「メイー」
ダイニングで食事を終えたクリルが、そのダイニングと同じ部屋にあるソファに腰かけて本を読んだまま、メイを呼ばわった。
「なんですか、クリルさん」
「ホントに感謝祭、ファノンと参加しないの?」
たずねてからクリルは、開いた手でトルマリン製のカップの紅茶をすすった。
ちなみにトルマリンには様々な色があるが、クリルの持つものは、かつてこのセントデルタに存在した国にあった、緑茶という飲み物と同じ色だったから、紅茶とあわさって、黄金色に輝いていた。
「興味ありませんから。それにクリルさんだって、ホントにファノンとあのバンドやるんですか?」
「想像するだけで面白いじゃない? みんなの白ける顔、目に浮かぶわあ」
「私は白けることがわかってるのに、やりたいとは思いません。どうせなら、みんなが
「ノリが悪いなあ、メイちゃんは。ファノンといいメイといい、いつになったら、あたしをお姉ちゃんと呼ぶのかしら」
「呼びませんよ、お姉ちゃんっぽいこと、してくれたことないじゃないの」
「えー……でもホラ、家事とか……」
「引き取られたその日から、家事は私がやりました。何も知らない五歳児に、何てことしてくれたんですか」
「でも掃除と洗濯は……」
「それも私が。いまここにファノンがいないから言えるんですけど、パンツを台所に放置とか、相当長いことやってましたよね」
「う、それはファノンがきてからやめたわよ?」
「当然でしょ、男がいるのにあの生活続けられたら、私が人間不信になります」
「初めてウチにきたときは、メイが5歳で、それから5年後にファノンが10歳で。あのころはどっちもピュアだった」
「クリルさんは最初からスレてましたよ」
「んー、ところでファノンはどこまで行ったのかな。仲間を探すとか言ってたけど」
「そろそろ帰ってくるでしょ。あいつ寝る時間だし。あいつ、時間だけは守るから」
「お、よくわかってんじゃん、あの子のこと。さすが恋愛適齢期。もういっそ結婚しちゃいなさいよ」
「あんなのはイヤです。ちゃらんぽらんで、なんにも考えてない。無神経さで嫁とか泣かすタイプだよ、あいつ」
ファノンをこきおろしながらも、恋愛適齢期とは、よくいったものだとメイは内心、同意していた。
メイももう15歳。
セントデルタの基準だと、この年齢ならば、相手の男を見つけて、恋愛できるならそこそこ恋愛し、できないならさっさと妥協するかして、そうして子供をもうけ、ギリギリまでその子を自らの手ではぐくみ、そしてメイの両親のように、誰かに託して死んでいかねばならない。
なんて
クリルのように、そういったものを諦めている人間もいるが。
クリルは今年、18歳。
子供はまだ産めるが、子供のほうに顔を覚えてもらえない年齢だ。
闇に帰るまで、彼女にはもう、二年もないのだ。
クリルが、死ぬ。
考えないようにしているのに、少し油断すると、想像が
クリルは子を残すつもりがないというのなら、どうするつもりなのだろうか。
何をしたいのだろうか。
聞こうか、聞くまいか。
そんなことを悩んでいると、だった。
「たっだいまーーー」
パジャマ姿で外出していたファノンが、帰宅してきた。
うしろには、なんだか臭そうで臭くない男をともなって。
「モエク、紹介するぜ。胸のあるのがクリル。胸のないのがメイだ」
「おい、なんつー紹介だ」
メイが眉をひそめた。
「クリル、久しぶりだな」
ファノンのうしろに控えていたモエクが、ソファで紅茶を飲んでいるクリルの前まで歩くと、そこで仁王立ちしたが、ひょろ長い体型なので、それほどの威圧感はなかった。
「ん、久しぶりー」
クリルはモエクの薄汚れた服装のことは、気にしたようすはなく、紅茶をコースターに置いて、片手を振った。
「知り合いか?」
ファノンが意外に思い、たずねた。
「クリルとは同い年だからな。学生の時に少し」
モエクがクリルを凝視したまま、説明した。
「で、なんか用? モエク」
クリルが紅茶のカップを再度つまんで、言葉をなげる。
「ああ、だが始めに前置きしておきたいことがある――僕はお前が嫌いだ」
「そ、そんな……二年ぶりに会ったのに、ひ、ひどいよ…………んばぁ」
クリルは最初だけ泣き真似をしてみせたが、途中でおどけた顔になった。
「おい、
「もういいよ、こいつ追い出しとけファノン」
ファノンが仲裁をこころみ、メイが追放をすすめるが、かんじんの二人は目線をぶつけあったままだった。
それが敵意ではないことがファノンにもメイにもわかったから、しばし二人は傍観を決めこんだ。
「お前はいつも、そんなふうに酒か茶を飲むか、そうでなければ寝ているか、友人とバカ話をしているか、そんなことしかしていなかった。僕はそんなお前を見下し、こうはならんぞと勉学に打ち込んだ。それなのに、僕はお前に勉強で勝てたことはなかった。
いつも無責任そうにヘラヘラしているのに、みんながお前にあつまった。それが許せなかった。僕が勉強のためにこんな生活をするのも、お前に勝つためだった。
