166.本体

「やっと会えたね、ファノン」

 クリルは執務しつむ机のそばに立つファノンにげながら、壁ぞいに進んで、架けられていた2本のダイヤモンドの槍を取った。

 クリルので立ちは、あい色のスポーツブラにスパッツという、そこはかとなくラフなものだった(夏場、家にいる時、たいていクリルはこの格好かっこうだった)。

「長い道のりだった。あなたにとっては一瞬だっただろうけどね」

 クリルは片方の槍を地面に置くと、ファノンに向けて、アレキサンドライト・タイルの床の上にすべらせてきた。

 重いダイヤモンドの槍は、やはり重そうにゆっくりと回転しながら、ファノンの足元へたどりつく。

 ファノンはそれをだまって拾うと、をタイルに乗せながら持ち上げた。

「クリル……俺は前世のことまで、全て思い出した。俺はその頃から、お前のことを知っていた。お前はずっと、俺を守ってくれてたんだな」

「まあね。健気けなげでしょ?」

 クリルは左耳にかかっている、アクアマリンの補聴器ほちょうきをはずすと、床に放り捨てた。

 かちゃんと音を立てて寝そべるそれは、補聴器というには、あまりにも精巧せいこう細工物さいくぶつにしか見えなかった。

「それ……補聴器じゃなかったんだろ?」

「うん。これ、ホントはね……脳波でエノハを動かすためのものだったんだ」

「コントローラー……いや、ファンネル的なものか」

「その元ネタなら、わかるよ。あたしはニュータイプでも何でもないけどね」

 クリルはくすっと笑いかけた。

 それは、ファノンと日常を過ごすとき、時折ときおり見せた表情と、なんら変わらなかった。

「てっきり、ノトのどく矢で死んだかと思った。お前が死んだ悲しみで……世界が吹っ飛ぶ直前だったんだぞ……お前の死体だって、間違いなく俺の手でジルコンの穴に投げ落としたはずなのに」

「ばっちり死んでたよ。流葬りゅうそうのあと、あたしの死体は、チェルノスが拾ってくれた。左耳のマシンがあったら、場所もわかるからね」

「チェルノス……? ああ、タクマスの反乱をあっという間に鎮圧ちんあつした、あのマシンか」

「うん。あなたに瞬殺しゅんさつされてたけどね……まあともかく、拾われてしまえば、あたしの復活は、さして問題なかったわけ。なにしろ、復活のための技術がここには一杯あるからね。おかげで、何とかこうして生き残ることができた」

 クリルはファノンの数歩前まで進み出ながら、話を続ける。

「……旧代では、永遠の命だけじゃなく、あらゆる不可能、あらゆる摂理せつり、あらゆる限界をくつがえす技術が、同時に研究されていた。

 がん克服こくふく風邪かぜやインフルエンザ、SARSサーズやエイズ、エボラ出血熱の撲滅ぼくめつ、永久機関、宇宙空間や別惑星への移住……。

 そういった技術の1つが死者の復活。そりゃそうだよね。永遠の命を達したら、次は死んだ人間をよみがえらせよう、と思うのは当然だよ。

 旧代末期には実際、限定的ながら、死んだ人間の蘇生ができるようになっていた。あたしみたいに、死んだ直後なら、何とかなるレベルのね。

 ただ、さすがにすぐには意識は戻らなかったから、しばらくエノハの脳波コントロールができなかった。それで、アレキサンドライトの塔に引き上げられたあたしだけど、そのへんはAIが代わりをしなきゃならなかった……AIはラストマンより古いシステムだったから、違和感いわかんアリアリだったね。そこをモエクとリッカに突かれて、バレちゃったわけ」

「リッカから渡された新聞は、俺も見たよ……だけど、そんなことをしていた理由は、良くわからないな。お前は、丁寧ていねいに顔まで描かれて、記事にされていた。

 なぜ人里ひとざとに降りた? 俺が転生するまで、あんなことをせずに大人しくしていれば、新聞にることもなかったはずだ」

「……そう考えることができたのは、4年くらいだったかな」

 クリルは遠い目になって、ファノンの背から差してくる、アクアマリン窓の斜陽しゃようを見つめた。

「あたしも最初は、エノハになりきって、セントデルタの統治とうちをしようと決心してた。

 でもね……この仕事はそもそも、フォーハードとの密約で産まれたもの。ここはあたしの理想の世界じゃあない。フォーハードの理想の世界だったの。たしかに、20歳で死ぬ運命を強いたのはあたしだけど、それ以外のことは、全部フォーハードのはからいだった。あたしは、人間を抑えつけるという、最も嫌う仕事に従事しなければならなかった」

