29.アジンとの遭遇戦

 三日後の早朝、街の外れ、5キロ。

 ファノンはこの日、同業の宝石窓職人ヨイテッツとともに、ルビー配送業者のカンザサと会っていた。

 窓の材料になる宝石の、指定量の仕入れおよび、配送の手伝いに来たのである。

 ――街の外に出るな、ゴドラハンに狙われるぞ。

 フォーハードの忠告は、おぼえている。

 だがその忠告者はなんといっても、かつて舌先三寸さんずんで世界を混乱させてきた人物ゆえに、まともに取り合う気にはなれなかった。

 それにファノンは、悪ガキぶってはいても、仕事への責任感は人並みに持ち合わせている。

 だからゴンゲン親方が、近所の用事で街の外への仕入れができない、と困った顔で言った時、ファノンはためらわずに、自分が代わるとのべたのである。

「カンザサさん、今日のルビーは量が少ないね」

 ファノンは大八車だいはちぐるまのカゴに盛られるルビーの小石群を、ジャラジャラと手でもてあそびながら評価した。

 ファノンの指摘してきするとおり、カゴにはもう少し、ルビーの入りそうなスペースがあった。

「んなことを言うがなファノン、セントデルタも開府500年となりゃー、近場のルビーはみんなご先祖様がつかっちまってら。今あるのはこんなもんだ、質には問題ないだろ」

「たしかにそうですがね、もうチョイ欲しかったね」

 筋肉男、とたとえればちょうどいい巨漢、ヨイテッツがファノンに調子を合わせた。

「エノハ様からのお達しで、俺たちは遠出を禁じられちまってる。いないと思ってたツチグモが見つかったからだ。ツチグモと出くわさなけりゃ、いくらでも遠出してやんよ。ツチグモがいなけりゃ」

「ツチグモかぁ……たしかに、あれはまずいよなぁ」

 ヨイテッツが空をあおいでたんじる。

「ファノン、お前、あのツチグモから逃げのびたんだってな。すごいよな」

 カンザサがファノンの顔をしげしげと観察しながら告げた。

 すでに出回っているノトの話が、ウソか真かをさぐるような視線だった。

「逃げてただけ、ですけど」

 カンザサの視線の意味をなんとなくぎ取ったファノンは、ごまかしの笑みを浮かべた。

 わざわざ自分から詳細を説明して、ノトの悪意ある噂話を裏打ちさせる必要もない。

「あれからエノハ様も警戒を強められて、街の外に商売道具を取りにいく連中には、塔の監視カメラに映らない場所には入らないように、とのお達しが出た。見守られてるのはありがたいが、おかげで遠出ができなくなっちまった」

