165.独白

 ──今にして思えば、あの時からおかしかった。

 リッカは1人、熱に浮かされながら、プラチナの壁に背中をあずけ、昔のことに記憶をめぐらせていた。

 それは、今から16年前、リッカが4歳だった頃。

「彼女の名はクリル。このアレキサンドライトの塔に捨てられていた赤ん坊だ……しばらく私が育てていたのだが、人付き合いを学ぶ必要があるから、今日より塔から離れて生活させることにした──仲良くしてやってほしい」

 女神エノハが、小さなクリルの肩に手を添えながら、預かり親となる男女に告げた(この夫婦は、リッカの預かり親でもあった)。

「その左耳についてるのは何? その……左耳にくっついてるアクアマリンのかざり」

 預かり親の太ももにしがみついていたリッカが、引っ込み思案じあんなりに身体を乗り出しながら、クリルにたずねた。

 たしかこれが、クリルに初めて試みた会話だったはずだ。

「あー、これね……補聴器だよ。あたし、左耳があんまり聞こえなくてね」

 クリルはそう言って、自分の左耳を軽くおさえた。

 その受け答えに、リッカはこう思った。

 ──オトナと話してるみたい。

 その初対面のできごとは、その時は、大して気にめなかった。

 そのまま月日が流れて、その過去の一事がリッカの心にし返されたのは、10ヶ月前、モエクにせがまれて行った、アレキサンドライトの塔、48階書庫だった。

 モエクから『セントデルタの新聞を探して欲しい』と頼まれていたリッカは、言われるままに書庫を捜索して、すぐに、『それ』を見つけたのである。

 初めに発見したのは、セントデルタ暦45年のもの。

 つまり、今から456年前の新聞記事である。

『セントデルタ槍試合の優勝者・クリル』

 この文章だけだったら、同名の人物ぐらいで流していたところだったが……かなり大きなスペースを用いて、クリル本人の姿がデッサンされていたのだ。

 絵心えごころのある画家が新聞社にいたのだろう、槍をたかだかと揚げ、まるで凱旋がいせんを果たした英雄のように、人々から祝福しゅくふくされるクリルが、写実的に描かれていたのである。

 それでもまだ──これならクリルと顔と名前がたまたま似ていただけ、という可能性もなくはないのだが……リッカが他の新聞も探すと、その楽観論はくつがえることになった。

『槍試合の覇者はしゃで、ダイヤモンド研磨けんま職人のクリルさん、セントデルタ外で行方不明になる(48年)』

『コンニャクイモの毒素の取り方を復活させたクリル氏、その方法を広める(130年)』

『クリル氏の自宅、原因不明の火災。遺体は見つからず(136年)』

『害虫殺しにはヒガンバナだね、とクリルさん(152年)』

昨日さくじつ未明、クリルさんが川でおぼれる子供を助けるも、自身は川に流される。遺体は現在も見つかっていない(154年)』

『旧代にはカルガモ農法というのもあったみたいだよ、セントデルタ外での探検で、そう書いてある本を見つけた、と語るのは、クリル・モッタモッタン女史じょし(190年)』

『クリル女史の自宅、火災で消失。遺体は見つからず(193年)』…………。

 セントデルタ暦200年になっても、400年になっても、時折クリルの顔が描かれている記事が、散見されたのである。

 しかも、名前もしっかりクリルとしるされて。

 この有様を、どうやって理由付けるのか……リッカでなくとも、セントデルタ人なら、容易よういにその結論に至るはずだ。

 ──エターナルゲノムプロセッサ。

 人間の命を永遠に近いものにする、外科げか装置。

 旧代で格差をひろげ、かつ固定化してしまった悪魔の装置は、今ではただ一基、アレキサンドライトの塔に存在していることを、エノハは公表していた。

 この情報から導き出されるのは……クリルが、エターナルゲノムプロセッサを用いて、永遠の命を得ていたこと。

 少なくとも500年前から生きていること。

 クリルははるか以前から、人里にこのように現れ、セントデルタに直接、干渉かんしょうを続けていた。

 その干渉を続けるうちに、新聞に乗りたくなったのか、はたまたはからずも記事にされてしまったのだろう。

 そしてクリルは、自分が永遠の命を持っていることを隠すために、ときおり、不慮ふりょの事故でもよそおうか、それとも単に行方ゆくえをくらませるか、その時その状況に合わせ、うまくえんじてきたのだ。

 クリルは今回、弟ノトによって、解毒げどく剤の存在しないトリカブト毒矢で殺されたはずだが……エターナルゲノムプロセッサを始めとする未来の超技術なら、心臓が止まろうと血管内が毒液で満たされようと、生きびる術があった──