「お前はしょっちゅう、人々の目の前で、『エノハ様』に直接、問題提起ていきをしていた。セントデルタは20歳で死ぬことは間違っている、文明復活の禁止は間違っている、とな」

「あー……あれね。7話『アポトーシス』とかで、あたしがエノハに喋ってたような話のことだね?」

「いちおう、ほぼ最終話なんだから、そういう野暮やぼなことは言うなよ……」

「ストーリーの骨組ほねぐみを触らないと気がすまないからね。それで?」

 クリルはまったく悪びれたわるもなく、両肩をすくめてみせた。

「……あれは結局、セントデルタという世界に生まれたデメリットを語ってただけだったんだな。人間を20歳に閉じこめるのは、お前自身が生み出したものなのに、それさえ否定していたのは……つまり、お前はアポトーシスを、あやまりだったと気付いてたんだ」

「そうだよ……そのへんの結論になるのは、すぐだった。

 だからセントデルタの運営を始めたら、さっそく破綻はたんが始まったよ。

 確かに、初めの頃のあたしは、人間の寿命が20歳ぐらいで尽きたほうが、人々は清く美しく生きられると信じていた。

 でも、実際に人間の復活をおこない、20年の呪縛じゅばくでからめてみたら……苦しいのは彼らだけじゃなかった。なぐってみたら、殴った手のほうが痛かった、ってオチだね。

 仲良くなれば死に、親しくなれば死に、大切になっても愛着あいちゃくをもっても身罷みまかることになったんだよ。

 わかる? 何年っても、人は人の死に慣れはしない。仲間や友達、親しい人、尊敬そんけいできる人は、この500年でたくさん見てきた。

 その人が、1人死んでいけば、起きていても寝ていても、地獄じごくのような苦しさと悲しさがのしかかってくる。そうして、後には取り残された、無力なあたしだけが残るの。

 それでも、あなたが現れることだけを頼りに、何とか生きる望みをつなげてきた。

 500年前のあなたは死ぬ間際まぎわ、あたしに、生まれ変わって会いに来る、と話した。でも、あたしは500年も待ちきれなかった。耐えられなかったんだよ。だから、あたしは街の人々に助けを求めた。出会えば別れが待っている……それは知ってるけど、結局のところ、あたしはやっぱりさびしがりだったんだね。1人でアレキサンドライトの塔にこもっている、なんてできっこなかった。その頃は、毎日泣いてたな。

 街に出れば、寂しさをまぎらわすことができた。

 ……エターナルゲノムプロセッサは人間の身体を作り替えることもできるから、子供に戻ったりしながら、人々と関わり続けてきた。

 フォーハードはあたしがそんなことをしてるのに気づいてたけど、本気になって止めはしなかった。特に止める理由もないと判断したんだろうね。

 そして500年──やっとあなたは現れた。

 役目を終えたような気がしたし……これから、本当に終わらせなきゃならない」

 クリルは床から槍のを離すと、ファノンに向けて構えた。

「フォーハードが死んだ今、セントデルタは旧代をなぞって動き出す。その時、あたしは存在してはいけない。あたしの身体には、旧代の秘密ひみつがてんこもりだし。あたしの身体とエターナルゲノムプロセッサ。このどちらかが存在すれば、すぐに旧代はいびつな世界に戻るんだよ。

 でもその前に、あなたに勝負を申し込むよ。あなたを殺してあたしも死ぬって話。無理心中むりしんじゅうってやつだね」

「聞いてもないのに、色々と説明してくれたもんだ。ラスボスに相応ふさわしい口上こうじょうだよ」

 ファノンもまた、あずけられていたダイヤモンドの槍を、構えた。

 両者、まったく同じ構え方で向かい合い──しばらく時が止まったように、そこで静止した。

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