 カンザサが安堵あんどと不安の混じった、複雑な顔をした。

「感謝するべきところだよな、それは」

 ヨイテッツがそんなカンザサに、ねんごろに助言する。

「でもなあ、これだけじゃ、まだ不安だよな」

 にわかにカンザサは周囲をうかがった。

「何がです?」

 ファノンが先の言葉が読めず、首をひねる。

「そりゃ、ツチグモみたいな巨体は、確かに監視カメラで見つけやすいさ。だけど、無人機はあいつだけじゃない」

「ああ……もっとエグいのがいるな」

「アジンかな、あのアルマジロみたいなやつ」

 ヨイテッツが名前をそらんじた。

「そう、アジンだよ。あいつら、もともと小型だからってのもあるけど、隠れるの、うまいからな」

「はは、だったら今も俺たちを陰から見てるかもな」

「そうそう、それで、俺なんかを、うしろから、持ち合わせの武器で、こう、ぐわーっと……」

 そう言いかけていたカンザサの背後の茂みから、にわかに木の棒切れが伸び上がった。

 その棒切れは残像を描いて振り下ろされて、ゴンッと、頭蓋骨ずがいこつと木材がかち合う音をひらめかせ、カンザサの後頭部で炸裂した。

 カンザサは右目と左目の向きをあべこべにしながら、ゆっくりくずおれていった。

「カ、カンザサ!」

 ヨイテッツは倒れたカンザサに駆け寄ろうとしたが、それはできなかった。

 カンザサのそばの茂みから、何人もの人影が現れたからだ。

 いや、人影でも人物でもない。

 その手に、そまつな白樺しらかばの棒切れをにぎった、人型の機械だった。

 体型はまさに人型だが、その体の表皮ひょうひは、ゴムのようなものでできていて、アルマジロの体皮に似た、硬そうな鱗甲板で体を包んでいた。

 それが、ぶきみな紫色の両目で、ファノンたちをにらむ。

 のけぞったのはヨイテッツだった。

「じょ、冗談だろ! 本当にアジンが出てきやがった!」

「何が! こんなやつ!」

 ファノンは勇敢ゆうかんさというよりは、単なる怒りに任せて飛びかかり、アジンの右頬に、思い切り肘を食らわせた。

 アジンはされるがままにそれを受けると、首をぐらつかせながら、機械特有の甲高かんだかいひしめきを関節から垂れ流しつつ、倒れていった。

 そしてそのまま、そのアジンは起きる気配を見せなくなった。

「なんだったんだ、こいつ……」

 横たわるアジンを眺めるのもそこそこに、ファノンは生死不明のカンザサを抱きあげようと、彼のほうへ振り向いた。

 そのとき、ヨイテッツの顔も視界の脇に写ったが、その表情は、青ざめ切っていた。

 いぶかしく思って振り返ると――さきほどのアジンの湧いた茂みから、何十体もの、先ほど倒した機械人形と、まったく同じものが荒れた草林のように並列して立っていた。

 その手には、各々のアジンがそこらでこしらえたとおぼしき、棒切れやびた包丁、太いプラスチックのパイプをもち、ゆっくりとファノンに近づいていた。

「アジンが一人で徘徊はいかいすることはありえんのだ! 早くそこから逃げろファノン!」

「アジンってのは……まさか」

 ファノンの脳裏のうりに、フォーハードの言葉がよみがえっていた。

 かつて人類を決定的に追い詰めたのは核でも大津波でもなく、2500万台の家電ロボットだったと。

 ファノンの頭の中で、フォーハードがほくそ笑んだ。

「何をやってる! 離れろ!」

 ヨイテッツが叫ぶが、言われるまでもなく、ファノンはすぐにそこを駆け出していた。

 その動きをサーチしたのだろう、それまで忍び足だったアジンたちも、いっせいに、静かな動作をかなぐり捨て、ファノンを全速で追いかけ始めた。

「なんだよあいつら! 人殺しが趣味なのか! いきなりカンザサを殴りやがった」

「ツチグモが無人機の破壊や兵士の殺害をするために作られた、まさに戦争用の機械なのに対して、あいつらはもともと、ただの家電製品だ。フォーハードのやった大アップデートで殺人機械に成り下がったが。本当は、抵抗能力の低い民間人を殺したり、政府要人の身内を襲うため、大量投入された連中だ。

