった。

 また、シェルター内の明かりはというと、人間の目の高さにあわせて、ファノンが壁に大量のロウソクと燭台しょくだいを発生させていたため、あたかも夜のキャンプファイアのように、ある程度の視界は確保できていた。

「で……ファノン。この変な彫像ちょうぞうは何だ? この……ミシュ●ンマンみたいなのは」

 数日前のこと、メイはエメラルドで補強された壁からせりでた、石筍せきじゅんのような、いびつな宝石像を、不快感まるだしで、あたかもヘビを威嚇いかくする猫のようににらみ付けながら、横のファノンに問うた。

「題名は『おっぱいの大きい女』だったんだけど……女に見えないか? 達筆すぎると逆に読みにくい文字とかあるけど、ついに俺のレベルはそこまでイッたか」

 ファノンが自信たっぷりに、そう言い切った所から、どうやら、この彫像は最高のデキだと思い込んでいるらしい。

「イヤ全然……え、女? 人間なのか?」

「俺とフォーハードの戦いで、もしかしたら、お前もみんなも、何日か地下で暮らさないといけなくなるだろ? その時、このエッチぃ像があったら、人は何だか、やる気が出てくるんじゃないかな」

「この……トロけたエメラルドかいを見て、人間がやる気を出すのか? しかも男じゃなく、女まで? お前は木の枝が五体をかたどってるだけで欲情するのか?」

「大根にニーソをはかせて欲情する漫画なら見たことがあるな。

 ともかく、これから始まる世界では、人口も今みたいな少数ではなくなる。1人くらい、この像に発情する奴も出てくるさ。もしかしたら、この作品が伝説になるかもしれないぜ」

「この戦いが終わったら、私の職権を使って、こんなシェルターは埋めるけどな」

「俺のアートを埋めるってのか? 俺の伝説を生き埋めにするとか……それがこのシェルターの功労者にやることか?」

「じゃあ、名前を書いといてやるよ。

 発案したバカ:ファノン

 作ったバカ:ファノン

 とな」

「その愚行ぐこうを許したチビ:メイ町長

 も忘れるなよ」

「この石像の下に埋葬まいそうされてるアホ:ファノン

 とも書いてやるよ」

「ははっ……一時はどうなるかと思ったけど、やっぱりお前は町長に向いてるよ」

 ――という風な会話をファノンとしたことを、メイは彫像の前に立ちながら、思い出していた。

 周囲ではラストマンをおそれてだろう、人々がおのおの、親しい人と抱き合いながら毛布をかぶって、あるいは高い天井を見上げ、あるいは小声で何事かささやきあい、あるいは、ウロウロとエメラルドの壁のそばを歩き回っていた。

「メイ……ここにいたの?」

 落ち着きのある、低めの女の声が、うしろからかかった。

 振り向くと、そこにはモンモがいた。

「有志の人たちが、避難口通路でラストマンを待ち受けようとしたら、ゴドラハンと名乗る人物に、シェルターまで追い返されたそうだよ」

 どうする? という意味をこめてモンモが質問した(モンモはゴドラハンのことを、教科書に書いてある『享楽の王』以上には知らないのだ)。

「……決意したんだな、ゴドラハンさんは」

 メイはわずかに目線を落としたまま、そうもらした。

 ゴドラハンの真意を、モンモの話から、全て汲み取ったのである。

 ゴドラハンは命を捨てて、避難口を守ろうとしているのだ。

 ──ゴドラハンさんを助けようとすることは、私達では、むしろ足手まといになる。

 ──彼は、死ぬ気だ。

 ──それなのに、私達は何もできない……。

 ──ファノンの父親のような存在だってのに、私は何もせずに、彼の献身けんしんに甘えているだけ。

 ──あの人がラストマンに負けてしまったら、次に死ぬのは私でなくちゃならないな。

 メイはそう思うと、強く唇を引きつむった。

「モンモさん……その報告は聞いてます。でも、放っておいて構いません」

「そうなの?」

「エノハ様の統治に乱れが生じたから、享楽の王ゴドラハンは攻めてきたわけです。避難口の扉には、ファノンが作ったカンヌキを入れておくように伝えました。

 上でのファノンとフォーハードとの戦いは、すぐに終わる。享楽の王ゴドラハンとその一党は、その後、ファノンに消しずみにしてもらえばいいんです……ほっといても、ラストマンに殺されてるかもしれませんけどね」

