27.聖絶令

 一週間後。

「へこんでるね、リッカ」

 いつもより早いペースでビールをあけるリッカに、テーブル向かいのクリルが述べた。

「わかるぅ?」

 リッカは前の空席テーブルを、ぼんやりととろけた視線でながめた。

 そのテーブル上には、誰かが忘れた財布が置き引きのき目も見ずに居座り続けていた。

 セントデルタ名物文化のひとつ、『知人の物なら拾って家まで届けるが、そうでないものなら、触らず・改めず・持ち出さず』である。

 そんな文化なので、セントデルタには忘れ物が同じ場所に数日放置される時もよく見かけられる。

 道徳水準の高さからくる治安の良さを誇るセントデルタでは、財布を忘れたところで、だれもその中身を抜いたりはしないのである……というのがセントデルタ人の自慢の一つだが、泥棒がときどき現れては裁かれていることは、誰も深く語らない。

 それはともかく『まともなセントデルタ人である』クリルもリッカも、財布を見かけたからといって、それを着服ちゃくふくしようという気持ちは全くなかった。

 セントデルタの人間がそういうふうに感じるのは、たんに人々がえたこともないほど、恵まれた大地に息づいているからではないか。

 もしくは、人口が少ないがゆえにほとんどが知人のセントデルタだから、盗んだことがバレれば、一生をうしろ指さされながら生きることを考えて、やらないだけではないのか。

 この高い道徳水準は、まやかしではないのか。

 それがクリルの意見だが、いまはそれを話す空気ではなさそうなので、黙っておくことにした。

「酒くっさ……あたしが来る前に、何杯飲んだのよ」

「酒でも飲まなきゃ、やってられんもん」

 リッカは空になったアクアマリンのジョッキを、テーブルにうなだれたまま指でつまんで、自分の泥酔でいすいぶりをみせびらかした。

「言ってごらん、力になれるかも」

「言っても無理っぷ。あんた自警団員じゃないじゃん」

「昔のキリスト教の宣教師が言ってたよ。悩みの半分はー、語ることで解消されるーっ、アーメンって。ためしてごらんよ」

「ん……そうしてみる」

「よしよし、いい子だ」

 クリルはテーブルに突っ伏し、長髪で顔も頭も隠れているリッカの頭をでてから、向かいの席に座った。

「エノハ様から……ノエムを聖絶してこいって、言われちゃった」

「聖絶……?」

 テーブルに両肘をつく動作を中断して、クリルは声を上ずらせた。

 聖絶とは、古代にあったイスラエルという国で生まれた語で、いくつか意味がある。

 捧げられたもの、呪われたもの、という義になるが、ときに聖絶は、異民族を殺すときや、その宝物を奪うときに使われた。

 セントデルタにおいての聖絶は、「犯した罪は血や死でのみあがなわれる」という建前のもと、おこなわれる。

 救いがたい罪人を、殺すことによって清め、その清くなった体を神にささげる、という理屈であるが、ようは死刑である。

 そして死刑はエノハが断行するときもあるが、たいがいは自警団員がおこなうのである。

 エノハは万が一、自分が死んだときのため、いつでも人間だけで法を執行できる状態にしておきたいから、自らはあまり聖絶に手をださない、とのことだ。

「わかるでしょ? あたしが聖絶せんにゃーいけんのは、幼馴染おさななじみなんよ……」

「ノエムって、あなたの三軒となりの家の子だよね」

「悪いやつじゃあないんよ。いっこ下だけど、飼育係とかやって、ニワトリにもなつかれてたし。あの鳥けっこう懐きにくいのに」

「エノハに奏上そうじょうしたの? 聖絶は許してって」

「無理だよ、だって、ノエムの身の回りで、ふたり、行方不明になったもん。一人はウチの自警団員」

「検分はしたの?」

「あいつの家に、あたしも行ったよ。台所から、すごい血の匂いがした」

「台所から……血の匂い……」

 クリルはおおよそ、ノエムという男が何をしたのか、察しがついた。

「限りなくクロだね、それ。すぐに捕まえれば良かったのに」

「いなくなってたんだよ、ノエム。始めはただの借金の返済踏み倒しだったのに。それで金を貸した友達と、ウチの団員が返済を迫りに行ったら、友達ごとウチの自警団員が……なんでこんなことに」

「すぐにでも見つけたほうがいいね、それ。でも聖絶の許可がでてるってことは……刻限は?」

「今日の日没まで」

「すぐじゃん……それで見つけたらノエムを、どうする気?」

「自首させたいよ。聖絶はまぬがれないかもしれないけど」

「やるだけやってみるってことだね」

「ね? 助力できるような話でもなかったしょ」

「あたしはバッチリ介入かいにゅうする気だけど」

「そっか……ありがと」

 そこで初めてリッカは、テーブルから顔を上げ、弱々しくも微笑みを見せてきた。

 その瞳はうるみ、目にはほんのり黒いクマがさしていた。

 突っ伏していたときは、きっと、もっとひどい顔をしていたのだろう。

「あ……景色がナメクジみたいにゆがみながら動いてる。これで仕事、できるかな。酔い覚ましにもう一杯、飲んでこう」

「おいアル中……そのへんにしときなさいよ。ベロベロに酔っ払ってエノハに会う気なの?」

「そうだねえ……酒を抜くためにも歩かなきゃ。ついといで、クリル」

「イエス・サー、リッカどの」

 ふらつきながら立ち上がるリッカに合わせ、クリルも腰を上げてから、ゆるい仕草で敬礼を決めて、リッカのあとに続いた。

「で、どこを洗うのよ、軍曹どの」

「考えてない」

「はぁ? もう昼だよ? この酔いどれバカ」

「間違えんな、軍曹だよあたしゃー。でもホント、どこを探せばいいか、見当つかんもん。街の外なんかに逃げられたら、探しようがない」

「リッカ。考えられるんだけど、ポエムだかドMだかは、街の外に逃げたって線は薄いよ」

「ノエムね。それは何で、そう言えるの?」

「ツチグモが来襲してから、街の警備は増やされた。交代制で、仕事の終わった街の人間を1000人も、夜の警護にあてている」

「夜だけじゃん、人手増やしたの」

「このセントデルタの人間は、視力も高いから、昼間ならなおさら無理だね。そこらへんはあなたも、わかってるでしょ。そして、その見つかる危険を考えたら、村の外に出るより、放置された家に潜伏したほうがいい。それが見つからなかった時になって、慌てたらいいのよ」

「なるほど! そういう所を探せってことだね」

「そういうこと。行くよリッカ。まずは、あたしたちがよく行く廃屋はいおく

 そうクリルが語って、そちらへ足を向けたときだった。

 酒場と隣家の間の、路地というにも忍びないほど狭い通路に、人影が引っこんでいくのが見えた。

 麦わら帽を目深にかぶった筋肉質な、だが背のそれほど高くない男。

「ノ、ノエム!」

 とつぜんの遭遇そうぐうに、リッカがすっとんきょうな声をあげた。

「え」

「今のノエムだよ! 追うよ、クリル」

「え、ええ」

 クリルは完全に状況をとらえきれていないまま、リッカのうしろを駆けた。

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