162.勝敗と生死

「完敗だよ、ファノン」

 取り戻された青空の下、フォーハードはよろよろと立ち上がろうとしたが、途中で力きて、やわらかい畑にへたり込んでいった。

 もはやフォーハードは、身体ひとつ満足に動かせない程に、疲弊ひへいしきっていた。

 人間を太陽に送りつける術で、エネルギーを使い尽くしていたのである。

「今のお前なら、俺が使うワープも使えるんだろうな……あらゆる世界を見ることのできるお前なら、可能だったはずだ。何で、それで帰ってこなかった?」

「──お前と同じ術を使いたくなかったからだ……と言えばカッコ良かったんだろうけど、超弦の力への完全な目覚めを果たした途端とたん、地球に帰るための選択肢が、何千も何万も提示されたんだ。その1つを試してみたくなっただけだ。

 太陽もあの通り復活させたけど、本当は少し心配してる。太陽が水素の塊で、核融合で燃えているってのはお前も知っての通りだが……水素を集めて圧力をかけたところで、実際はかがやき出すまでに10万年かかるそうだ。自分の水素ガスに邪魔じゃまされて、半径70万キロメートルの体内からその光を出せないためだ。

 だから太陽のそこらに秒間40けいギガジュールのエネルギーを仕込んでから、ここに帰ってきた。これは70億の人間が、100万年かけて消費するエネルギーと同じ量だ。だけど、これからも光り続けるかは疑問があるから、世界を救えてるかどうかは、まだわからないな」

 ファノンは特に表情も変えず、淡々たんたんと立ち尽くした姿勢のまま告げた。

「はは……ケタ違いだ」

 フォーハードは尻餅しりもちをついた格好かっこうのまま、弱々しく笑った。

「そこまで化物になって、どうするつもりだ? お前は、俺やエノハどころか人類の生死さえ、ほしいままにできる力を得た。

 お前はもう、この世界にいることはできない。あまりにも強すぎる力を得たからだ。今のお前は、寝ているときに、枕元をが飛ぶ時の羽音を聞くだけで、うっかり宇宙を消滅させるかもしれない程、不安定なんだよ。あの羽音は人間をイラつかせはするが、お前はそのイラつきだけで宇宙を破滅に追いやってしまうわけだからな。

 今の宇宙はお前のおかげで、細板のフチに置いた生卵と何も変わらない。いつ地面に落ちて割れても、おかしくない状態ってことだ。

 それだけじゃない。

 お前には、どんな人間も、俺がエノハにやったような力による管理は行えない。誰もお前に口出しする権利を持てない……お前以上の力の持ち主は存在しないからだ。その時、お前の作る世界はどうなるだろうな。

 初めは回天かいてんやら正義やらを考えていた政治家が、権力におぼれて腐敗ふはいに走った例を、俺は知ってる。俺の友人だった男だ。そういう、自分の心とも戦わなければならないぞ。

 それとも、今もお前の細胞を支配している、20年のアポトーシスに身を任せるか? だが、それでも結果は同じだ。

 やはりお前は、500年もすれば再び産まれることになる。500年もすれば、文明を取り戻し、建前たてまえのもとで搾取さくしゅされる人間が、野放のばなしになっている世界を目にすることだろう。

 そういう人間の子供として産まれたとき、お前は聖人のように、一度も、一瞬たりとも人間を憎まずにいられるか。それは無理というものだ。お前は俺という悪役を失ったあと、暴走の果てに世界を闇で閉じるだろう」

 フォーハードは震える腕を何とか上げて、ファノンを指した。

 しかしファノンのほうは物怖ものおじする素振そぶりもなく……いや、迷う素振りもなく、その指先を見つめ返すだけだった。

 そしてファノンは、その表情のまま言い返す。

「……防ぐ手だては、あるよ。俺の力だからこそできる方法が。人知を越えた今の俺なら……いや、今の俺だからこそできる決断がある。フォーハード……お前なら、想像がつくんじゃないか? お前の言う未来を防ぐ方法が」

