20.モエク

 何をファノンはこんなに張り切っているのか。

 理由はいちばん、自分がわかっている。

 フォーハードの不吉な宣告がまだ、胃袋に消化されずに残っているのである。

 宇宙の永遠の終わりを実現する力。

 そんな力、自分にはない……と信じたい。

 そう、俺にはほかにできることが……と考えようとするが、その先の答えが浮かばないのである。

 ファノンには、やりたいことがない。

 だが周りをみれば、メイやクリルや、リッカや、ノトでさえやりたいことが明確に決まっている。

 メイは本当はバイオリ……ヴァイオリニストになりたいらしい。

 だがメイは同時に、人口の少ないセントデルタで芸術をやって生きていくのは難しいと感じてもいて、次善の策として勉強をしていた、歯医者をしている。

 クリルは休日こそアザラシのように横たわってすごすが、教師という、やりたい仕事について、子供たちに道と知恵を示している。

 リッカは自警団長として、誰もがうらやむエリートだし、ノトは嫌いだが、姉を目標にして、自警団長になる方法を探している。

 それなのに、自分はどうか。

 未回答にせざるを得ないその思いが、洞穴のようになって、ファノンの心を吹き抜ける。

 本当に目立ちたいから、感謝祭に当たってこんなことをしているかというと……断じて違う。

 ――自分はフォーハードに利用されるための破壊の力しか、持ち合わせていないから?

