171.エピローグ

「──マルチバース仮説だと、10500の宇宙の内、原子や分子が構成できるような宇宙は、一握りだそうだ
なんでも、俺達の住むような、素粒子から原子が生成できる『生きた宇宙』になるのは、
10120個の宇宙の内で1個だとか。
それ以外の宇宙は、軽すぎて雲散霧消うんさんむしょうしたり、ミクロの大きさほどに宇宙の密度がまったまま終わるものが大半らしい」

「ふうん……あなたのおかげで見えてるけど、あそこにあるのが、つまり原子さえ組成そせいできなかった、死んだ宇宙ってことだね?」

 ファノンの横に立つクリルが、ガラス越しにのぞける『死産の宇宙』をながめ、ぼそりとつぶやく。

 今、2人は、大きな丸いガラスの球体の中にいた。

 ファノンの作った、即席宇宙船である(2人のいる場所が『宇宙』と仮定すればの話だが。ビッグバンによる『空間の始まり』が行われていないのだから、そこは間違いなく宇宙空間ではなかった)。

 その球体は屋敷のように広大で、空気と気圧と重力と、ほどよい赤外線と紫外線があり、土もあれば田や畑もあった。

「ああ、そうさ……今からあれに力を加えて、ビッグバンの起こりうる宇宙に変える。さすがに側から離れたほうが良いから、その間に、別の宇宙を探しにいこう」

 そう語るファノンは、すでに宇宙に火種ひだねを仕込む仕事を終えたらしく、さっと身をひるがえして私室のほうへ進んでいった。

「今、地球ではどれぐらい時間がったのかな」

 クリルがガラスの向こうを見たまま、ファノンに語りかける。

「何だ、クリル。地球が恋しいか?」

「あなたもでしょ? あたし達は地球生まれだからね」

「この場所じゃ、時計もカレンダーも意味をなさないけどな……でも確かに、世界がどう変わったか、見てみたくもあるな……次の死んだ宇宙に『火』をつけたら、一度、地球に里帰りしてみるか?」

「いいね、ファノン。あたし、世界がどうなったか見てみたい。建物とか文化とか、きっと何もかも旧代とは違うはずだよ。もしかしたら、人間の格好かっこうさえ変わってるかもしれない」

「人間さえいなくなってるかもな。ラストマンもツチグモも退治せずに地球を出たから。例え人々がホロコースターに勝利していたとしても、彼らは環境破壊が趣味みたいなもんだから、今頃は地球にお断りされてるかもしれない。太陽は俺が一度、再組成してるから、寿命じゅみょうは大丈夫だと思うけど……なにぶん時間があっちでどう進んでるかわからない。何とも言えないな」

「そういうのを踏まえても、見てみたいんだよ……どんな結末でも、イラついたりしないでね。今のあなた、ちょっとムカつくだけで宇宙を原始のスープに戻せるから」

「まるで神様だな、俺達」

「神様だったよ、少なくともあたしはね」

「そうだったな。姉だと思ってた」

「やっと姉と言ったね……でも今となっちゃ、姉じゃなくよめと言ってほしいもんだけどね」

「ちゃんとプロポーズはしたからな。これ以上はカンベンしてくれ。俺は恥ずかしがり屋なんだ」

「そうだよね。でも、そのおかげで、あたし達の仲は進展したよ」

「あれには、本当に勇気が必要だったよ」

 そこでしばらく、2人は笑い合った。

「──地球のことだけど……変わらないものもあるさ」

 少ししてから、ファノンがしんみりとした表情で語りながら、クリルに振り返った。

 クリルもまた、ファノンの仕草しぐさを感じ取り、振り向いてその視線を受け止める。

「生き物の心はきっと、今も、何も変わらない。おそらく、生物が誕生たんじょうした時から、何も変わってない。これからも変わらないだろう。だから、生きる者はみな、それを大事にしなくちゃならない。生きる者の摂理をないがしろにすれば、何度でも、何回でも、何人でも、フォーハードが生まれることになる。そういうのを防ぐのは結局……経済でもいいし、政治でもいいし、力でも宗教でもいいが──そこには愛と、叡智えいちが含まれてることが必要だ。地球に帰るなら、そういうのを探しても良いんじゃないかな」

「うん……メイ達や、あたし達が残そうとしたもの──それが少しでもあれば、嬉しいと思う」

 クリルはそう言うと、ファノンと共に、強くうなずいた──

The end of the law   
The beginning of dark and light…