169.残ったもの

 3年後、朝霧あさぎりの舞う早朝。

「アエフ、ここにいたか」

 ダイヤモンド中央広場『ジルコンの墓穴』に立つアエフの背に、19歳になったメイが話しかけた。

「あっ、メイさん……おはようございます」

 アエフは振り返ると、少しばかり疲れた声で返事をした。

 その声は、変声期の終わった、大人と同じものだった。

「会議まではまだ時間がある。少しは寝なくていいのか? 寝ずに働くとか、モエクに似てきたぞ」

「似てきた、なんてのはめ言葉ですよ、メイさん。まずはこの成果報告を、モエクやリッカさん、モンモさんやゴンゲン親方に報告をと思って……」

 アエフの成果報告。

 3年前、フォーハードの襲来しゅうらいが終わってから、エノハは姿を隠してしまった。

 ――この地球を救ったはずのファノンも。

 それからアエフは、エノハのいなくなったアレキサンドライトの塔へ入って、ロストテクノロジーである『ヒトゲノム解読』のデータを探し出したのである。

 目的は、人類の寿命じゅみょうの復活。

 幸い、エノハの塔にはそういう機材がそろっていた(もともとセントデルタ人を20歳の寿命に閉じ込めた場所なのだから、存在して当然だろう)。

 そしてつい昨日、アエフは人間の変異したアポトーシス遺伝子の場所を特定したのである。

「これで人類は、もとの寿命を取り戻すことができる。すでにアポトーシス遺伝子をさずかって生まれている僕達は、20歳で死ぬのは避けられませんが……それでも、これから産まれる子供達まで、僕らが味わったことを辿たどらなくて済むんです。といっても、すぐに平均寿命を80歳にできるわけではありませんけど。まずは髪の毛から、寿命を戻した人を誕生させ、その人物に子供を残してもらう。アポトーシス遺伝子は劣性れっせい遺伝だから、世代を隔てれば消えていくっていう寸法です」

気長きながだが……人類の復活には欠かせない第一歩だな。よくやった」

 メイがねぎらった。

「医者の勉強、やってて良かったです……」

 アエフがそう返したところで、だった。

「アエフーーー」

「あえふー、あえふー」

 アクアマリン通りのほうから、小さな女の子が2人、アエフを呼びながら駆けてきた。

「ポンポ、モエカ」

 アエフが女の子たちの名前を呼び返した。

 ポンポは、モンモの娘で今年で7歳になる。

 そしてもう1人の3歳の子モエカは……モエクの遺児いじである。

 アエフは預かり親として、子供に慕われる人物になっていた(そしてさらに来年には、メイの指名を受けて、町長に就任しゅうにんすることになる)。

「すまないね、ポンポ、モエカ……心配させた。ご飯、すぐに作るから」

「アエフ、徹夜てつやしてるから、あたしが作ったよ!」

「あたし、ジャガイモのかわ、むいた」

 2人の女の子が、口々にアエフをおもんぱかってくる。

「そうか……ありがとう、な」

 アエフはそれぞれの手でポンポとモエカのほおを軽くでてから、メイになおった。

「そういう訳ですので、メイさん。朝の会議には少し遅れます。朗報があるってことを自治会に伝えといてもらえれば」

「わかった。忙しいのにすまないな」

「じゃあ、また後で。行こう、ポンポ、モエカ」

 そう言い残して、アエフはポンポ達とともに、アクアマリン通りへ帰っていった。

「……」

 その背を見送るのもそこそこに、メイはひとり、かまくらのような姿で構える『ジルコンのふた』へ向き直った。

 セントデルタ人が死んだ時、最後に向かう、地下水脈への穴をふさぐ蓋である。

「──なあファノン。お前の望んだ通り、世界は元に戻りつつある。これが……色んな人が、命をけて手に入れるべきものだったかどうかは、まだわからないし、私はその答えを見る前に、闇に帰るんだろう」

 メイはふところから、ファノンの自室にあった、ピンクの風呂敷ふろしきを取り出した。

「クリルさんの記録は、見事にリッカがすくい上げてた。塔の書庫を隅々まで探したが、このピンクの包みにあったものが全てだった。仕事をきっちりこなすってのは、あの人らしいよ」

 メイはそうひとりごちると、紫の袱紗ふくさから、ジルコンの鍵を取り出し、『墓穴』への扉を開けた。

 そして重々しい宝石の蓋を、メイは難渋なんじゅうしながら開けきると、その暗闇の中へ、ピンクの包みを放り投げてしまった。

「やっちまった……こうするのに3年はなやんだことになる。だが、これでいいんだ。これを捨てた今、クリルさんは……あの人は悩まなかったことになった。あの人はためらわなかったことになった。

 歴史ってのは往々おうおうにして、そういうことにされるもんだ。歴史の偉人いじんってのは、聖人で、正義のことしか頭にないってことになるもんだ。だから私もそれにならって……クリルさんを……いや、エノハ様を、一瞬たりとも迷わず、このセントデルタの維持に努めた人に仕立て上げるんだ。

 それをうたがう者もいるだろうが、そういうことにしないと、これからの世界の運営が、少しばかりやりにくくなるから」

 メイは重いジルコンの蓋を閉め、鍵をかけると、んだ青空を見上げた。

 その日も、セントデルタの宝石がわらや宝石通りの反射を受けた光が、雲に照らし出され、見事な七色の輝きを放っていた。

 ジュエル・プリズムである。

「いったい、フォーハードの反乱からこの世界は、何が進歩したのだろう。失ったものだけはハッキリわかるのに、得たものは何なのか。おそらくそれは、誰も答えられない。

 だが、世界はおそらく旧代をなぞることになる。その時フォーハードが再臨する世界になるかどうかは、その時代その時代の為政者にかかっているわけじゃあない。

 為政者いせいしゃが横暴を働くなら、それを許した国民の責任だ。為政者が善政をくなら、それは国民の成果だ。

 だから人々は、自分の身に関わりのあること全てに、興味を持たなくてはならない。

 夢を描くことは大切だ。目標を持つことは大事だ。だが、たいてい、夢や目標は利権を持つ者に利用される、ということを忘れてはならない。

 ただ頑張がんばるだけでは、自分自身の格差や貧富ひんぷを手助けするだけになる。将来の不安を見越して金を貯める、なんてことは、アリでもできることだ。私達は知能があり、叡智を持つと自称するなら、それ以上を目指さなくてはならない。

 必ず、他人に利用されないことにも注意を払う必要があるんだ。

 それを達することを、独立と呼ぶ。どんな妨害にあってもそれを貫くことを、孤高ここうと呼ぶ。私はその努力さえできずに死ぬわけだが……これからは違う。

 人間世界はけっきょく、人間1人1人が作り上げるものだ。私達は、それを強く自覚しなければならない」

 メイは空を見上げたまま、もしかしたらファノンがいそうな方向を夢想しながら、そちらへ語りかけた。

「──と、まあ……こんな言葉を、このあとのスピーチででも、未来に残そうと思うんだが……ファノン……お前なら、喜んでくれるだろ?」

 その言葉に返事があるはずもなかったが、メイは一抹いちまつの満足を得ていた──

 

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