 ファノンはそこで、なぞかけのように口をつぐんだ。

 そこでしばらく沈黙ちんもくが流れたが、ファノンの意図するものをんだのだろう、今度はフォーハードが喋り始めた。

「そうか、そうだったな。確かにできるだろうさ……お前らしい方法だ。だがその方法の行き着く先はやはり──孤独こどくだぞ」

覚悟かくごの上さ……なあ、フォーハード……1つだけ聞かせてくれ。ずっと思ってたことなんだ」

「いいぜ。何でも来いよ」

 フォーハードは首をすくめて、ファノンの次のうながした。

「──お前のその破壊衝動しょうどうは、何なんだ? 一体なぜ、それほどに世界を憎んだ」

 ファノンが口にしたこの疑問は、ずっと気になっていたことだった。

 どんな生活をしていたら、世界中の人間を……いや、宇宙全ての魂を消滅させるために、尋常じんじょうならざる努力を始めるのか。

 世界滅亡めつぼうを空想したり、願ったりする人物なら、いくらもあるだろう。

 だがフォーハードは、計画し、スケジュールを引き、実行し、立ちはだかった問題を解決し、そして完遂かんすいさせたのである。

 これは単なる興味きょうみで聞いたわけではなく、未来の地図を描く時に、重要な気がしたのだ。

 二度と、フォーハードのような人物の現れない世界にするには、フォーハード自身から、たどってきた順路じゅんろを聞き出す必要があったのだ。

 ──この力を得れば、誰でもこうする。

 かつてフォーハードがファノンに接触せっしょくしに来た時、そう理由立てていたが……それはファノンにとって、あまりにも説明をはぶきすぎていると感じさせたのである。

「──かつて、お前らが旧代と呼ぶ世界を、俺は終わらせた」

 フォーハードはへたりこんだ姿勢のまま、とつとつと語り出した。

「その直前のことだ。と言っても、30年とか40年というスパンだったが。

 世界は終わる前に、5つの力を寄越してきた。

 強い核力、弱い核力、電磁気力、重力……それから俺の次元の力だ。

 だがこれらの力をさずけられた人物は、そんな力などなくとも、もともと別の力を持っていたんだ」

「別の力……?」

 首をかしげるファノンに、フォーハードはうなずいてみせてから、続けた。

「そうさ。

 強い核力の男には経済を手中しゅちゅうにする才能が。弱い核力の男には政治を席巻せっけんする魅力みりょくが……電磁気力の女には宗教を預かるカリスマが、重力の男には、歌で人々をつなげるエネルギーが。

 そして俺フォーハードには、破壊への渇望かつぼうがな。

 わかるか? これらは全部、世界を救うかもしれなかった力だ。

 だが、何の力も与えられなかったまま、俺たち5人と渡り合わねばならない奴が、その真ん中にいた。そいつは第6の力──心で、俺たちと分かり合おうとしたが、それは半ばのところで頓挫とんざした。そいつが死んだんだ」

「……」

「その時、第5の男はさとったのさ。世界を救うには、政治でも経済でも、宗教でも音楽でも……ましてや心でもない──破壊こそが救いだと。最近まで迷っていたさ。もしかしたら、人間どもを心でつなぐことはできるかもしれん、と。その迷いから生まれたのが、このセントデルタだったが、しょせんは華胥かしょの国。実現などゆめの中の話だった」

 そこでフォーハードは会話を打ち切り、口をつぐんだ。

 そのままフォーハードは天を見上げたが、ファノンでなくとも、それはフォーハードが懺悔ざんげをしているためだから、という風には見えなかった。

 だから、ファノンはそこで反論に出た。

「おいフォーハード……今、お前は破滅が救いだと言ったな? 確かに政治経済や宗教、音楽、愛には人をまとめる力があったし、実際、まとめられそうなチャンスは何度もあった。だが破滅はどうなんだ。殺されて幸せな人間が、どこにいる」

