158.軌跡の終わり

「なあ……」

 ゴドラハンは、自らの身体をもたれかけている相手──ラストマンへ、弱々しい声音こわねで語りかけた。

 ゴドラハンは右目がつぶれ、あばらも折れ、右腕も妙な方向へ曲がり……そして何よりも──肝臓かんぞうのある位置には、ラストマンのちぎれた腕が刺さっていた。

 もはや、痛みはない。

 ただ、ひたすらにぶい眠気がゴドラハンを支配している。

 身体が生命維持をあきらめたとき、その『麻酔に似た』作用が五体に現れることは、ゴドラハンも知っていた。

 ──ついに、俺にもその時がきたんだな……。

 戦いきったせいか、ラストマンを阻止するという目的を達したためか、それとも長い人生の終わりに安堵あんどしたのか、ともかく、ゴドラハンの頭に浮かんだ感想は、それだけだった。

「何で……ABC兵器を、使わなかった? それだけの、数がいれば……1体が俺を始末するためだけに毒ガス兵器を使っても、他のラストマンのABC兵器を温存できたはずだ……なぜ、こうしてお前達が全滅するまで、ABC兵器を発動しなかった……。

 毒ガスを使って……俺を仕留め、1人になったロナリオを、お前ら全員で袋叩きにすれば……この扉の突破はたやすかった……フォーハードの命令は絶対なんだろう?」

 ゴドラハンはラストマンに身体をあずけてうなだれたまま、エメラルドの通路を見やった。

 そこには、11体にも及ぶラストマンが、廃品と化してむくろさらしていた。

「それが最適解なのは、わかっていた。だが、やる気はなかった」

「……」

 もう物事を熟考じゅっこうするだけの余力もないゴドラハンは、むやみに質問を繰り返さず、ラストマンの説明を待った。

 その目論見もくろみが通じたのか、それとも冥土めいど土産みやげとでも判断したのか、肩越しのラストマンが機械音声で、ゴドラハンに耳打ちするようにして説明し始めた。

「こうしてABC兵器を使わずに戦うことが、命令違反にはならなかったからだ。

 わがマスターより、通路でABC兵器を使えという命令は受けていない。これはシェルター内の人々に用いるものだ、とマスターは言われていた。だから通路に過ぎないこの場では、用いなかった。

 あの方は、人間の中に、自分の命を捨ててでも他人を守る者がいることは知っていたが、比率でしかモノが考えられなかった。毒ガスや生物兵器を扱う、われわれラストマンを相手に、武器もなく策もなく勝算もないのに挑み、勝利する者などいないと判断した。

 だが、幸運なことに、それを実現する人物がいてくれた。わたしの……いや、われわれの願いが叶ったというものだ」

「お前……」

「ともかく、最後に残ったわたしもまた、お前たちのおかげで、両腕がこの通り、もがれてしまった。もはや作戦続行は不可能な状態だ」

 ラストマンはゴドラハンと抱き合ったまま、自分の両肩のことに話題をすげ替えた。

 ラストマンの腕のあるはずの部位からは、代わりに配線がしだれやなぎのように垂れて、パチパチとそれを放電させていた。

「これではもう道具も持てんし、そこの扉を引くこともできん。わたしは戦略的撤退てったいをおこなうしかないわけだ」

「フォーハードに怒られるぞ……」

「構わんさ。他人の顔色の明暗で自分の行動を決めるなど、おろかしいことだ……というのがマスターの口癖くちぐせだ。あの方の人生は、あらゆることが間違いだが、この言葉だけは真実だと思うよ」

「ふふっ……そうだな……」

 ゴドラハンは『眠気』をみ殺しながら笑い、同意した。

 と──そこで不意にラストマンがゴドラハンの身体を支えるのをやめて後ろに下がったため、ゴドラハンは満身創痍そういの身体を、エメラルドの地面に倒しそうになった。

 ゴドラハンは寸でのところで、右ひざを地面に叩くようにして、何とか転倒せずにしゃがみこんでから、ラストマンのいる方を見上げる。

 ラストマンから表情は読み取れるべくもないが、明らかに気づかっているように、じっと、膝をつくゴドラハンを観察していた。

「もう、ここに長居をする必要もなくなった。わたしは行くよ」

 ラストマンはゆっくりと背を返し、ガシャン、ガシャンと粗野そや無骨ぶこつな足音を立てて、遠ざかっていった。

「……」

 ゴドラハンはその背を見送るのもそこそこに、かすみ始めた目で、自分の身体を改めて見つめた。

 ラストマンの腕の刺さる腹からは、毎秒数ミリリットルもの血が流れていた。

 空手着は鮮血せんけつに赤黒く染まり、足元にもダラダラと血だまりを作っていた。

 ──もう、時間はない。

「ロ、ナリオ……………おい……」

 ゴドラハンは続いて、エメラルドの壁面に背を預けてへたりこむ、ロナリオに声をかけた。

 だが、ロナリオはうつむいたまま、返事をしなかった。

「……戦いは、終わったぞ……俺たちの……この時代での人類の戦争は、全部、やりげた……あとはファノンがどうなるか、だけだぜ……」

 ゴドラハンはよろめきながら、ロナリオの横に並ぶようにして、エメラルド壁に背をへばりつけた。

 ロナリオは顔の半分を、機械の骨格をさらしたまま、うつろに地面を見ていた。

「ロナリ、オ………先に行くってのは……ナシだぜ」

 ゴドラハンは顔をくずしながら、ロナリオのほおでる。

最期さいごまで、お前と……つまらん話をしたかったんだがなあ……」

 ゴドラハンはそこまで言うと、大きく喀血かっけつした。

 肺の中にも血液が満たされ、苦しいはずなのに、もはやゴドラハンを包むのは、眠気だけとなっていた。

「な……ぁ……ロナ……リ……………」

 ゴドラハンは言い切る前に、大きくため息をついて、深く深く、肩を脱力だつりょくさせていった。

 ……それから、6分ほどしてから。

 ロナリオが弱々しいながらも、ぴくりと顔を上げ、横にいるゴドラハンを見やった。

「……申し訳ありません、ゴドラハン……フリーズしておりました……ゴドラハン…………?」

「………」

「……あなたは、よくやりました…………ゆっくり、休んでください…………」

 ロナリオは横にいるゴドラハンを見つめて、つぶやきかけたが……もうゴドラハンは、反応を示さなかった。

「寂しくはありません……怖くもありません……すぐにわたしも、あなたの元へ」

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