 現地で限りなく人間の武器を奪いながら民間人を殺すため、人間と同じ武器を扱う必要があって人型になってるが、個体の力はあのとおりなので、集団で必ず動くのさ。

 補給を奪って戦いつづけるというのは、まさに孫子そんしの兵法そのままだな」

「なあ、孫子ってだれだ」

「偉い人さ、それ以上は俺もわからん」

 ヨイテッツはうしろを振り返った。

 何十体ものアジンが、さながら古代の長距離マラソン選手の集団のように、首位のファノンに追いつこうと、全力スパートをかけていた。

 ただマラソンと違い、追いつかれた時、ファノンたちに次の日は笑ってくれなくなるが。

「冗談じゃねえ、俺には妻も子もいるんだよ、ここで死んでたまるか」

「街までもう少しだ、走って、親方!」

 励ますファノンだが、あせりを覚えていた。

 弱いエネルギーではあるが、ファノンは体内に『超弦の力』が沸くのを感じていたのである。

 だがこの力を、ヨイテッツの前で使っていいものか。

 ノトが騒いだファノンの秘密を、ヨイテッツの前でさらけ出すことに、ファノンはためらいを抱いていたのである。

 ファノンがそんな悩みをめぐらせている間にも、状況は悪い方向へ進んでいた。

 疲れを知らない機械に比して、人間のほうは疲労も限界も持ち合わせている。

 その距離は、どんどんせばまりつつあった。

「……」

 ファノンはヨイテッツを見る。

 ヨイテッツは走り方も疲労に制せられ、まともな手足の動きになっていなかった。

 このままいけば、ファノンより先にヨイテッツがアジンに追いつかれ、なぶり殺しになるのは、たやすく予想できた。

 ヨイテッツには妻子がある。

 ヨイテッツが死んで悲しむ人間は、ファノンより多いかもしれない。

 ――俺の寿命はまだ5年もある……。

 ――このまま脇目もふらず、俺だけ走りおおせても、誰にも文句は言われないさ。

 ――俺、まだ5年は生きられるんだぜ……。

 ――ちくしょう……。

 ファノンは目を引きつぶっていたが、少しすると、釣り目になるほどにまぶたを広げた。

 と、ファノンは砂煙をたてて立ち止まり、うしろのアジンたちに向けて、きびすを返したのである。

「ファノン! 何のつもりだ!」

「あんたは生きてくれ、俺はここで街までの時間をかせぐ。街のみんなやエノハ様にも伝えてくれよ」

 ファノンはそう言い捨てると、ヨイテッツの返事もきかず、アジンたちに走りこんで、いちばん近い敵の胴体に、飛び蹴りを食らわせた。

 アジンはそれをもろにくらい、うしろのアジンを巻き込んで、倒れていったが、どれかが行動不能になるようなこともなかった。

 瞳からアメジストの光を憎々にくにくしげに放ちながら、ゆっくり立ち上がるアジンたち。

 ファノンがやろうとしているのは、コップの水を一滴の血で真っ赤にしようとするかのような、無理のある行為。

 敵の数は先ほどよりもさらに増え、ファノンから勝てる見込みを秒刻みで奪っていく。

 それでも、ファノンには逃げる選択肢はなかった。

 セントデルタに迎撃の準備を、一秒でも多く与えるためには、ここでアジンと可能な限りの持久戦をしなくてはならない。

 それに、完全にヨイテッツが見えなくなれば、超弦の力をふるえる。

 ファノンがここで残ったほうが、本人はともかく、セントデルタには都合がいいのである。

「こいよアルマジロ怪人」

 ファノンの挑発が聞こえたのか、ファノンが構えるのも待たず、アジンのうちの一体が両腕をあげて掴みかかろうとしてきた。

 ファノンはそれをすり抜け、後頭部に肘を食らわせた。

 火事場の馬鹿力だろうか、ファノンは自分でも驚くほど、よく体が動いた。

 倒れかかるアジンの背中に、ファノンは全体重をかけて飛び乗ると、その右腕に握られていた、ダイヤモンドの靴べらを奪い、ファノンをにらむアジンたちと再び対峙たいじした。