「旧代末期では、生まれた瞬間にチャンスそのものがない人間が、あまりにも多すぎた。生きていても、自分の持ち物をうばわれる以外に許されない人間が、多すぎたんだ。

 夢をえがけば、その土台を用意した奴に搾取さくしゅされ、希望の場所を持てば、その地の持ち主に搾取される。願いを抱けば、それを商売にする奴に搾取される。取り分はいつも、土台を提供した奴に、おそろしくかたよった配分がされる。富や権力を得るのは、つねに、座ったまま金を動かす連中だったわけさ。

 人々は、それに気づかなかった。

 おのれのためにと言い、他人や家族のためと言い、頑張がんばれば頑張るほど──座っている連中ばかりがもうけたんだよ。

 これらは防ぐことができた問題だった。

 もっと、連中は関心を持つべきだった。理不尽に頭を下げず、毅然きぜんと戦うべきだった。ひざを屈するべきではなかった。しかし、それはほとんど、おこなわれなかった。

 その妥協だきょうこそが格差を広げた原因だった。

 金の格差ができたら、さらにその流れは加速した。

 ──つまりは何のことはない。格差を生み出したのは、愚民ぐみんひとりひとりだよ。登用とうようされることを待ち、認められることを乞い、そのために、ひたすら自分を磨けば磨くほど、得をするのはそいつ自身ではなくなる。

 そういう独立を失った中で、人々はさらに首を絞められた。巧みに隠されながら賃金は減らされ、労力はかすめ取られた。

 かすめる方の連中は、好んでこの言葉を用いる──だが、われわれは雇用を産み出している──と。

 本当にそうか?

 たとえば旧代において、世界最大のスーパーマーケットに、ウォルマートという会社があった。その会社の規模は、純資産が中小国の国家予算並にあったものだが、税金はほとんど払っていなかった。タックスヘイブン……合法的に脱税ができるシステムだ。そのタックスヘイブンのひとつが、デラウェア州にあり、ウォルマートもそこを使っていた。

 使途不明金を私腹に入れることは、たやすいものさ。

 だが、そうして巨利を得るウォルマートの元で働く従業員には、フードスタンプを利用しなくては生きられない人間が多かった

 フードスタンプ。

 スタンプとはいうが、カードの形状をしている。いわゆる生活保護を受ける者が、食料配給を受けるためのカードである。

 だが、貧困家庭の彼らが選ぶ食料は、生きるために高カロリーなものがほとんどだった。

 それらはどれも低栄養で、これを食べるアメリカ人の多くは、肥満に悩まされるようになった。

 彼らは五体こそ大きいが、栄養が足りていないため、まさに『太っていた』だけだったのである。

「……連中は、ひたすら権力者の力を維持する部品として使われていたわけさ。権力者側は、その不満をふさぐために情報を封鎖するか、そうでなくては他国や他人、多民族のせいにした。そうすることで、人々から、己の不充不足から目をそらした。

 強者が弱者を武力で黙らせ、従わせるのは、もはや自然の摂理せつりと言っていいだろう。が、それだけじゃあない。強者は弱者をたらしこむことも得意としていたんだよ──それらは、いつも巧みに仕組まれていて、弱者のほうには従わされているという自覚さえ与えられない。

 1つ例を挙げるなら、地球温暖化が自然破壊によるものかどうかはうたがわしい、という議論だな。それまで、地球の温暖化は人間が利得のために自然環境を破壊してきたため、そのツケが回ってきた、という結論だったのを、石油関連企業のエクソン・モービルや、コーク、スカイフなどの、同じような企業が裏工作をして、自然破壊が環境に影響を与えたかどうかは疑わしい、という話をでっちあげた。これからも変わらずに石油で商売をするため、事実を封殺ふうさつしにかかったわけだ。

 空気中の二酸化炭素を調べれば、それが工場や車の排ガスから出たものか、そうでないものかがわかるのに、人民のほうには、ありもしない疑念が植え付けられた。

 そういう大衆操作の方法としては、もっともらしい肩書きを持つ人物が用いられた。利得屋が真実をねじ曲げるために、たっぷりと金を積むわけだ。この反温暖化議論には、マサチューセッツ工科大学の教授も使われたな。こういう人間がもっともらしく振る舞えば、当然ながら騙される人間が続出する。

