肩を疲労で上下させながら
環境さえととのえば、犯罪はなくなるか、という議論をもちかける脇役に、それはありえないことだ、と切り返した男がでてくる話。
――ああそうだ、罪と罰とかいう小説だった、とクリルは頭の片隅で、そんなことを考えた。
「ノエム!」
クリルがそんなことを考えているうちに、リッカがノエムを行き止まりに追い詰めていた。
「エノハ様は何だって与えてくださる。なんで、あんなことをしたんさ、ノエム!」
エメラルド・ペリドット通り。
ここはセントデルタで初めて作られた市街地ゆえに、エノハも区画整理を考えずに作ってしまい、そのため
そこの行き止まりに、クリル、リッカ、そして壁に背をつけたノエムがいた。
「そんなもん、俺だってわからねえよ、へへ」
「笑いごとじゃ、ないでしょ!」
リッカはさけんでから、大弓に矢をつがえ、構えた。
「ぬるい世界で生きてきたお前らだから、お前らの道徳でしか考えられんだろう。だが生物学的には俺のようなクズはどうだ? 世界から食料が消え去ったら、お前らはどうする? 道徳をとなえて、腹をすかせながら、ただ死んでいくだろうが、俺は違う。お前らの肉をむさぼってでも、飯を見つけるまで生き残る。そして子孫をつむいで未来につなげていく。俺のような奴が現れるのは、地球のえらんだ必然なんだよ」
「だ、黙りなさい!」
リッカが矢じりに顔を寄せ、弓を射る姿勢になって
「今はたまたま、その必要がないから俺は殺されるが、いつか、俺と同じ選択をしたものだけが生き残る時代が来る。そのとき、俺はアダムになる」
「いや、それはないわ」
それまで二人の会話を聞いていたクリルが、間に入った。
「人が人を食べなきゃ生きられなくなって、それで生き残ったとしても、そのあとで、あなたは
見くびらないことね、人間の生存本能を。あなたでなくても、他の何人かは食べざるを得なくなって食べるから。
あなたは食べたくて食べただけじゃない。
どんな食糧危機の時代に生まれても、あなたはただの三流ポエマーか食人鬼にすぎない」
「なんだと!」
ノエムは目を
「だってそうじゃない。文化とかまじないとかで食べるってのならまだしも、食べるものが他にあるのに人間を食べるなんて、害悪以外のなにものでもない。あなたのやってることは、ただの正当化。生物界の欠陥だよ」
「ちがう! 俺は崇高だ!」
「あーもういい、やっつけて、リッカ」
クリルは横のリッカに目
「え、で、でも」
リッカはまごつくばかりだった。
口下手なリッカのことだから、それでもまだ、ノエムには公正するチャンスがあると言いたいのだろうが、クリルを
ようするにリッカの優しさが、大弓を使うことをためらわせているのだが、クリルのほうはノエムと話してみて、すでに方向性は決めていた。
「ん……わかった、なら」
クリルは自分のVネックにあいた胸元に手を入れると、そこからアメジストのナイフを取り出した。
それをクリルは、モーションがないと
「うっ」
カッ、という烈音を立て、それはみごとにノエムの
前頭葉を二つに割る刺さり方だが、クリルが投げたのは、もともと切れ味のよくないアメジスト製果物ナイフ。
刃先の半分、といっても、刺さったの4センチほどにすぎないため、ノエムは倒れもしないし、興奮しているから痛みに
だが、脳に一撃、致命傷と言えるものをもらったことに変わりはないため、その足元はぐらついていた。
クリルは一気にノエムと距離を詰め、右足で軽く、浮わついていたノエムの足を払った。
ノエムはたやすく、クリルの予想した通りに地面に
そのノエムの上にクリルがまたがると、右足でノエムの左手首をおさえ、そして左足で、ノエムの眉間に刺さっているナイフを、まるで山頂に登りつめた登山者のように、もったいぶるような仕草で――ただし力強く踏んづけた。
「うが……や、やめ」
「どうしたの? いきがってみなさいよ」
クリルは冷たい目線のまま、左足に力を入れると、するり、と刃渡り8センチのナイフは根元まで脳に入っていった。
さすがにノエムも、これには体を
「ク、クリル……」
「聖絶完了だね。報告は好きにして」
クリルは捨て台詞よろしくそう吐くと、ノエムのむくろから降り、リッカを横切って路地を出て行った。
「クリル」
リッカが背を向けたまま呼びとめると、クリルは無言で足をとめた。
「……ううん、なんでも、ない。ノエムはあたしがやっつけたことにしとく。この場にあんたは、いなかった」
リッカの言葉を最後まで聞くと、クリルは
いなくなったクリルの背中を見るように、リッカはただ、立ち尽くしていた。
「クリル……なんで、そんなに簡単に、ためらいもなく人を殺せたの。まるで……」
リッカは死体として寝そべるノエムを見るが、それが何かを代弁するはずなどなかった──