28.断罪

 肩を疲労で上下させながら早駆はやがけをする中、あれは何のフレーズだったかな、と、クリルは思っていた。

 環境さえととのえば、犯罪はなくなるか、という議論をもちかける脇役に、それはありえないことだ、と切り返した男がでてくる話。

 ――ああそうだ、罪と罰とかいう小説だった、とクリルは頭の片隅で、そんなことを考えた。

「ノエム!」

 クリルがそんなことを考えているうちに、リッカがノエムを行き止まりに追い詰めていた。

「エノハ様は何だって与えてくださる。なんで、あんなことをしたんさ、ノエム!」

 エメラルド・ペリドット通り。

 ここはセントデルタで初めて作られた市街地ゆえに、エノハも区画整理を考えずに作ってしまい、そのため袋小路ふくろこうじがめっぽう多い。

 そこの行き止まりに、クリル、リッカ、そして壁に背をつけたノエムがいた。

「そんなもん、俺だってわからねえよ、へへ」

「笑いごとじゃ、ないでしょ!」

 リッカはさけんでから、大弓に矢をつがえ、構えた。

「ぬるい世界で生きてきたお前らだから、お前らの道徳でしか考えられんだろう。だが生物学的には俺のようなクズはどうだ? 世界から食料が消え去ったら、お前らはどうする? 道徳をとなえて、腹をすかせながら、ただ死んでいくだろうが、俺は違う。お前らの肉をむさぼってでも、飯を見つけるまで生き残る。そして子孫をつむいで未来につなげていく。俺のような奴が現れるのは、地球のえらんだ必然なんだよ」

「だ、黙りなさい!」

 リッカが矢じりに顔を寄せ、弓を射る姿勢になって威嚇いかくするが、ノエムの減らず口は止まらなかった。

「今はたまたま、その必要がないから俺は殺されるが、いつか、俺と同じ選択をしたものだけが生き残る時代が来る。そのとき、俺はアダムになる」

「いや、それはないわ」

 それまで二人の会話を聞いていたクリルが、間に入った。

「人が人を食べなきゃ生きられなくなって、それで生き残ったとしても、そのあとで、あなたは淘汰とうたされる。ただの犯罪者としてね。

 見くびらないことね、人間の生存本能を。あなたでなくても、他の何人かは食べざるを得なくなって食べるから。

 あなたは食べたくて食べただけじゃない。

 どんな食糧危機の時代に生まれても、あなたはただの三流ポエマーか食人鬼にすぎない」

「なんだと!」

 ノエムは目をいて食い下がった。

「だってそうじゃない。文化とかまじないとかで食べるってのならまだしも、食べるものが他にあるのに人間を食べるなんて、害悪以外のなにものでもない。あなたのやってることは、ただの正当化。生物界の欠陥だよ」

「ちがう! 俺は崇高だ!」

「あーもういい、やっつけて、リッカ」

 クリルは横のリッカに目くばせとともに告げた。

「え、で、でも」

 リッカはまごつくばかりだった。

 口下手なリッカのことだから、それでもまだ、ノエムには公正するチャンスがあると言いたいのだろうが、クリルをせるほどの言葉がでないのだ。

 ようするにリッカの優しさが、大弓を使うことをためらわせているのだが、クリルのほうはノエムと話してみて、すでに方向性は決めていた。

「ん……わかった、なら」

 クリルは自分のVネックにあいた胸元に手を入れると、そこからアメジストのナイフを取り出した。

 それをクリルは、モーションがないと錯覚さっかくするほどの手際てぎわで、ノエムに向けて投げつけた。

「うっ」

 カッ、という烈音を立て、それはみごとにノエムの眉間みけんに刃先の半分を食いこませていった。

 前頭葉を二つに割る刺さり方だが、クリルが投げたのは、もともと切れ味のよくないアメジスト製果物ナイフ。

 刃先の半分、といっても、刺さったの4センチほどにすぎないため、ノエムは倒れもしないし、興奮しているから痛みにもだえたりもしない。

 だが、脳に一撃、致命傷と言えるものをもらったことに変わりはないため、その足元はぐらついていた。

 クリルは一気にノエムと距離を詰め、右足で軽く、浮わついていたノエムの足を払った。

 ノエムはたやすく、クリルの予想した通りに地面に仰向あおむけに倒れ落ちた。

 そのノエムの上にクリルがまたがると、右足でノエムの左手首をおさえ、そして左足で、ノエムの眉間に刺さっているナイフを、まるで山頂に登りつめた登山者のように、もったいぶるような仕草で――ただし力強く踏んづけた。

「うが……や、やめ」

「どうしたの? いきがってみなさいよ」

 クリルは冷たい目線のまま、左足に力を入れると、するり、と刃渡り8センチのナイフは根元まで脳に入っていった。

 さすがにノエムも、これには体を痙攣けいれんさせ、クリルの足首から力なく手を離して、絶命した。

「ク、クリル……」

「聖絶完了だね。報告は好きにして」

 クリルは捨て台詞よろしくそう吐くと、ノエムのむくろから降り、リッカを横切って路地を出て行った。

「クリル」

 リッカが背を向けたまま呼びとめると、クリルは無言で足をとめた。

「……ううん、なんでも、ない。ノエムはあたしがやっつけたことにしとく。この場にあんたは、いなかった」

 リッカの言葉を最後まで聞くと、クリルはうなずくでもなく、その場をあとにした。

 いなくなったクリルの背中を見るように、リッカはただ、立ち尽くしていた。

「クリル……なんで、そんなに簡単に、ためらいもなく人を殺せたの。まるで……」

 リッカは死体として寝そべるノエムを見るが、それが何かを代弁するはずなどなかった──

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