 大衆操作だけではない。連中は監視と管理も得意だった。

 知っているか? 旧代イングランドでは、自国の人権活動家とジャーナリストをインターネットを通して監視していた

 知っているか? アメリカは日本がいつ裏切っても良いように、いつでも日本中の電力施設を完全に遮断しゃだんして、国家機能を自由自在に停止できたことを

 これらは2013年に、アメリカから機密情報を持ち出したエドワード・スノーデンによる提供で、俺の妄想もうそう論でも、陰謀いんぼう論でもない。ともかく、世の中はこういう成り立ちだったわけさ。

 だが、この状況が続くとどうなるか。

 まずは普通に暮らす人間への締め付けが増し、奪われ、きゅうし、あげく死ぬ者が増える。

 しかし次には、そういう連中から奪い続けていた奴らが、取り分を失って倒れることになる……いわゆる共倒れだが、これが知性を持った生物を自称する奴のやることか?

 それはまさに、自らのふくらはぎを切り取って自分で食うのと同じ行為だった。西暦620年前後の中国・唐時代に作られた貞観政要じょうがんせいようという本にあった忠告だ。それほど以前から警告されていたことなのに、誰もやめなかったんだよ。結局、人間は世界の破綻よりも、自分のエゴのほうが大事だったわけだ。

 しかもその流れは日に月に増長していった。

 俺は初め、彼らを教化しようとしたが、結局無駄だと知った。だから、連中を滅ぼすことで、幸福も不安も苦痛も生まれない世界にしたのさ」

「……話は終わりか? フォーハード」

 うんざりした顔で、ファノンが返した。

「……お前、忘れてるよ。その中には、死にたい奴などほとんどいなかった。奪われようと、負けようと、だまされようと、騙そうと、頭を下げようと──生きようと必死だった人々だ。お前は彼らの、そういう願いを全て無視したんだ。

 俺だって、謀略ぼうりゃくをめぐらして利権をふところに入れ、その果てに他者を殺す人間は軽蔑けいべつするよ。

 だけど、死ぬべき罪を犯した人間は、その中に何人いた?

 生きてはいけない人間が、その中に何人いた?

 お前は、数本の雑草ざっそうを殺すために、庭中に熱湯を巻いたんだ。そこには木もあり果実もあり、喜びも幸せもあったのに、お前はそれらを……それらを全て破壊したんだ。死んだ彼らはお前のやり方では、決して幸せを感じなかった。決して幸せになれはしなかった。破壊が救いと言ったが、これのどこが救いだ。どこが幸福だ。

 お前はかつて俺に、力を得れば、一部の人間ならそうする、と言った。

 それは違うと確信したよ。お前は耐えられなかったんだ。力を持ちながら、本当の救いをもたらす勇気がなかったんだ。理解するための根気こんきも、許すための勇気も、語り合う姿勢も、何もかも持ち合わせていないだけなんだ」

「あー……その辺の議論は、昔よくやったし、たいてい、似た感じの言葉で否定されたよ。そういう議論になれば、ほぼ必ず言い負かされたが、気にしたことはないね。なあファノン……大事なのは結局、いくら反論されようが、やったもん勝ちだってことだ。行動が大事だぜ」

「きさま、フォーハード……」

「だからこそ、だよ」

 フォーハードはおちゃらけた態度を捨てて、ファノンを睨んだ。

「理想論は吐くだけじゃ、何も始まらんぞ。お前の言うやり方とやらは、俺のやり方より、さらに難しい。破壊には俺一人の決心で充分だったが、お前の言う世界には、人間全員の決心が必要だ」

 フォーハードはゆっくり、ふるえる脚で立ち上がると、ファノンの側まで歩み寄った。

 そのフォーハードの顔面に、ファノンは手のひらをかざした。

「そしてそれは、実現することは不可能だ。人間は決心したがらない生き物だからだ。予言するぜ。お前らの作る未来は、過去と同じものにしかならない。もはやそれは、確定した未来だ。そんな未来なんぞ、1秒でも見たくはないね──」

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