157.恐怖と絶望、そして

 もしかしたら、ファノンの力が炸裂さくれつしたとき、大きな音を立てて、太陽は消滅したのかもしれないが……あいにく真空は音を伝えない。

 元々水素やヘリウムで出来ている太陽に、ヘリウム気化の術は効くべくもないから、ファノンがおこなったのは、太陽のヒッグス粒子化。

 そうなれば、この太陽の中心だった場所も、ただの深遠なる宇宙空間になるわけだが、ファノンであればそこに酸素だけでなく、温度や気圧を、自身の周りにもたらすことは造作もないことだった。

 だが、ファノンは身の安全を確保できたからといっても、その心は大きく毛羽立けばだち、あせりに満ちていた。

 数10分以内に帰らなくては、地球にいるフォーハードが、セントデルタの人々の殺戮さつりくを始めてしまうからだ。

「まずい……これは、まずい」

 ファノンの頭が、この状況をひっくり返す策を講じるが……何も名案は降りてこない。

 太陽を消してからのファノンは、先ほどからずっと、なすすべもなく、無重力にもてあそばれながら、自らの作った空気の泡に浮かんでただようことしか、できずにいたのである。

 地球には、帰れる。

 だが、それには時間がかかり過ぎるのである。

 地球の方角へ重力でも作れば(それを生み出すには、例えば惑星を一瞬だけ発生させる、などでもいい)、そちらへファノンの身体は引っ張られるため、故郷の大地へ戻る推力を得られるが、太陽と地球をへだてる、1億5000万キロメートルにも及ぶ宇宙旅行となると、その方法での期限内の帰還は、不可能なのである。

 たとえば5秒かけて秒速1キロメートルという速度でも出そうものなら、自重が20倍以上にもなって、内臓が潰れて死ぬことになるだろう(おそらく、臓器の中でも特にやわらかい『脳』が、自らの頭蓋骨の中で、はんぺん状になるだろう)。

 10分以内に地球へ到着するぐらいでなくては、セントデルタの人々の命は守れないというのに──地球に速やかに帰る方法が、ないのだ。

「何てことだ……みんなが、危ないのに。どうすれば……どうすればいい」

 ファノンは理論上、フォーハードと同じことができる。

 いや、この世にある、あらゆる現象全てを操ることができる。

 超弦理論はすべての理論を総括したものだからだ。

 だが──ファノンがそれをおこなうための使用条件は、その原理を知っていることに限られる、という制約もある。

 現実として、ファノンはフォーハードのように、時間ジャンプも空間ジャンプもできはしない。

 やり方をしらないからだ。

 それに対して、フォーハードがそれをできるのは、おそらく旧代のころ、フォーハードの身の回りに、空間理論のエキスパートがいたからだろう。

 その人物は、フォーハードが殺したのか、それとも不慮ふりょの事故で亡くなったのかはわからないが、ともかくその空間理論は、フォーハードの胸の内だけが占有するようになったのである。

「早く……早く戻らないと……みんな殺される……誰か…………俺に教えてくれ……………!」

 ファノンは上下も左右もない深淵しんえんに浮かぶまま、一向に解決策が浮かぶこともなく、小さな青い星を見つめることしか、できずにいた。

 こんなことをしている最中も、フォーハードは何らかの方法で、セントデルタの人々を殺す準備を始めている。

 それを防ぐ方法は、ない。

 何度考えてみても、何度悩んでみても、ファノンの頭脳からは、この返答しか出てこないのである。

「帰ることが……できない……」

 ファノンはにわかに、己の自由を奪う、周囲の闇が、静寂せいじゃくが、無重力が、なによりも恐ろしい怪物のように感じられてきた。

 それほどに、ファノンの思念は、恐怖と焦りに支配されていた。

 ──メイが殺される。

 ──モンモさんも、アエフも、殺されていく。

 ──ゴンゲン親方が、ヨイテッツ親方が、ゴドラハンやロナリオ、モエクが……クリルが守ろうとしたものが、奪われる。

 ──俺は……どうすればいい?

「くそっ、フォーハードめ……フォー…………ハードめ……」

 ファノンの憎々しいつぶやきと共に、すぐそばで、陽電子と電子が生まれ、それらによる、核エネルギーを超えた大爆発が、そこらで花火のように起こり始めた。

 超弦の力の暴走である。

 ──憎むな。

 ファノンの足元や頭頂のほうで、陽子と反陽子が生じて、出会い、それらは爆砕とともにち果てる。

 ──憎むな。

 いくらファノンが自制しようとも、爆発はさらに増え、さらに大きさを増していく。

 ──模索もさくするんだ、憎むんじゃない。

 ファノンの周りの、あらゆるバリオンと反バリオン、レプトンや反レプトンが、生成されてはつながり、破裂を繰り広げる中、ファノンは何とかして自分の心をやりこめようと試みるが、全てが徒労となって、空回るのみだった。

 無数の超巨大な、月ほどの大きさもある火球が、身を丸めるファノンを嘲笑ちょうしょうするように、音もなく、生まれては消えていた……。

 宇宙は、終わりを迎える準備を始めていた──

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