17.セントデルタ

 エノハの住む塔、それを構成するアレキサンドライトという宝石は、かなり特殊な石である。

 発される波長により、色が変わって見えるのだ。

 どういうことかと言うと、宝石に内包されるクロムの吸収効果によって、強い日の光で照らすと、エメラルドと同じ、あざやかな緑に輝くが、夕日やロウソクの灯に当てると、赤色に姿を変えるのである。

 ともかく、セントデルタにあっても希少な、そのアレキサンドライトだけで作られた塔は、街の中心からだいぶ逸れたところの、緑色の宝石が特徴のエメラルド・ペリドット通りにそびえている。

 このセントデルタは、500年前に濃尾平野と呼ばれたところの北部分に打ち立てられた、人口1万の街である。

 デルタと名がつくのは、旧木曽川と旧長良川にはさまれる場所に位置するからである。

 水爆の男フォーハードにより、地球の原発の70基が水没したことで、地球に放射線の影響のない場所はなくなった。

 一基の原発の放射線被害がどのようなものかを知るには、かつてソビエト連邦という国にあったチェルノブイリ発電所の例が適当だろう。

 チェルノブイリ原発事故とは、1986年に起こった、ずさんな運営管理のために起こるべくして起こった、大規模な放射能汚染事故のことである。

 少なくとも4000人(これより多い可能性もある)の死者を出し、それ以降、周辺地域の子供に甲状腺がん、成長の遅れ、大人でも気管支不全、体調の悪化、子宮がんや大腸がんなどが起こり、チェルノブイリ周囲の雑木林の落ち葉が腐らなくなった、という報告もあった。

 チェルノブイリ事故から数えて約600年経ったこのセントデルタの時代でも解決していない問題だし、その完全な浄化には、太陽さえ燃え尽きると言われている、あと100億年のちのことだ。

 チェルノブイリの事故より25年後の西暦2006年、英国保健省がウェールズ355ヶ所、スコットランド11ヶ所、イングランド9ヶ所の農場でチェルノブイリ原発事故の調査をしたことがある。

 そこで調べた羊、合計20万頭が、セシウム137に汚染されていた、という報告が出ているのだ。

 セシウム137が半減期を迎えるのは……つまり半分の量の物質になるのは30年。

 もちろんセシウム137だけでなく、ウラン235、プルトニウム239などの消えにくい物質も、フォーハードの手によって、海に流れこんだのである。

 500年たって、それらはいずれも経年によって半減期をなぞったものの、その影響は今もなお濃く残っている。

 だが放射線という目に見えないカミソリが飛び交っているのは、セントデルタ外での話だ。

 リクビダートル。

 かつてチェルノブイリ発電所で作業していた人々の呼び名で、意訳すると決死隊、ということになる。

 そのリクビダートルの名前を借りた、まさに決死隊が、あるかないかわからない、放射能汚染のされていない土地を探し、遭難し、海難し、ロボットに襲われて横死しながら、かろうじて見つけたのが、ここセントデルタだった。

 理由は今にいたるまで謎だが、このセントデルタには、放射線はいっさい来ず、川の魚も木の実も、飲める水も取れる作物も、すべてが放射能汚染されることがなかった。

 リクビダートルの犠牲の上に発見されたこの土地を、残った人々は願いをこめて、聖なる川のまじわる三角の大地、セントデルタと名付けたのである。

 このアレキサンドライトの塔はその安逸の土地の中心、として建立されたのであるが、あとで調べてみると、その中心点は少しばかりズレていたため、ほんらいの中心地には、死者をほうむるためのアレキサンドライトの中央祭壇が置かれることになった。

「フォーハードの動向は何かわかったか?」

 七つの放射街路ののびる中央広場を、アレキサンドライトの塔のテラスから見下ろしながら、エノハが横のリッカにたずねた。

「いまも調査を続けてますが……目撃者さえいないんです」

 リッカがわずかにくだけた口調で伝えた。

「ふむ……人々に行方不明者が出ていないのは幸いではある。奴が動くとき、そういうことが増えるからな。引き続き、部下の安全性を重視して探してくれ」

「はい」

「で、だ……実のところ、もう一つ心配事のタネが増えそうなのだ。自警団には、そちらにも力を入れてもらいたい」

「心配事、とは……フォーハードのことより、見過ごしがたいことですか?」

「奴と同等のことかもしれん。フォーハードによる水爆炸裂と殺人ロボットのばらまきによって、地球の人口が4億にまで減ったのは、お前も知っていようが、そのあと、この地球に覇を唱えた男がいた」

「存じてます。享楽の王ゴドラハン。フォーハードの水爆津波による、原発の水没のために放射能化した海や大地の中、食料さえまともに得られなくなった地球で、自分についてくれば酒池肉林を約束すると言って、一大勢力を築いた男」

「うむ。そしてそのゴドラハンに対抗する勢力が、私だったことも知っていよう。だが私は人々の支持を得られていなかった。人間を20歳の寿命に統一し、人種も言語も宗教もただ一種類のみにする、という話など、誰も見向きもしなかったのだ。

