──今にして思えば、あの時からおかしかった。
リッカは1人、熱に浮かされながら、プラチナの壁に背中を
それは、今から16年前、リッカが4歳だった頃。
「彼女の名はクリル。このアレキサンドライトの塔に捨てられていた赤ん坊だ……しばらく私が育てていたのだが、人付き合いを学ぶ必要があるから、今日より塔から離れて生活させることにした──仲良くしてやってほしい」
女神エノハが、小さなクリルの肩に手を添えながら、預かり親となる男女に告げた(この夫婦は、リッカの預かり親でもあった)。
「その左耳についてるのは何? その……左耳にくっついてるアクアマリンのかざり」
預かり親の太ももにしがみついていたリッカが、引っ込み
たしかこれが、クリルに初めて試みた会話だったはずだ。
「あー、これね……補聴器だよ。あたし、左耳があんまり聞こえなくてね」
クリルはそう言って、自分の左耳を軽くおさえた。
その受け答えに、リッカはこう思った。
──オトナと話してるみたい。
その初対面のできごとは、その時は、大して気に
そのまま月日が流れて、その過去の一事がリッカの心に
モエクから『セントデルタの新聞を探して欲しい』と頼まれていたリッカは、言われるままに書庫を捜索して、すぐに、『それ』を見つけたのである。
初めに発見したのは、セントデルタ暦45年のもの。
つまり、今から456年前の新聞記事である。
『セントデルタ槍試合の優勝者・クリル』
この文章だけだったら、同名の人物ぐらいで流していたところだったが……かなり大きなスペースを用いて、クリル本人の姿がデッサンされていたのだ。
それでもまだ──これならクリルと顔と名前がたまたま似ていただけ、という可能性もなくはないのだが……リッカが他の新聞も探すと、その楽観論は
『槍試合の
『コンニャクイモの毒素の取り方を復活させたクリル氏、その方法を広める(130年)』
『クリル氏の自宅、原因不明の火災。遺体は見つからず(136年)』
『害虫殺しにはヒガンバナだね、とクリルさん(152年)』
『
『旧代にはカルガモ農法というのもあったみたいだよ、セントデルタ外での探検で、そう書いてある本を見つけた、と語るのは、クリル・モッタモッタン
『クリル女史の自宅、火災で消失。遺体は見つからず(193年)』…………。
セントデルタ暦200年になっても、400年になっても、時折クリルの顔が描かれている記事が、散見されたのである。
しかも、名前もしっかりクリルと
この有様を、どうやって理由付けるのか……リッカでなくとも、セントデルタ人なら、
──エターナルゲノムプロセッサ。
人間の命を永遠に近いものにする、
旧代で格差をひろげ、かつ固定化してしまった悪魔の装置は、今ではただ一基、アレキサンドライトの塔に存在していることを、エノハは公表していた。
この情報から導き出されるのは……クリルが、エターナルゲノムプロセッサを用いて、永遠の命を得ていたこと。
少なくとも500年前から生きていること。
クリルは
その干渉を続けるうちに、新聞に乗りたくなったのか、はたまた
そしてクリルは、自分が永遠の命を持っていることを隠すために、ときおり、
クリルは今回、弟ノトによって、
──モエクの奴は、そのへんを確信してたんだと思う。
──モエクがあたしをアレキサンドライトの塔へ走らせた日は、クリルがノトの毒矢で死んでから10日ほどのことだった。
──なぜ、クリルの
──あいつは、その頃のエノハ様の異常さに、気づいてたからだ。
──クリルが死んだ直後のエノハ様は、まるで生気の抜けた人形のように、統治に
──そう、クリルが死んだのと時を同じくして、エノハ様は人形みたいになった。
──モエクは、こう仮定したんだ。
──クリルが、エノハ様を操っていた。
──だからクリルが毒矢に倒れた時、エノハ様の
──そのせいで、エノハ様はまるで生きてる感じがしないばかりか、普段とも違う印象になってた。
──普段のエノハ様だったら、即座にタクマスみたいな奴の反乱なんか、未然に防いでたはずだもの。
──それができなかったのは……本体のクリルが
──だけど、わからないこともある……。
──なぜ、
──バレる危険は、昔からあったはずなのに。
──それにモエク……あんたは、クリルの真実に気付きながら、ほとんど誰にもその事を語らずに、闇に帰った。
──その理由は、何?
──クリルが
──少なくとも、あたしが
──殺し合ったあの日でさえ、そのへんは通じてたと思うんだ。
──でも、あの子は……何百年も生きて、これから何千年も生きることになるクリルには、あたしとの付き合いはどう見えたんだろう。
──そのへんのことは、もう、永遠にわかることはない。
──それでも……。
リッカがそこまで思いを
「リッカ……だいじょーぶ?」
その人影から、
リッカがゆっくり相手を見上げると、そこには4歳ほどの、フカフカと暖かそうな灰色ニットのワンピースと、カーディガンを
リッカは彼女のことを、それはもう、良く知っている。
「ポンポ……1人でここにいて、大丈夫なの?」
リッカは疲れた顔ながらも、優しくポンポに笑いかける。
「メイとアエフ、それにお母さんが、まち以外はあんぜんだって言ってたから……リッカだけ、このシェルター? から出てこなかったから、しんぱいになって、きてみたの。ねえ、なんで、せんそうは終わったのに、そんなところで寝ているの?」
「ああ……ホラ、あたしって、
「リッカが……えらい人?」
ポンポはリッカの言い回しを気に入ったらしく、くすくす笑った。
だが、リッカの表情が笑顔のまま動かないことに気付くと、にわかに、ポンポの態度はおずおずとしたものになった。
「どうしたの? リッカ、からだ、わるいの? ねむったら治る?」
「ん……どっちかというと、眠い、かな? あーそうだ、ポンポ……お母さんに……モンモの奴に伝えといて欲しいんだけどさ」
「なになに?」
「色々、ありがとうって……ほら、こういうの、直接言うのって、恥ずかしいからさ。お願い……頼んだよ」
「まだ、ここでやすむの?」
「うん……だからお願いね、ポンポ……1人で帰ることになるけど……大丈夫だよね、あんたなら」
「うん、わかった! お母さんにつたえとく」
ポンポは元気にうなずくと、振り返らずに、元気に出入口に向けて走り出していった。
リッカはその背を、静かに落ち着いた目線で見送るものの……ポンポの姿が見えなくなると、すぐに身体全体で、力なくうなだれていった。
──ごめんね、モンモ。
──お別れを言いたかったけど……もう、間に合いそうにないや。
──もう1日ぐらい、
──でも、良かったのかもしれない。
──あんた、優しいじゃん。絶対泣くもんね、あたしの
「──何をやってきたのか、わからない人生だった……それでも、ちょっとぐらいは、自分の命に意味があったって……誰か1人でもそう言ってくれる人がいれば……………それで良いのかもしれないね……………ね、クリル……モンモ……──」
リッカはそうつぶやくと、その