 その思索しさくを打ち払うように、ファノンは頭を振ったが、あたかもその考えはファノンの生き血を求める蚊のように、追い出されてはファノンのそばに戻ってきた。

 免罪符を探すように、ファノンは街を闊歩かっぽするが、答えは道に落ちていない。

 せめて力以外のことで人に必要とされれば。

 ――それなのに俺は一体、何をしているんだろう。

 そんな、哲学めいた自問をしていると。

 子供たちの声が、黄色い宝石が特徴の、シトリン・トパーズ通りの路地に、ひびいてきた。

「逃げろーー」

「妖怪眠らんオバケがでたぞー」

「眠らんビームでたーー」

「あーー! 俺バリア張ってるから効かんもんねーーー」

 子供たちはキャッキャといいながらファノンの脇を走り抜けていった。

 何だよ眠らんオバケって、と吹きだしそうになりながら、ファノンは視線を正面にもどした。

 その子供の駆けてきた方向には、ひとりの中背痩身ちゅうぜいそうしんの男がたっていた。

 その髪はボサボサ、ヒゲは生え放題で、そのちぢれたヒゲが数本、口の中に入っている。

 服にも頓着とんちゃくはないのか、シャツのすそが半分はだけていた。

 ファノンも現在パジャマで往来に出没している身なので、大きなことは言えないが、その男はたいへんだらしなく見えた。

 ただし、際立ったのはその瞳。

 10代とは思えないほど肌の血色は悪く、目の下にはクマが幾層にも重なって黒ずんではいるが、眼光は黒曜石の槍のように、目の前のものをまとめて貫いていた。

 だが、それはわずかの時間でしかなかった。

 やがて男は白目を向いて、がれおちる壁面のように、その場にくずおれていった。

「お、おい!」

 ファノンはとっさに、その男に駆け寄った。

 抱き起こしてみると、きたない見なりのはずなのに、風呂には入っているらしく、ほんのり石鹸の匂いがした。

「石鹸の、匂い……」

 あまりにも意外だったので、ファノンはおもわず口に出してしまった。

「風呂は……考え事をするにはうってつけだからな、何時間でも入っていられる。ただし熱すぎると眠くなるから、ぬるま湯だけどね」

 男はすぐに黒目をとりもどすと、ファノンの独白に気を悪くしたふうもなく、寝そべったままつぶやいた。

「何か病気か? エノハ様なら治せるぞ、すぐつれてってやる」

 ファノンが男を担ごうとしたが、そのとたん男に全力で押し返されてしまった。

「イッテぇっ! おい、意地はるなよ」

 ファノンは尻もちをついたまま、抗議した。

「僕は病人じゃあない……睡眠不足なだけだ」

「睡眠不足……? 急ぎの仕事でもやってんのか」

「急ぎの仕事……たしかに、今も急ぎの仕事をやっているよ――人生という、期限つきの仕事をな」

 それまでうつむいていた男は初めて、ファノンを見つめた。

 やはり、眼光はわずかな真実も見逃すまいとするほど、鋭いものだった。

「あんた、いったい」

「僕はモエク。学者になりたかった、家具職人さ。だからこそ二足のわらじで学者の道をめざすだけでこんな風になる」

「……俺はファノンっていうんだ」

「ファノン? 知ってるぞ、たしか手品じみたことができる男だときいたが」

「んぐ……今はそれはいいだろ。学者って、何を研究してるんだ」

「ツチグモにも使われている、常温核融合を。だが、僕にはそれを作る機材が足りない、設備もここにはない、昔には存在したという、パソコンというものが一台でもあれば、何とか演算もできただろうが、それもない。何より、それらを揃えるための、時間がないのだ……」

「時間……」

 ファノンには、モエクの言わんとしていることが、イヤという程、突き刺さった。

 時間とはもちろん、寿命のことである。

 二十歳になると『闇』にその身体を返却しないといけない運命にあるセントデルタ人に、これは切実なことだった。

「だからそんなに睡眠不足なのか、いったいどれぐらい寝てないんだ」

「寝るのは2日に1回だよ、5時間ほど。仮眠はとるがね」

「寿命がくるより先に死ぬぞ」

「僕の寿命がほんらい80年ほどあるとすれば、それはたしかに、今の時点で50年は縮んでいるだろうさ。だが考えてもみてくれ、僕たちは起きていても寝ていても、20年しか生きられないんだ。お前さんは何か命をけずって、なしたいことはないのかい」

「……俺にはない。見つけられないんだ」

 ファノンは少し小声になった。

 それこそ、ファノンが自分に与えたいものだった。

 今の自分はフォーハードに利用されるためだけにいるようなものだ……と、ファノンは思っている。

 だからこそファノンは、自分が許せないのである。

 せめて何か自分に、自分ながらの価値があれば。

 クリルのように、人にものを説く弁舌べんぜつ。メイのように歯のエキスパート。ゴンゲン親方のようにガッハッハと笑いながら一流品を作る腕前。

 ほかの人間には夢も希望もあるのに、自分だけにはそれがなく、自分ばかりが、高みを目指す、ほかのセントデルタ人を見送る後進人間だと宣言しているようで、肩身がせまかった。

 最近亡くなったハノン先生も、変態ではあったが、焼き物屋としての腕前は一流だった。

 ハノンには、ちゃらけた言動ばかりが目立ったが、本当は、仕事をきわめ、そして次代に手渡すことを本気で考えていた。

 だから今、ハノンの工房には、その弟子がかつてハノンのやっていたように、自分の食器を並べている。

「あんたはそこまでして、どうしてその……常温核分裂? をしたいんだ?」

「核融合であって、核分裂じゃあないんだが……説明する時間は長くなるから省略させてもらう。そうだ、それで思い出した、僕はクリルのところへ行かないといけないんだ。彼女の知恵があれば、あるいは機材を作り出すこともできるかもしれないからな」

「クリル? 一緒に住んでるぜ俺」

「夫なのか?」

「まさか!」

 ファノンは水を被った犬のように、ぶるぶると首をふった。

「あんな、私生活のぶっ壊れたやつ……」

「そうか。僥倖ぎょうこうとはこのことだな。僕をつれていってくれ、彼女と話したいことが」

「いいけど大丈夫か? 足がガクガクしてるぞ」

 ファノンは立ち上がりながら、まだ寝そべるモエクの太ももを指差した。

「仕事部屋と、机とトイレと風呂以外には往来しなかったから、運動不足だな。幸いなのは、僕にも預かり子がいて、食事は彼が作ってくれることだ。こんな無茶な生活を続けて体が壊れないのは、その子の栄養管理がしっかりしているからだね」