 ファノンが武器を握ったことで、アジンたちの動きがにぶり、様子を見つめるようになった。

 いや、様子をみている、というより、ファノンの動きの分析をし始めたようだった。

 もともとアジンは家庭用万能ロボットではあるが、そのプログラムの中には空手や剣道の有段者と同じ所作しょさも入力されているがゆえに、身体能力も低くはない。

 そんなアジンだが、その殺人コンセプトはというと、自分自身が少しでも無傷で生き残り、つぎのターゲットを殺すこと、である。

 いま止まっているのは、どうすればファノンを一方的に殺せるか、数学的に計算しているからである。

 そしてその自問には、すぐに答えが出たようで、たいへんシンプルな作戦に移ってきた。

 すなわち、周囲を仲間で取り囲み、ファノンを袋叩きにする、という戦法だ。

 一人で砂利じゃりの往来に立つファノンに、それを防げようはずがなかった。

 だがファノンは、完全な無思慮でこんな蛮勇ばんゆうに望んだわけではない。

 勝つかどうかはともかく、ファノンには戦う算段が、一つだけあるのである。

 つまり、いつもは煙たく思っているはずの、超弦の力である。

 ファノンは手をかざし、迫りくるアジンの壁の一部、十数体にむけて思念を集中させた。

 そこにすぐに、両腕を広げたほどの大きさの黒球が複数、団子状に連なって現れ、アジン数体をかこんだ。

 ツチグモの時とは違い、かなり小さな球体だった。

 非力なエネルギーゆえに、溶融温度1584度の鉄製アジンの体を一瞬で焼き尽くすことはできない。

 だが球体はアジンが右によれば右に、しゃがめば下へと、正確に追いかけるため、確実にアジンを弱らせていった。

 複数の黒球を発生させることは、ツチグモとの戦いではできなかったことだ。

 ――俺の力はどこへ向かうのか。

 この力に命を預けるしかない今でも、ファノンはあまり力の発現をうれしくは思えなかった。

 ファノンは黒球によって包囲網に穴の空いたアジンのほうへ走った。

 少しでも有利な展開へ向かわせることを急がなくてはならなかった。

 というのも、ファノンの体にくすぶっていた超弦の力が、みるみるしぼんでいくのがわかったからである。

 それはちょうど、思いきり殴り合いをしたとき、ストレスが発散されて満足する、というふうな気持ちに似ている。

 ようはスッキリしてしまうのである。

 おそらく、超弦の力は、まもなく使い物にならなくなる。

 どうやら憎しみのエネルギーを燃やしていないときの自分には、いろいろ制限があるようだ……と、ファノンは気づいていた。

 このエネルギーが底をつく前に、少しでも囲まれにくい場所へ後退する。

 つまりファノンが選んだ逃避ルートは、先ほどアジンが湧いて出た森の中だった。

 ファノンは葉っぱを割って、そこへ駆け込みをかける。

 ここなら少しはファノンも見つかりにくいし、木々がアジンの侵攻を邪魔もするから、敵を分散させられるかもしれない。

 何より、アジンの包囲網を突破したのだから、このまま街の周りを、アジンたちから付かず離れずグルグル走っていれば、援軍もくるに違いない。

 そう考えたファノンだったが、それは浅はかだったと、すぐに悔やむことになった。

 茂みを抜けたところに、セントデルタで最も幅広なダイヤモンドの舗装路ほそうろがあるところまではファノンもわかっていた。

 だがそこに、女がひとりで歩いているとは、想像だにしていなかったのである。

 セントデルタには先日のツチグモ襲撃を折として、厳戒態勢になっていたから、往来を行き来するものは激減していたが、それは減ったのであって、皆無になったわけではない。

 げんにファノンたちもツチグモとの遭遇を予期しながらも、食いぶちのためにセントデルタ外に出たのだ。

 他にこういう結論を実行する人間が、いないわけがなかった。

 ファノンの、完全な誤算だった。

「オイあんた! ここで何をやってるんだ!」

 ファノンがさけぶと、その女はゆっくり、短いボブヘアーをしゃなりと揺らし、振り返った。

 女は、よく白んだムーンストーンのような肌だった。

 フォーハードやエノハの肌も白いが、それをしのぐ肌の透明感。

 閉鎖されたセントデルタに住むファノンには例えようもなかったが、それはまさに北欧系の顔立ちだったのである。

 エノハによって人種を統合され、白人黒人黄色人の肌色をまぜたセントデルタ人には、ほとんど見られない素肌。

 ――こんな目立つ肌の女、見かけたら忘れないはずなんだが。

 そう怪訝けげんに思いつつ、ファノンは言葉を続けた。

「ここは危険だ! 早くセントデルタへ戻れ!」

「あなたは……?」

 ファノンの鬼気迫ききせまる忠告にも顔色一つ変えず、女はのんびり聞き返した。

 服装も、ファノンの見慣れたものではなかった。

 ファノンの読む漫画には、サラリーマンなどが着用する『スーツ』なる衣装が見られたが、彼女の着ていたのは、それと同じだったのである。

「アジンが来てるんだよ! 早く戻れ!」

 ファノンは女のそばまで走り寄ると、興奮にまかせた大仰おおぎょうな身ぶりとともに、早口でまくしたてた。

「アジンが……? ところで、あなたはファノンですか?」

「――!? そうだが、それがどうした」

「もう少し手間取ると考えていましたが……お会いできて良かった」

 女はそう言うと、わずかに膝を曲げた。

「何を言って……うっ」

 ファノンは全てを言い切ることが、できなかった。

 出し抜けに、女の細い腕が、ファノンのみぞおちにまっていたからだ。

「かっ……はっ……!」

 呼吸もできないほどの衝撃に、ファノンは腹をかかえ、武器としていた靴べらを取りこぼし、激痛と窒息を同時に味わって、ダイヤモンドの敷石しきいしに両膝をついた。

「ごめんなさい。あなたを連れて行かないと」

 ファノンが聞いたのは、そこまでだった。

 最後に見たのは、ひざまずく自分の顔面に飛んでくる、女の膝だった。

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