159.未来への回廊

「……道にまよってしまいました……」

 通勤つうきん、通学に忙しそうな老若男女ろうにゃくなんにょの往来にまみれながら、ロナリオは引きずっていたキャリーケースから手を離し、ため息をついた。

 何度も、スマホの地図アプリを見直すが、いっこうに目的地が見つからず、ロナリオは同じ場所を何度も、行ったり来たりしていたのである。

 姉夫婦がいる街で仕事が決まったので、早朝から田舎いなかを出て、とどこおりなく寄宿きしゅく先へ向かっていたつもりなのだが……以前、不動産屋に連れられて進んだ道を、忘れてしまっていたのだ。

 前を見てもうしろを見ても、アパートメント・ビルばかり。

 これの内の、どれか1つを教えてもらったはずなのに、記憶にない。

 電話で両親に場所を聞こうともしたのだが……仕事中なのか、どちらとも連絡が取れない。

 不動産屋の名前など、もちろん覚えていないから、やはり対処を乞うこともできない。

 そんな状況で、ロナリオが途方とほうに暮れていると。

「アッハハハハハハ……!」

 建物のかどから、甲高かんだかい笑い声が響いたかと思うと、そこからデニムのオーバーオールを着た子供が突然現れ、ロナリオにぶつかってきたのである。

「!?」

 ロナリオはにわかに起こった出来事におどろいたが、なにぶん小さな子供の体力のことなので、よろめいたりはしなかった(突撃をもらった腕は痛かったが)。

「あっ、ごめん!」

 子供はすぐさまあやまってきた。

 その子供は、ロナリオの二の腕のあたりの身長しかなく、何とも落ち着きのなさそうな雰囲気ふんいきを出していたが、ちゃんと立ち止まって、すぐさま謝ったところから考えると、礼儀はわきまえているようだった。

「いえ、問題ありません……建物の角にはたいてい、あなたにぶつかるために人が隠れているものです。いい勉強になりましたね」

「うん!」

 ロナリオのユーモラスな返答に、少年は元気に笑い返した。

「ファノン、おい」

 と、その背後から、また別の人物が姿を見せてきた。

「お前、全力疾走しっそうしすぎだよ。パパ疲れたよ」

 その声の主は、中年男性のものだった。

 男は無精ぶしょうヒゲの、壮観そうかんな顔つきだったが、子供の底なしの体力に振り回されてだろう、かなり疲れた様子だった。

「俺、この人にぶつかったのに、慰謝料いしゃりょうとか請求せいきゅうされずに済みそうなところなんだ。感謝しろよな」

 ファノンと呼ばれた少年が、なんとも雑な説明をする。

「ぶつかったのか、ファノン……ああ、どうも。息子への慰謝料を取り下げて頂いたとか……」

 そこで男は、ロナリオの顔をじっと見て、しばらく静止した。

 それはロナリオも同じで、わずかな間、2人は見つめ合う格好かっこうになった。

 一目惚ひとめぼれしたとか、そんな感じとは違う、何か、例えようのない感情が……ロナリオの中で、みるみるき上がったのである。

 反応をうかがう限り、男のほうもそうだったのかもしれない。

 だがひとまず、その不思議な間を破ったのは、ロナリオの方だった。

「あの……おたずねしたいのですが……この場所、おわかりですか?」

 そう言いながらロナリオが、スマホに写る、地図アプリを中年男の眼前にかざす。

「ん? このアパートメントなら、俺の家の近くだな。案内するから、ついてきなよ」

 そう言うと中年男は、ロナリオの返事も待たずに、脇に置かれたキャリーケースの、サイドハンドルを引っ付かんで持ち上げた。

「気をつけて、おねーさん。このオッサン、つまに逃げられたからって、今から自宅に連れこむつもりだよ」

「おいファノン、うそは良くないな。俺は今、人に親切にする重要さを、お前に見せてやる気でいるんだ。オッサンがバッチリ、約束通りに道案内するところを、目に焼き付けてくれよな」

「良いから早く行こうぜ。俺、腹が減ったよ」

 ファノンがそこでまた、減らず口をたれる。

「おなかがすいたのですか? えーと……ファノン?」

 両手の空いたロナリオが、ファノンの目の高さにあわせてしゃがみこむ。

「うん! もしかして、料理とか作ってくれる流れか?」

「わたし、料理は苦手だから……みんなで、どこかで食事でも、と思ったのです。ついでに、この辺のお店を紹介してもらえれば」

 ロナリオはそんな提案を口からすべらせてみて、自分で驚いていた。

 見知らぬ相手を食事にさそうなど、ロナリオは生まれてこの方、したこともなければ、考えたこともなかったはずなのに、目の前の2人には、特に抵抗感もなかったのである。

「ああ、かまわないぜ」

 中年男が、首だけ振り返って、大きく笑った。

「ところで、まだお名前をうかがっていませんでした。わたしはロナリオ・ホーリー・タリタ・クミ。あなたは?」

「俺はファノン! 見た目は子供、頭脳も子供だ! 特技は首のリボンから毒針を出して、人を昏睡こんすいさせること!!」

 名前がすでに割れているにも関わらず、ファノンが胸を張った。

「俺はゴドラハン。見ての通り、親切なオッサンさ」

 短くそう言って中年男──ゴドラハンは、2人に先んじるように、前を歩いていった。

「まあでも、ロナリオさん。近所ってこともあるし、もしかしたら付き合いも長くなるかもしれん。良い店を知ってるから、寄り道していきましょう。パスタはお好きですか?」

 ──

 ────

 ──────……

次話へ