156.水素の海の中で

 HAHOヘイホー降下作戦を終えて大地に足をついた時の、フォーハードの着地スピードは10キロメートル程(早歩きの二倍ほどの速度)。

 そのため、フォーハードは着地で怪我けがなどはしなかったのだが、大きなパラシュートに身体が流され、ジャガイモ畑へ派手に転がり込んでいった。

 だが、そうして畑のうねへ倒れ込んだフォーハードの五体は、超流動ヘリウムに凍らされることも、ファノンから狙い撃ちされることもなかった。

 世界にとって残念なことに、フォーハードは見事に、作戦を成功させたわけである。

「生き残った……生き残ってみせたぞ」

 フォーハードは、足首ほどの高さしかないジャガイモ畑の畝に五体を預けたまま、声を高らかに上げた。

「ミッション完了だ。初めてにしちゃ、なかなかの手際てぎわだっただろ?」

 フォーハードは寝そべるままに、左手首に巻かれた、ごついリスト・ディシプリンに語りかけた。

 その通信は、フォーハードが4分ほど前にいた、上空1万メートルにある輸送機に向けられていた。

「マスター……無事だったのですか。あなたが無事にのさばっているということは、これから全生命に破滅のカウントダウンが始まるのですね。良かったですね、嬉しいですか?」

 手首の機械から、輸送機内にいるラストマンの痛烈な皮肉が戻ってくる。

「そういうことだ。ただ、足腰が立たないレベルで力を使ってしまったせいで、しばらく動けそうにない。ファノンの戻る前に、セントデルタの住民は全員殺しておきたいんだがな……」

「太陽の中心へ送り込まれた超弦の子が、戻ると? 100億℃を越える、あの太陽から? そんな場所で、人間が生きられるのですか?」

「死ぬ可能性もある。もしあいつが死んだのなら、500年後に飛んで、生まれ変わった超弦の子を洗脳するつもりだよ。

 だけどあいつなら、俺にワープさせられた瞬間に、周囲をニュートリノ粒子なりヒッグス粒子なりに変化させて無害化して、生き残ることも考えられるだろう」

「彼がそれに成功したかどうか、どうやってフィードバックされるのですか?」

「ああ、それはな……少しだけ待ってみれば、わかるさ。おそらく、あと3、4分ってところか」

 フォーハードは思わせぶりに説明して、そのまま沈黙した。

 そして正に4分後。

 フッと、にわかに、世界が真昼から宵闇よいやみの夜空へと転じたのである。

 文字通り、フォーハードの見渡す場所が、いや、世界のすべてが突然、真夜中にひっくり返ったのだ。

 それはあたかも、晴天の空に、いきなり皆既かいき日食が起きるのに似ていた(ただし太陽の環であるコロナは見えないが)。

「マスター……空が暗転しました。今まで青空だったのに。これも、超弦の子の仕業ですか?」

 ラストマンの困惑した問いかけに、フォーハードは至って落ち着いた様子で、尻餅しりもちをついた姿勢になって、空を見上げた。

「1天文単位とは、太陽と地球の距離である1億5000万キロメートルのことを指すが、秒速30万キロメートルで進む光は、8分ほどで地球に届く、という計算になる。これが、どういう意味か、お前ならわかるんじゃないか?」

「太陽が、8分前に消失した……ということですか?」

「ビンゴだ。さっきも言ったが、太陽のような灼熱しゃくねつ地獄で泳ぎたくなければ、その水素をすべてヒッグス粒子に変化させなくちゃならない。ファノンがやったのは、それさ」

「超弦の子は、自らが飛ばされた太陽の中心で焼かれないために、その太陽を消し去った……? とんでもない力業です」

「それができるのが超弦の子ってもんだよ。あいつにとっては、そもそも銀河を消し去るのさえ、ウインクをするのと同じ程度の労力でしかないはずだ」

 フォーハードは目を細めながら、消えた太陽があった場所を見つめた。

「ですが、それでは彼は死んでいないということ。彼はたとえ宇宙空間でも、いかなる粒子からも、生活に必要なものを産み出すことができます。

 空気も重力も気圧も、適度な温度も、タンパク質からミネラルまで、何もかも自分の力で生み出しながら、何かの引力にでも頼って、地球に最接近することもできるでしょう」

「それは可能だが、時間がかかりすぎるよ。俺はあいつが地球に戻る前に、ここの連中を皆殺しにしておくつもりだからな」

「では、超弦の子は……」

「太陽に飛ばされた時点で、あいつの負けってことだ。あとは、帰還したあいつが、なるべくショックを受けるような飾り付けをすればいい。セントデルタ中央広場に、地下にいる連中の死体を積み上げる、とかでも良いかな。なるべくショックが増すように、全員の首を道に並べておくと良いんだが、1万人もいるとなると、時間がかかりすぎるな」

「よくもまあ……そんな酷いことを思いつくものです」

「そこらへんは、お前らラストマンの仕事にするつもりさ。それより、ゴドラハンの方はどうなった。避難口のラストマンは、まだシェルターに侵攻できていないのか?」

「彼らから通信をもらっております……ゴドラハン一派の掃討そうとうはできているとのことです。ロナリオ型の破壊および、ゴドラハンの排除はいじょを完了しておりますが、ラストマンもまた戦闘不能で、避難扉を前に一時撤退をしております。増援さえあれば、すぐにミッション完了できるとのこと」

「ロナリオが……そう、か」

 フォーハードはわずかに声音を沈めたが、すぐに元に戻した。

「増援といえば、輸送機の中にいる、故障したラストマン達ぐらいか。それでも連中の始末には問題はなさそうだ。そいつらを通用口へ回す。地下シェルターを奴らの墓場にするぞ」

「超弦の子は、しばらく戻れそうにありませんね……彼はどうするでしょうか」

「そうだな、少なくとも、太陽の復活はさせないといけないから、ここに戻る前にも時間がかかりそうだ。

 太陽がなければ、ほとんどの生物は生き残ることができない。まず植物が死に、それを食べる草食動物が死に、次にはその草食動物を食らう肉食動物が死に、そしてそれらの命を刈って生きてきた人間もまた、同じ世界へ旅立つわけだからな」

「人間のほうは、これからあなたが絶滅させるのでしょう?」

「もしも、ファノンの自爆がうまくいかなかった時のために、セントデルタの人間は5、6人ほど、殺さずに残しておくつもりだよ。ファノンと関係の薄い人間をな。そうしておけば、500年もすれば、そいつの子孫の誰かからファノンが転生してくるだろうし」

 フォーハードは夜空と化した天を見つめたまま、続ける。

「まだ、どうなるかわからん。油断はしないよ」

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