22.アールグレイ・ティー

 ファノンはひとり、セントデルタの街の脇を流れる、ゆるやかな下流、ポワワワンの河原かわらのほとりに座っていた。

 宝石世界のセントデルタだから、河原に転がる丸石も、ただの玄武岩だけでなく、ガーネットであったり、シトリンであったり、ダイヤモンドであったりと、川面に負けないほどの光沢を、河原のほうでも放っていた。

 頭の中が、真っ白になった状態で歩いていたら、いつの間にか、ここにいたのである。

「…………」

 これでいい。

 これでいいんだ……。

 独り言はあまり好きではないので、心の中でつぶやくが、その言葉のつど、そうではない、と心から返事がもどってくる。

「……」

 所在なげに、両手を胸元に持ち上げて、あたかもその場から気持ちを逃がすように意識を集中する。

 と、手の間の空間がゆがみ、やがてそれはモヤをともなう、黒い球体になっていった。

 光の動きを制御し、一点に集中させるから、このような黒い球体に見えるのだ。

 ファノンは知っている。

 先日のツチグモ襲来の日から、この収束レンズが大きくなっていることに。

 以前は、旧代にあった野球ボールほどの大きさしか具現できなかったのに、今ではバスケットボールほど。

 なぜこうなったかも、ファノンにはわかっている。

 この力は憎しみと怒りをエネルギーにする。

 そして強い憎しみを抱くごとに、この力はあたかも、水中に空いた穴を広げるように、勢いを強めていく。

 自分の腹の中に得体の知れない生き物がいて、それが少しずつ成長し、自分の腹を食い破り、やがてセントデルタの皆を襲うかもしれない。

 そのとき、一番最初に犠牲になるのは、クリルなのだろう。

 クリルは自分を守るために、かなう目処のないツチグモに挑むぐらいだし、ファノンが何かやろうとしたら、真っ先に立ちはだかるだろう。

 だからこそ。

 クリルとは、距離をとるべきなのだ。

 モエクとクリルが結ばれれば、ファノンとはもう、ほとんど会うことはなくなる。

 それが、一番いいんだ……。

 そんなことはない……という心の声は、徹底的に直視をさける。

 そんな、自分の頭と心がせめぎあって、勝敗もつかないまま時間をすごしていると。

 ファノンの頬に、とつぜん、熱いものが押し付けられた。

「あっちいい!」

 ファノンは頭をそらしたあと、反射的にそちらを見た。

 メイが、トルマリンの紅茶のカップの取っ手をつまんで、ファノンの顔にくっつけていた。

「ここで何をしてる、ガキは寝る時間だ」

 メイがいつもの無表情で暴言をならべた。

「お前だってガキだろうが」

 ファノンはメイから紅茶をうけとり、少しだけ口につけた。

 ほんのりとした柑橘かんきつ系の香り、アールグレイが、いまの気持ちを少しだけ和らげる。

 いや、和らげているのは紅茶ではない、ということはわかっている。

 自分で入れて、一人で飲む紅茶なら、この安らぎは得られないはずだから。

「ショックだったか?」

「な、何がだ。俺はただ、ここで鼻毛を抜いて楽しんでるだけだ」

「楽しいのか?」

「お前もやってみろよ、白熱するぞ」

 そこまで言ってから、ファノンはうなだれた。

「俺、この生活が永遠に続くと思いこんでたよ……俺がいて、お前がいて、クリルがいて……明日もあさっても、5年後も10年後も、それが続くと思いこんでいた。いや、終わらないと信じたかっただけなんだ。本当はあと2年もすればクリルは死ぬし、俺たちだって5年もすればこの世にいない。直視すると泣きそうになることだから、願望で本物の未来を塗りつぶしてただけだったんだ」