――だけど、僕にはもう時間がないんだ。だから手を貸して欲しい」
モエクの口上のあいだ、クリルはただ目をつむり、だまって先を促していた。
「この世界をこわし、昔の秩序を取り戻したい。従来の命、幅のある宗教、多様な人種、すべてを人間の手に抱き寄せたい」
「おい、その話、見過ごせないぞ」
目を剥いたのは、ファノンだった。
「あんた、常温核融合のつくりかたを一緒にクリルと研究するんじゃなかったのか。だから俺に案内させたんじゃないのか」
「これ、エノハ様にチクるだけで不敬罪が成立するな」
メイもためらいがちに口をはさんだ。
「待って、モエクに語らせなさい」
二人のこれ以上の参戦を、クリルが許さなかった。
「続けて、モエク」
「……ありがとう。でも、これらの理想は、本当は僕自身が享受したい。
でも、それは無理なんだ。DNAに仕込まれたアポトーシスの二十年時計が、僕を闇に取りこもうとする。
だから僕は無理でも、せめて次に生まれる命に、二十年の呪いを受け継がせたくはない。エノハを倒すのを、手伝って欲しい」
「なぜそれを、あたしに打ち明けたの?」
「このあいだ、ハノンの葬儀のあった時に、エノハに絡んだらしいじゃないか。ウチの子にきいたぞ」
「あなた、子供いんの?」
「預かり子だよ、そこのファノンやメイのように。前の自警団長の子供、アエフさ」
「アエフね。賢い子だとは思ってたけど、あなたの所に住んでたとはね」
「それより」
モエクが
「答えを」
「イヤに決まってんでしょ」
クリルは即答した。
それにはさすがのモエクも慌てたように目を開いた。
「な、なぜだ! 君も感じてるだろう、この世界の矛盾と不条理を。だからエノハに直接意見したんだろう。君だって、ほとんど僕と同じ意見のはずだ!」
「え、そうなの? ごめん、最初のほうしか話を聞いてなかったわ。理屈っぽかったんだもの」
「こ、この……」
モエクが拳を握り、何か言おうとしたが、クリルがそれより先に口を開いた。
「あたしが断る理由はただひとつ」
クリルは、モエクの話の長さのせいで冷え切った紅茶を一気に飲み干してから、モエクになおった。
「あなた、あたしのこと嫌いじゃん」
「そうだ」
モエクはうなずき、クリルの次の言葉を待ったが……それ以降には、沈黙しか続かなかった。
「……終わりなのか? まさか、それだけの理由で?」
「重要でしょ、だってあたしのことを嫌いなやつと、仕事でもないのに組まなきゃいけないなんて、罰ゲームでもない限り無理」
「な……き、君はそんなことで……」
「よしモエク、クリルを好きになれ。そしたら解決だ」
空気もかわったので、遠慮なくファノンが茶々をいれた。
モエクは真面目を保ったまま、瞳に急激に冷静さをとりもどしていった。
何かを決意した目だった。
「――ああ、そんなお前が大好きだ」
「え」
モエクのいきなりの方向転換に、三人が同時に声を裏返らせた。
「嫌いだというのは嘘だ。ああ言わないと、何かあったとき、僕は自分の心を守れないと思ったからだ。僕はずっとクリルに恋していた。焦がれていた。毎日、思い出さない日はなかった。かなわない勉強を続けているのも、お前に近づけないかと思ったからだ、振り向いてくれないかと思ったからだ」
「おい、なんでいきなりコクってんだよ」
メイが眼を白黒させながら、追及した。
「言っただろう、僕たちに時間はない。悩み、ためらう時間すら。言わずに後悔するなど、僕にはできない」
「こ、ここで言わなくたって」
メイは
「僕もそれはしたくなかった。予定では、クリルと共に常温核融合の機械をつくっている、二人きりの時を狙うつもりだったが、いま断られてしまったからな」
モエクは平然をよそおっているが、メイにはモエクの指がぶるぶる震えているのが、見てとれた。
それが、モエクの本気も示していることも。
「僕の反乱に協力があおげないことはわかった。なら、僕のこの気持ちは、どうだ」
「そ、そ、そんなの」
そこには、先ほどまでの余裕はなく、声もしどろもどろで、そこに稀代の天才のおもむきは、どこにもなかった。
「……」
「……」
モエクとメイの二人が黙ってなりゆきをみていると、やがてクリルも、唇を動かし始めた。
「……い、い」
そこまででクリルは口をしばらくモゴモゴさせていたが、やがて、ためらいのフタを吹き飛ばすように、勢いよく叫んだ。
「イヤです!」
クリルは目を引きつぶり、天井をあおぎながら言い切った。
メイはこのとき、初めてクリルがエノハ以外に敬語を喋っていることに気づく余裕があった。
そして、この場にすでに、ファノンがいなくなっていることにも。
「帰って! もうモエク、帰りなさいよ!」
クリルは目をうるませながら、モエクにソファ上の羊毛クッションをなげつけた。
運動神経のないモエクは、それをもろに顔面にうけとめたが、痛いものでもないので、反応はみせなかった。
「わかった……この答えについては、一ヶ月は待てるから……」
モエクは肩を落として、玄関へ消えて行った。