25.虚無への地平

 便利を追った必然というもので、時代の進歩とともに経済は発展し、人間のする仕事を機械が代わっておこなうようになった。

 初めの本格的な機械化は西暦1800年前後。

 いわゆる産業革命だが、その時の革命には、人間の作業が必須だった。織物機を動かすのも印刷機を動かすのも人だったし、鉄道を操縦するのも、その故障を見るのも人で、そのころの人間と機械は、反発運動や議論もあったが、おおむね蜜月を過ごしていた。

 決定的に変わりだしたのは……いや、代わりだしたのは1900年後期。

 機械を動かすのに必要な人間の数が、減り始めたのだ。

 さらに2000年代になると、この流れは加速。人間から機械への変換は随時ずいじにおこなわれた。

 そのつど、人の雇用はうしなわれ、その流れにあらがうために、新しい、人間にしかできない仕事を生み出そうとする動きは人間のほうにも見られたが、それ以上のスピードで、機械化はすすんでいった。

 結果、失業者は増えた。

 機械の仕事や生産物の恩恵をうけた人物はより金持ちに、困窮者やそれに近いものはより貧しさに苛まれることになった。

 とうぜん、貧しさに落ちた人々は危機感をいだいた。

 いわゆる格差問題である。

 かつてノーベル経済学賞受賞者アンガス・ディートン教授はのべた。

格差自体は発展に欠かせない。人は誰かが頑張って成果を挙げるのを見て、あとに続くものが現れ、そしてその人の状況を好転させるのだ。

 格差が格差問題として深刻になるときとは、その先んじた人物が、利益をみずからの利権にするために、あとに続く者への道を閉ざすことだ」

 と。

 格差は産業革命以前から存在していた。貴族と貧民、大商と小間使い。富む国と貧しい国。

 産業革命が変えたのは、勝者と敗者のきっかけである。

 情報と、情報をもたらす利器を持つものが勝ち、そうでないものは勝者に服す

 人類の歴史が終わる少し前、人口70億のうち、世界最高の資産者62人と、下位の36億人の資産は同等、という報告があった。

 国家は彼らをどうにかできないばかりか、逆に彼らにどうにかされていた。

 格差への危機感は人間を何かしらの行動に駆り立てさせる貴重な原動力となりえるが、その貴重な原動力がもしも、空回りするばかりで、現状を打ち砕くことができなかった場合はどうなるか。

 それに加えて、国や他者からの救いがほどこされなければ、どうなるか。

 多くの人は、略奪や強盗などの、悪行に走る。

 そしてその中には、テロで主張を叶えようとするものも。

 そんな中、決定的な発明が起こって、その格差が確定的となった。

 永遠の命の誕生である。

 人は金さえ積めば――つまり積むほどの金があれば、永遠の命を手に入れることができるようになった。

 相続税はもとより富豪にとって意味のない物だったが、いよいよそれは貧乏人だけが払うものとなり、国家も金持ちに長寿税を課したが、彼らはそれ以上のスピードで富をかき集める事ができた。

