16.宝石窓職人

理想の世界

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 悩もうと、悩むまいと、日は昇り、沈み、そして人は眠気をおぼえ……何よりも、腹をすかす。

 自分の運命航路の目前に、とつぜんフォーハードという名前の渦潮が巻かれだしたからといって、ファノンもまた、飯を食い、冬を越すべく、そして可能なかぎり古代のマンガとエロマンガをそろえるため、金を稼がなくてはならない。

 超常の力に目覚めたといえど、日々の仕事をやめるわけにはいかないのである。

 だが、頭の片隅にはフォーハードが自分を利用するために暗躍する絵図が、いつもくすぶっていた。

 そんな有様で仕事におもむくものだから、当然そのクオリティにも誤差をこうむっていた。

 ファノンは窓ガラス職人。

 繊細さを問われる職人仕事に余念が入ると、出来上がりに影響が出るのは当然と言えた。

「……」

 ファノンは、冷えたモリブデン鋼板
の上に張り付いたルビーの平面板を手にとって、おのれの無力感を息に乗せて吐いた。

 窓職人と言うからには民家の窓を作って生計を紡いでいるのであるが、今日は満足のゆくものを作れずにいた。

 ファノンの悩みを写し出すかのように、紅色のルビー窓の中には、生成の過程で空気が入りこみ、あぶくがそこらに残っている。

 ルビーを加工すると熱生成のときに、結晶の再組成のための空気の泡や縦筋がどうしても生まれてしまうのだが、窓職人の真価は、このあぶくや縦筋をいかに減らし、宝石窓の美しさを残すか、にある。

 落ちこんだ瞳で、となりの職人のモリブデン板をみると、そちらには美しい光彩をたたえる、青紫のサファイア窓が横たわっていた。

「不満足な顔してんな、ファノン」

 サファイア窓の傍らに、これを練り上げた男が立っていた。

 灰色のバンダナにヒゲ面、つねに怒りあがった両肩。

 その貫禄かんろくは10代どころか30代でさえ持ちえるものではないが、この人物もまた、セントデルタの法則の中で生きる、りっぱな18歳だった。

「ゴンゲン親方……」

「悩んでいるんだな、何なら聞くが?」

「いえ、何とも例えがたい話ではあるんで……もう少し煮詰まれば話させてもらいます。

 でも、こんなことで仕事に差し障りがでるなんて。才能ないのかな、俺」

「さい……のう……だと?」

 ファノンのため息を聞いたとたん、ゴンゲンの張り上がった肩が、険しい岩脈のように、さらに上がった。

「才能なんか、予言や占いと同じぐらいの架空の産物だ。そんなもん信じんな! 努力だ! お前にたりんのは努力! 才能じゃない! 努力と努力と……それから努力! 毎日百回の努力! 百トンの努力! 百光年の努力だ!」

 ルビーも溶かす2000℃のカマドと同じぐらい熱く、ゴンゲンは1.5メートル先のファノンの顔に、ツバを飛ばしながら語った。

「ウチのメイが予言も占いも信じるタチなんですが」

「そんなもんも努力次第だ! 努力さえあれば俺は幸せだ!」

「イヤあんたの話になってんじゃん、いつの間にか」

「それはそうとなファノン、そこの家のモンモさんちの窓が割れちまったらしい。ってことで、こいつをはめこみに行かなくちゃいかん。お前も来い、これも修行だ、努力できるいい機会だぞ」

 ゴンゲンはファノンがうなずくより、はるかに早く、自分が磨きあげたサファイアの窓をかついで、わざわざファノンに受け渡した。

「おっ……おっも……」

「いい顔だ! 努力してる顔だ! 忘れるな、その顔だ! ずっとその顔でいろ! うぉぉぉ輝いてるぞお前!」

 ゴンゲンは何やら、ひとりハッスルしていた。

 戦前に量産されていたガラスという素材は比重2.5。

 つまり水の2.5倍の重さということだが、それに比べサファイアの比重は約4。

 これほどになると、持ち上げてみると、いくら宝石だ装飾品だといわれても、その真実は『石』だと痛感させられる。

「おっと、落とすなよ! お前が担ぐのも努力に違いないが、俺のこの作品も、努力の賜物だからな! 落として傷つけたら、お前の頬に俺の努力パンチをせにゃならん」

「は、はぃぃぃぃ……」

 ファノンはよたよたと千鳥足になりながらも、真向かいの顧客の家まで、ちゃんと窓を抱えて歩を進めた。

「モンモさん! 窓もってきましたよ!」

 ゴンゲンは乱暴に隣人の家の杉製の扉をたたいた。

 セントデルタの人々は宝石を見飽きているせいで、たいていの家は木造か、せいぜいが外壁や塀を宝石製にするぐらいだ。

 それでも、ガラスの原料のないセントデルタにおいて、宝石窓の需要はすこぶる高いのである。(とはいえガラスの原料になるものはないわけではなく、たとえば宝石のペリドットなどを精錬すれば、ガラス材料のケイ酸塩を取り出すことはできるが、現在のところ、あまりメジャーではない)。