 ──モエクの奴は、そのへんを確信してたんだと思う。

 ──モエクがあたしをアレキサンドライトの塔へ走らせた日は、クリルがノトの毒矢で死んでから10日ほどのことだった。

 ──なぜ、クリルのに服すべき、そんな時期に、あたしをアレキサンドライトの塔へ急がせたのか……。

 ──あいつは、その頃のエノハ様の異常さに、気づいてたからだ。

 ──クリルが死んだ直後のエノハ様は、まるで生気の抜けた人形のように、統治に覇気はきがなかった。

 ──そう、クリルが死んだのと時を同じくして、エノハ様は人形みたいになった。

 ──モエクは、こう仮定したんだ。

 ──クリルが、エノハ様を操っていた。

 ──だからクリルが毒矢に倒れた時、エノハ様の所作しょさが、ラストマンとかARLWSアールゥスとか……ああいうAIにでも切り替わったんだ。

 ──そのせいで、エノハ様はまるで生きてる感じがしないばかりか、普段とも違う印象になってた。

 ──普段のエノハ様だったら、即座にタクマスみたいな奴の反乱なんか、未然に防いでたはずだもの。

 ──それができなかったのは……本体のクリルが昏睡こんすい中か、療養りょうようから離れられなかったから。

 ──だけど、わからないこともある……。

 ──なぜ、天上人てんじょうびとのクリルがセントデルタの人里で、こんなことをやってきたのか。

 ──バレる危険は、昔からあったはずなのに。

 ──それにモエク……あんたは、クリルの真実に気付きながら、ほとんど誰にもその事を語らずに、闇に帰った。

 ──その理由は、何?

 ──クリルが最期さいごまで好きだったから? それともセントデルタの無用の混乱を防ぐため?

 ──少なくとも、あたしが他言たごんしなかったのは……それでもやっぱり、クリルは友達だったから。

 ──殺し合ったあの日でさえ、そのへんは通じてたと思うんだ。

 ──でも、あの子は……何百年も生きて、これから何千年も生きることになるクリルには、あたしとの付き合いはどう見えたんだろう。

 ──そのへんのことは、もう、永遠にわかることはない。

 ──それでも……。

 リッカがそこまで思いをめぐらせていたところで、突如とつじょ、目の前に、小さな人影が立ってきた。

「リッカ……だいじょーぶ?」

 その人影から、おさなく、高い声がかけられた。

 リッカがゆっくり相手を見上げると、そこには4歳ほどの、フカフカと暖かそうな灰色ニットのワンピースと、カーディガンを羽織はおった少女がいた。

 リッカは彼女のことを、それはもう、良く知っている。

「ポンポ……1人でここにいて、大丈夫なの?」

 リッカは疲れた顔ながらも、優しくポンポに笑いかける。

「メイとアエフ、それにお母さんが、まち以外はあんぜんだって言ってたから……リッカだけ、このシェルター? から出てこなかったから、しんぱいになって、きてみたの。ねえ、なんで、せんそうは終わったのに、そんなところで寝ているの?」

「ああ……ホラ、あたしって、えらい人じゃん……? 色々あって疲れちゃっててね。やることはやったし、少し休もうかなって、思ってるんよ」

「リッカが……えらい人?」

 ポンポはリッカの言い回しを気に入ったらしく、くすくす笑った。

 だが、リッカの表情が笑顔のまま動かないことに気付くと、にわかに、ポンポの態度はおずおずとしたものになった。

「どうしたの? リッカ、からだ、わるいの? ねむったら治る?」

「ん……どっちかというと、眠い、かな? あーそうだ、ポンポ……お母さんに……モンモの奴に伝えといて欲しいんだけどさ」

「なになに?」

「色々、ありがとうって……ほら、こういうの、直接言うのって、恥ずかしいからさ。お願い……頼んだよ」

「まだ、ここでやすむの?」

「うん……だからお願いね、ポンポ……1人で帰ることになるけど……大丈夫だよね、あんたなら」

「うん、わかった! お母さんにつたえとく」

 ポンポは元気にうなずくと、振り返らずに、元気に出入口に向けて走り出していった。

 リッカはその背を、静かに落ち着いた目線で見送るものの……ポンポの姿が見えなくなると、すぐに身体全体で、力なくうなだれていった。

 おそってくるのは、脱力と、息苦しさと……そして、眠気ねむけ

 ──ごめんね、モンモ。

 ──お別れを言いたかったけど……もう、間に合いそうにないや。

 ──もう1日ぐらい、つと思ったんだけど……ここまでみたい。

 ──でも、良かったのかもしれない。

 ──あんた、優しいじゃん。絶対泣くもんね、あたしのために。

「──何をやってきたのか、わからない人生だった……それでも、ちょっとぐらいは、自分の命に意味があったって……誰か1人でもそう言ってくれる人がいれば……………それで良いのかもしれないね……………ね、クリル……モンモ……──」

 リッカはそうつぶやくと、そのひとみを、ゆっくり閉じていった──

次話へ