「一気に砕けたわけだな、その願望が」

 メイもファノンの横に腰掛けた。

「まあ私も、その点にかけちゃ、同じ気持ちだがな」

「メイ……ところでモエクは?」

「帰ったよ、コテンパンに振られてな」

「そう、か……あいつ、すごい自分に正直なやつだったなあ」

「まあな、かなり面食らったけど、カッコよかったよ」

「やっぱ、そう思うよなあ」

 メイはとにかく衣着きぬきせぬ物言いなので、ファノンにとって、よく的確なアドバイスをくれる。

 それが何度、ファノンを救ってくれたことだろうか。

「俺には、あんな勇気はないな」

「そうだな、カッコも悪いもんな、とくに顔とか。いつもパジャマだし」

「行動力もないし」

「あと顔がきもいし」

「あんなにうまくしゃべれないし」

「顔きもい」

「お似合いかもしれないな、あの二人……」

 ファノンは夕空を見上げ、たんじた。

「おいファノン」

「何だよ」

「あー……その、な、聞きにくいんだが」

 メイは珍しく、まどろっこしい尋ねかたになった。

 しばらくメイはそこで間を作っていたが、やがて意を決したように口を引きつむって、ファノンを見つめた。

「――クリルさんのこと、好きなのか」

「え、お、おい、それは」

「正直に答えてくれ」

 メイが覗きこむようにしてファノンに顔を近づける。

 月明かりに照らされるメイの、まっすぐな瞳に、ファノンもしどろもどろな表情を続けるわけにもいかなくなった。

 モエクがあんな直情な行為に及んだのを、目のあたりにしたせいかもしれない。

 だからファノンは、本当に、正直に答えることにした。

「……好き、なのかもしれない」

 さすがに、少し声を震わせながら、ファノンは幼馴染に告げた。

 それを聞くメイは、瞳を大きく開いて、何かを耐えるようにまばたきを止めてファノンを見つめていた。

 その意味を、この時のファノンはまだ、わからなかった。

「そう、か」

 メイは息をつくとともに、顔をわずかに伏せた。

「なら、お前も言ってみればいいじゃないか。クリルさん好きだ、と」

「ダメだ」

「私に言えて、本人に言えないのかよ、このヘタレ」

「言えない理由が、あるんだよ」

 ファノンは追及を避けるように、天の川のかかる空にアゴをもたげた。

「よけるも下がるも知らないお前が? いったいどんな愉快な理由だよ」

「……」

 メイのからかいにも、ファノンは口をつむって空を見るだけだった。

「……まさかとは思うが、その力が強くなったことと、関係あるのか」

「ああ……そうだ」

 ファノンはうなずいてから、続けた。

「俺、変な力もってるじゃん。この間から、その力がすごいことになってるんだ」

「ノトの奴に、いままで見たことのない術を使ってたもんな」

「あの時、お前に止められなければ、最悪なことになっていたかもしれない」

「ノトのことだから、クリルさんにも伝えただろう。でもクリルさんが、そんなことを気にする人でないことは、わかってるよな」

「俺自身を許せないんだ。今の俺には、ものを破壊することしかできない。そうじゃないことを示したいのに、やりたいこと、やるべきこと、何も見えない。

 目的を掴みかねてる俺には、クリルともモエクとも……お前とも、自分が釣り合ってない気がするんだ」

「……何の話だ?」

「恋愛論以前の話だよ……俺、恋愛と限らず、何をするにも、胸を張れるようなこと、一つや二つ、持ってないとダメだって思ってんだ。でも俺には、それがないんだ……」

「……ったく、わりとネガティブなんだよな、お前」

 メイはファノンから首を引っこめて、後頭部をかいた。

「それが悪いことだって、気にしてるのか」

「そうかもしれないな。みんな、俺より先に行っちまう。何か探すけど、これぞ俺の生きる道って言えるもんに、出会えないんだ」

「仕事があるじゃん」

「仕事か……仕事は、飯を食うためにやってるってのが正直なところだ。悪いことだと思うだろ?」

「ゴンゲン親方が聞いたら泣くな」

「しょ、しょうがないだろ」

「仕事の意義ねえ……私なんかは、いつの間にか見つけてたからなあ。別にいいんじゃないのか。お前、顔がキモいだけで充分だよ」

「……」

「ウソだ、すまない」

 メイはすぐに言葉を打ち消してから、続けた。

「なあファノン。私は思うんだけど、目的がなければ、生きる資格がないのか? 生きる意味を即答できないやつは、それのできる人より下なのか?」

「え?」

「目的が今なければ、明日も目的がないのか? 悩んでるのに、死ぬまで答えが見つからないと、運命に面と向かって言われたのか?

 ただ、目の前にいる人を精一杯幸せにしたり、楽しませてあげたり、信じてもらえれば、それでいいんじゃないのか? その背中を、ちっちゃい子どもとか、お前みたいに悩んでるやつに見てもらって、それを受け継いでもらえれば、それだけで十分なんじゃないか?

 お前、職人だろ、りっぱな技芸があるだろ。その技が明日もお前に使われることを待ってるのに、お前はそいつと向き合わずに、精一杯そいつを使ってやらないのか? 腐らせてしまうのか? 私はそいつを泣かせるのがいちばん怖い。お前はどうなんだ」

「メイ……」

「超能力のあるなしじゃあない。人って、生まれた瞬間から価値を持ってるんじゃない。自分の力で……いや、自分の力だけじゃ、それが難しいなら、まわりの力を借りて、価値をせっせと作り上げて行くんだ。それが命の輝きってやつだろ?」

 メイは言い切った後、恥ずかしそうに顔をそむけた。

「……こんなん、言いたくなかったよ、照れるから。だけど、いまのお前がそんなんじゃ、こんな言葉しか言えなくなるだろ。きもいって言いにくいんだよ」

「言ってんだろ、さっきからさんざん」

「言いにくかったんだよ、本当は」

 メイは目を川に逃がしたまま、なおも告げた。

「お前の価値は、そんな怪しげな超能力じゃあない。それを示すチャンスは、いっぱいあるんだよ。気づけよハゲ」

 メイは照れ隠しに暴言をまぜて、言葉を終えた。

「……ありがとうメイ。お前、やっぱり凄いよ」

「ばーか」

 メイは何かを探すように、今度は夜空を見上げた。

「死んだハノン先生の受け売りも入ってたけどな……ああ、そうだった。お前がツチグモと戦って死にかけてたあの日、ハノン先生から遺言をあずかってたんだ」

「先生から? なんで今ごろ、それを言うんだ」

「伝えるかどうかを、私にまかせるって言われたんだ。たぶん先生、隠れネガティブのお前が自分の位置を見つけられずに、困るときがくると思ったんだろうな。しかもどうやら、その通りのようだ。先生がこの言葉をささげてくれって――レッフ・レハー、と」

「なんだよそれ」

「ヘブライ語だそうだ。出でよ、自分に向かって、という意味。旧約聖書の言葉で、そのレッフ・レハーのあと、自分の国から、自分の血族から離れ、自分の父の家からも出ていけ、と書いてあるらしい。要するに、進めってことだな。フワついてるお前に一番ふさわしいと思ったんだろ」

「死んでまで心配させてたのか、俺」

 ファノンは脳髄のうずいが痛く、熱くなるのを感じていた。

 メイといわずハノンといわず、気にかけられることが、こんなに嬉しいことだとは。

 ありがたく、そして心救われることだとは。

「ありがとうメイ。俺、まだまだ頑張れそうだ」

「よかったよ、お前の役に立てて」

 メイははにかんで、てへへと笑った。

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