 預かり子。

 ファノンやメイも、その名前で呼ばれることがある。

 セントデルタ人の寿命は二十年。

 たとえば両親がともに16歳で子供を作ったとしたら、その両親のほうは4年後には、アポトーシスによって、子供を残して他界してしまう。

 本当はセントデルタの中においても、16歳の出産など早すぎる、最低18歳で子供を作るべきだという議論もあったが、だいたいこの年齢におちついてしまった。

 それはともかく、4歳で天涯孤独てんがいこどくが運命づけられた子どもに、生活にかかわる上中下すべての用事を片づけられるわけはないから、そういう子供を育てる相手が必要となる。

 そのときに出番なのが、この預かり子システム。

 生前の親には世話になったとか、身寄りのない子供を我が子のように預かりたい、といって、自活のできない子供を、他人が自宅に引き取るのである。

 ただ、ファノンはじつのところ、この預かり子システムは、子供の頃に使ったことはなかった。

 親が死ぬ少し前、ゆえあって、ファノンはセントデルタの街の中にいなかったのである。

 ファノンとメイは同い年だが、クリルの家に行ったのはメイが5歳のとき、ファノンは10歳のときだ。

「預かり子、か」

「そろそろお前さんも、預かり子を受け入れてはどうだ?」

「結婚して子供を作って父親になれ、とかじゃないのか?」

「お前さん、モテなそうだしな。パジャマで外をうろついてることだし、女と縁がなさそうに見える。それなら僕のように結婚は捨てて、さっさと他人の子供を預かって、思想ぐらいは残すべきだよ」

「……あんたは子孫とか考えてないんだな。まあ俺もだけど」

「子孫は義務じゃないからパスだ。その暇がない。本当に残すべきものとは、おのずと血も時も言語も超えるものだ」

「変な奴だな、あんた」

「お前さんは、普通の男だな」

「普通……? 俺が普通だと? 俺は怒ると光を集めてモノを焼くってこと、お前も知ってんだろ?」

 モエクの素早い評価の色に、ファノンは抗議をしめした。

 不必要なもの、とファノンが決めつけている超弦の力なのに、少しバカにされると、すぐにその超弦にすがる。

 ファノンは自分のこの考え方に嫌気がさして、顔をしかめた。

「そんなものは、僕の大事なことじゃない。これから500年経ってみろ。ほとんどの人間が、お前さんがその力を振るっていたことなど、信じる者はいなくなる。それは、お前さんの力は一代かぎりで、おそらくもう生まれないからだ。

 そうだろう? 文明が進み、利器を得て、さらに便利を求め、その果てに人間の限界というものを知り、現実を割り切る人々が多くなった時代に、お前さんという存在がかつて太陽を自在に操った、と本気で信じる者は何人残っていると思う?」

「……」

「そういうことさ。それにな、あとに続く者は、お前さんのできることを見るんじゃない。お前さんのやったことを見るんだ。

 Aという男は世界を操ることができた、ただし生涯、その力を使うことなく、自分の部屋から出なかった、では誰もあこがれはしない。誰も興味を惹かれない。

 お前さんが何で喜び何に悲しみ、何を語り、どんな姿勢で物事にのぞんだか、どんなふうに人と接したか、そして何をなしたかを見るのさ。それが未来に残っていくものだし、まだやってないのなら、その努力をするべきだ」

「……はは」

「どうかしたか?」

「あんた、いろいろ考えてるんだな」

「考えなんて重要じゃないよ。ひらめいたあとは大量の行動、これさ。それをしている間は、悩みも不安もなくなる。ぜひやってみるといい」

「そう、か……」

 ファノンの心は晴れることはなかった。

 大量の行動以前に、まず閃きがない。

 90億人を死なせてきたフォーハードが自分を狙っているのに、それに抗う方法など、そうそう思いつくものではない。

 だがファノンは、モエクの言葉から一抹いちまつのヒントは得たような気にはなった。

「モエクだっけか。クリルのところに行きたいんだったな。ついてこいよ」

 ファノンはきびすを返し、モエクの前を先んじた。

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