 若い体を永遠のものとできた彼らは子を作り、それにも永遠の命を与えることで、死による世代交代と循環を、完全に終わらせてしまった。

 一握りの彼らが覇権を永遠に私有したことにより、ただでさえ深刻だった格差が、刃や毒まで持ち合わせるようになった。

 第三次大戦の起こる前触まえぶれは、こうして培われ養われて、降り積もる雪のように声も音もなく、地球の土壌で、息を潜めつつ育まれた。

 そんなある時、ひとりの人物が、アラブの富豪の家庭教師になった。

 彼は正義を願うアラブの少年に、何年もかけて上記のことをささやき、その正義の気持ちをきつけた。

「人間に生まれただけで、おのれの生誕を悔い他者を憎むしか、やることがない世界、君は正しいと思うか?」

 その家庭教師の質問に、青年へと成長を遂げたアラブの男は、首を横に振った。

「ならば水素爆弾を揃えられるだけ揃えてくれ。それを南極の西に埋める。その指揮は俺にまかせてくれ」

 南極西氷床・WAIS

 ここだけで約400万立方キロメートルの氷が備蓄されているが、ここの氷が全て地球に流れ出すだけで、地球の水位は5メートル上がると言われている。

 そこに、アラブの男をたぶらかした家庭教師は、巧みな細工を施し各国政府の監視を逃れ、まんまと南極にそれらを設置し、さいごに、ボタンを押した。

 じっさい、水爆の男フォーハードはWAISだけでなく、南極中央部にも大打撃を与えたため、水位の上昇は40メートルにもなった。

 これで減った人類は1億。

 未曾有みぞうであるが、それ以上に被害をこうむったのは経済だった。

 第一次世界大戦の引き金となったサラエボ事件のように、ひとつの事件が、より大きな事件を引き起こすのが社会である。

 フォーハードの凶行により世界中の企業が損害にまみれた。

 まず、世界で海岸沿いに作られていた約70基の原子力発電所が、まるごと海にかったのだ。

 つまり原発の多いアメリカの東海岸、日本沿岸、中国の海沿い、イングランドほかヨーロッパ各国にひしめくものが、いっせいに行水ぎょうずいしたわけである。

 旧ソビエトにあったチェルノブイリ原発が停止したとき、だいたい世界で二万平方キロメートルの土地が使い物にならなくなったと言われているが、これは途中で停止の努力をした場合の数値だ。

 今回の70の原発は人知のとどかぬ海の底。

 手の施せない場所にもぐった原発が、そこでせっせと、海洋にプルトニウム239やウラン90という、五万年は消えない深刻な量の汚染水を吐き出したのである。

 結果、数年の間、人間の目にもわかるほど、海水が光った。

 世界でどこの海に浮かんでも被曝ひばくするようになったため、海産と海運業は全滅、いや、絶滅。

 海運がすたれると、引きずられるように金融も衰え、株価は下落。世界はふたたび大恐慌におちいるが、今度の場合、先進国は経済対策にあわせて、放射能対策もしなくてはならなかった。

 ここまでは冒頭で説明した通りの話だが、もうひとつ、フォーハードがこの世界から人類を駆逐するため、水爆を南極に炸裂させる前に手を打っていたことがあった。

 フォーハードは石油王の資本を使って、世界にシェアを持つ、一大家電ロボット企業を作っていたのだ。

 家事をこなし、人の言葉を理解し、想像力を働かせて問題に先んじて対処する……と、ここまでは、フォーハードの企業でなくとも、できるロボットはすでにあった。

 水爆の男フォーハードがやったのは、そのロボットの価格破壊。高級車なみのロボットを、百分の一、つまり庶民が頑張れば買える値段にまで下げたのである。

 それを実現したのは、ロボットの製造から運用、運搬、修理まで、すべて同じロボットにさせたからである。

 つまり、このロボットは、何もないところに工場を作り、拠点にしていくことができるため、フォーハードは寝ているあいだも巨万の富を得ることができた。

 さらに、水爆の男フォーハードは自社で衛星を打ち上げ、そこからロボットのアップデートを図るから、小さなミスはみるみる改善されていった。

 だが人々に気づくものは、ほとんどいなかった。

 水爆の男はいつでもアップデートで、ロボットを殺人鬼に変えることができる、ということに。

 そしてある日、世界中のロボットに一つの命令が下された。

 人間を見つけ次第、殺せ、と。

 2億5000万台というロボットが、各国の家庭に食い込み、料理のために包丁を握っていた手を、子供と遊ぶために力強くされた脚部を、暴漢から人間を守るためにプログラミングされていた、日用品を武器にする知恵を、にわかに人間にむけたのである。

 ロボットには社会を混乱させる方法を、人間とは違い、悩むことなく実行にうつすことができた。

 少数で、もっとも効率的に社会をみだす方法。

 つまり、政府の要人……の近親者を人質に取ることである。

 近所にいたロボットがいっせいに、それをやったのだから、人間のほうはさしたる抵抗はできなかった。

 政府機関は麻痺まひした。

 政府の方向を決める人々の子や夫、妻の命を、ほとんどのロボットが握ったのである。

 世界は乱れに乱れた。

 その間隙かんげきをついて、水爆の男はさしたる抵抗もうけないまま、南極に水爆を設置したのである。

 そのときに水爆の男も死んでいるが、彼のした命令は、彼の死後も、ロボットたちに守られ続け、みるみる人類を減らしていったのである――

次話へ
このページの小説には一部、下線部の引かれた文章があります。そちらはマウスオンすることで引用元が現れる仕組みとなっておりますが、現在iosおよびandroidでは未対応となっております。