 それでも私はゴドラハンに打ち勝った。奴らはしょせん快楽が欲しかっただけの烏合うごうの衆。皆が皆、自分のことばかり考えていたから、自滅したのだ」

「その時にゴドラハンは死んだ……と、このセントデルタ歴史教科書には書いてあります。まさか」

「ああ、ゴドラハンは生きている」

「ゴドラハンまでが……」

 リッカは絶句かげんにつぶやいた。

「なぜ、それほど大事なことを隠されていたのですか」

「フォーハードが死んでいないことも、ゴドラハンが生きていたことも、知りながら隠していたのは、人々の混乱を招かないためだ。

 ゴドラハンは500年った今もまだ、生きている。私とフォーハードを倒すためにな」

「500年も生きる人間、ということですか……執念だけでは無理な気もしますけど」

「そう、人間にはほんらいの寿命がある。頑張っても120年ほどのな。

 ゴドラハンの話をするためには、500年前のフォーハード誕生よりも少し以前の話にさかのぼる必要がある。

 かつて私やフォーハード、ゴドラハンの生まれた時代は、便利な利器がそこらにあふれていた。

 だがそれが加速したのは、私の時代からではない。

 産業革命という発明品が現れたころのことだ。

 そのおかげで人々は便利を手にすることができた。

 だが時代が進むと、さまざまな物事を、経済システムと無人機械が代替するようになった。

 船の漕ぎ手は機械になり、物の運び手も機械になり、物品の作り手も機械になった。

 人間の手がそれほど必要となくなったことで、その機械の恩恵を手にしたものは、莫大な富を得た」

「このセントデルタではありえない話です……」

未曾有みぞうなことかもしれんが、当時の人間にとってそれはよくある話だし、とどめられる話でもなかった。その富を得た者も、べつに悪意から人々の便利を求めたのではない。みずからの名声と、自分が知る人々の幸福を願って努力したわけだからな。よい物ができるまでの過程だと見ることもできるわけだ。

 だがそれに加えて、あるころから、人間の中でも難しいとされてきた仕事まで、機械が行うようになってきた。

 それまで単純作業しかできなかった機械が、ついに一部の人間の、高度な職務も担いだしたのだ。

 当時からオックスフォード大学などが警告を発していたことが、現実になったのだ。じっさいに会社受付は機械が負い、修理は機械がおこない、電話対応も機械が待機し、果ては銀行員の出資の判断まで機械がする。あるときから数百種類の職が、人間より機械がうまくこなせるようになった」

「ひどい時代ですね。まるで機械をそだてるために人間が頑張ってきたみたいです」

「とはいえ、それも産業革命が始まったころから少しずつ起こっていたことだ。

 だが、その流れに決定的なことが起こった。

 人間が、永遠の命を得る技術を開発したことだ。

 すでにその技術が生まれた時には、1パーセントの超資本家が、経済や政治を牛耳る時代。

 座したまま、汗水たらして働く人間の数億倍をかせぐ人間が、若い体をとりもどし、死ななくなったのだ。

 それが子供を残し、それもまた数億、あるいは数兆の富をみずからに集中させる。

 それまで富は、その持ち主が死ぬことで、あるていどは富をまわりに拡散させていた。

 だが、それが停滞してしまったのだ。日を追い月をまたぐに従い、死なない資本者はさらに富を集めていった。

 中流階級は減り、窮乏人はさらに増えた。

 不満をうったえる場所もない中で、フォーハードが生まれた。

 そして、奴は金持ちも貧乏人も、まとめて殺してしまった。人間が生きる限り、このサイクルは続くから、という理由でな」

「フォーハードが凶行におよんだ理由。それが永遠の命だというのはわかりました。

 そして500年をいまだに生きているゴドラハンが、その1パーセントの生き残りだということも。

 超資本家でなくては、永遠の命を買うことはできなかったでしょうし。

 なぜ教科書では、まだ生き延びている彼を死んだことにしているんですか」

「ゴドラハンが生きていると知ったら、人々はどう思う? 奴はかつて、この地上にただれた世界を作ろうとしていた。遺伝子操作で美男美女をそろえ、みなで永遠の命を得て強欲の限りを尽くそうと唱えたのだ。

 やつの主張は、あまりにもセントデルタとは矛盾する世界だ。

 だからこそ、奴の教えになびくものもいるだろう。奴が生きていれば、奴に迎合もするだろう。

 奴には死んでもらわなくてはならんのだ。これまでも、これからも」

「ゴドラハンの居場所はわかるんですか」

「見当もつかんが、おそらく奴は、ここを監視できる位置には陣取っているはずだ。だからこそ、フォーハードの動きに同調すると踏んでいるのだ。

 ゴドラハンにとっては、私の究極倫理の世界も、フォーハードの破滅の未来も邪魔なのだからな」

「このセントデルタ以外で、放射能汚染されていない場所があり、そこでゴドラハンはエノハ様を倒そうと目論もくろんでいるのですか……?」

「セントデルタは特別だが、唯一無二のものではない。ここが聖なる場所と名付けられたのは、なによりも人が社会を形成するだけの、広い安全圏を温存していたからだ」

「小さなホットスポットが、いくつかある……と。そこにゴドラハンは住み着いているわけですね……ゴドラハンのことも織りこんで動きたいんですが、私ではどうすればいいか……」

「簡単なことだ」

 エノハは目下の街に落としていた視線を、ここでやっとリッカに向けた。

「キーワードはファノンだ。あの子に注意を向けてやってくれ。フォーハードもゴドラハンも、狙いはあの子のはずだから」

次話へ
このページの小説には一部、下線部の引かれた文章があります。そちらはマウスオンすることで引用元が現れる仕組みとなっておりますが、現在iosおよびandroidでは未対応となっております。