「は~い」

 モンモとよばれる、女性の家主がしばらくして顔をのぞかせた。

 髪を洗っていたのか、湯気のにじむ頭をタオルで巻いていた。

「まあ親方、早いですね」

 モンモはゴンゲンが来たと知るや友人に接するように話しかけた。

「努力のたまものです! これでこの家の窓は二百年はもちます!」

「まぁ、さすがね。取り替えてもらう窓のところに案内しますよ」

 モンモは玄関からでてきて、先んじて裏手に回った。

「お、親方……重いです……」

「努力を信じろ! 昔のえらい哲学者……ニーチェも言ってたぞ! お前が努力を見つめるとき、努力もまたお前を見ている、と!」

「ゴンゲン親方ー。努力って部分、暗闇じゃなかったでしたっけ?」

 前を歩くモンモが、顎に人差し指をそえながら、ゴンゲンに訂正をこころみた。

「うむ、その通りです! 努力は人の上に人を作らず、人の下に人を作らん!」

 どこらへんが『その通り』だったのか、ゴンゲンは上機嫌だった。

「親方~、こっちこっち。こっちの窓ですよー」

 モンモが手招きをする。

「はい! すぐ参ります!」

 ゴンゲンはさっさと、そちらへ向かうから、ファノンものっそりとサファイアの窓を持ったまま、おもむいた。

 そこでは見事なまでに、窓枠だけになっている窓がのぞけ、モンモのぬいぐるみだらけの室内をありありと外に晒していた。

 既婚者なのでツインベッドなのだが、部屋の四隅には、まるで結界でも敷くかのように、子供ぐらいの大きさのカエル、ヘビ、イグアナ、カメを、それぞれに配置していた。

 本棚の中の一部分やタンスの上などにも、やはり爬虫類や両生類タイプのぬいぐるみを置いている。

 徹底的にそういうぬいぐるみが好きなことで周囲に通っているモンモだが、本物のトカゲを彼女に見せると、悲鳴を上げることを、ファノンもゴンゲンも、わきまえていた。

「なんと難儀な! すぐに取りかかります!」

 ゴンゲンはひょいっとファノンのかつぐ窓を片腕にとりあげると、木の板でもはめこむかのような軽快さと正確さで、その窓に新しい顔をはめこんでしまった。

「さすがゴンゲン親方、頼りになるわ」

「あなたのためにと、突貫で作ったんです! 努力の目的は到着ではない、過程にある、です!」

 大きな声だが、耳に心地よいバリトン調のトーンでゴンゲンは答えた。

 モンモも面倒だったから突っこまなかったが、いまのゴンゲンの言葉は、本当はゲーテの「旅行の目的は到着ではない、道すがらにある」である。

「助かりました、またよろしくね」

「はい、毎度!」

 ゴンゲンは納品書を渡して、部屋をあとにし、工房へと背をかえした。

 その横顔は、ニコニコと満足そうに頬が上がっていた。

「親方」

「なんだ、努力の徒よ」

「怒らないで聞いて欲しいんだけど……親方は悩むことって、あるか?」

「あるさ! がっはっは!」

「……そんなとき、どうするんですか」

「簡単だ! 悩みのもとをブッ壊す! つまり努力するのさ!」

「努力でどうにもならない壁だとしたら?」

「……?」

 ゴンゲンはさすがに、いつもふざけた調子のファノンが、今日に限って、いささか塞ぎすぎているのに気づいた。

「うむ……わかった!」

 何がわかったのか、ゴンゲンはうなずいてから、続けた。

「いまお前は、悩む努力をしているんだな。

 努力は最良の教師である。しかも授業料も安い! これはカーライルだったかな!」

「は、はぁ……」

 ファノンはよくわからず、生返事をした。

 ファノンの知識では修正しようもないから、ここで改めておくが、本物のほうは『経験は最良の教師である、ただし授業料が高すぎるが』である。

「悩むも努力だ! 今日は上がっていいぞ! そして今日は悩んで悩んで、悩む努力をして強くなることだ!」

 ゴンゲンは満面の笑みで、猫背になっているファノンの背中をバシバシたたいた。

 ――悩みのもとをブッ壊す、か……。

 ゴンゲンに叩かれるにまかせながら、ファノンは心の中だけでつぶやいたが、雲の中に手を突っこんで物を探すような気分にしかならなかった。

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