「………………ふうん」

 モンモは『消し炭』という単語にまゆをひそめた。

 メイがファノン以外に使いたがらない、攻撃的な単語を口にしたからだが、モンモはそこに、何かしらの意図いとを感じとったのである。

 だがメイのわずかな機微きびに気づいたモンモは、その意図に、わざわざ踏み込まないことを決めたようだった。

「メイ……それなら、上の戦い、どうなると思う? すぐに決着がつくって言うけど、逆を言えば、ファノンが早々そうそうにフォーハードの卑怯ひきょうな戦法に屈するかもしれないってことだよね」

「わかりません。クリルさんなら、こういう時、どうするんでしょうね。あの人が生きてたら、この戦いに参加したかどうか。捕まれば人質にされて、ファノンの足を引っ張ることになるんだし」

「メイ……」

 モンモには、それがメイ自身の心の代弁ということがわかっていた。

 避難の完了とともに、何もできなくなっているメイは、そんな自分に、やきもきしている……と、モンモは気づいたのである。

 だから、モンモは、こう口にすることに決めた。

「──クリルの奴なら、こう言うね。
 ファノンは主人公なんだし、勝つに決まってるでしょ。あなたにはもう、やることは何も残ってない。だったら、解決できないことは考えてもムダだよ……ってね」

「言いそうですね……あの人は」

「でしょ?」

「はい……──はいっ」

 メイはそこで、初めてモンモに笑顔を見せた。

 ──その通りだ……確かに、自分の仕事はやりきった。

 ──あとは、結果を待つしかない。

 ──そう、言いたいんですね? モンモさん。

 ──本当に、あなたらしい慰め方です。

「あっ、ところでモンモさん……リッカの手伝いは、もういいんですか?」

「私も、今は手持ち無沙汰ぶさたなんだよ。自警団ってば、みんな手際てぎわが良いから。やっぱり、あの人達は頼りになるね」

 そう言うとモンモは、メイの横に並んで、ファノンの『彫像』を一緒に眺め始めた。

「あの……モンモさん」

 メイはもともと低い声のトーンをさらに落として、何かを決意するように切り出した。

「あなたの判断は、正しかった――私と自警団が組まなかったら、これだけの避難はうまくできなかった。

 ファノンの超弦の力、私の町長の権限、リッカの自警団長の求心力が合わさらないと、こうはならなかった。

 あなたがムリヤリにでも私とリッカを掛け合わせたのも、今となっては、正解だったと思います」

「私の言うことだもん。当然じゃない」

 モンモはいささか恥ずかしそうに述べたが、すぐにその表情は重いものに変わった。

「でも、あなたには苦い決断を強いた。今でも、よく受け入れてくれたって思うよ」

「ファノンの……セントデルタのためですから」

 そこについては割り切れないままのメイが、口ばかりの社交辞令を並べてから、目をそらした。

 モンモはメイの仕草しぐさの意味に気づきながらも、それでもメイに向かって笑いかけた。

 メイの決断が、自分たちの未来に貢献こうけんしたことは、間違いないからだ。

「ねえメイ」

「なんですか……」

「ありがとうね、あなたが自分の復讐心ふくしゅうしんをやりこめてくれなければ、今の状況はもっと悪くなっていた。あなたがいたから、セントデルタは救われる」

「まだ、わかりませんよ」

 それにはメイが即答した。

「……ファノン、勝ってくれるといいね」

「はい…………」

 メイとモンモは同時に、ロウソクの光の届かない、高く暗い闇によどむ天井を見上げた。

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