31.邂逅かいこう

「……」

 ファノンは、かなり前から意識をとりもどしていた。

 ヨイテッツのことを考えていたら、いつのまにか、そこまで思い出がさかのぼっていたのである。

 なつかしくもないし、いちばんれていたころの自分。

 それでも、あの日から少しずつ人生を楽しいと思えるようになったのは確かだった。

「ヨイテッツ親方、ちゃんと、生き延びただろうか」

 そこまでつぶやいて、ファノンは周りを見渡した。

 黒ずんではいるが、まめに洗濯されているシーツのかかったベッドに、ファノンは寝そべっていた。

 そこは旧時代のビルディングの一室らしかったが、コンクリートの壁面だけでなく、天井にはすべて、ブナの木を×字に組んだ、鳥籠とりかご構造の補強が当てられていた。

「その壁、珍しいだろう?」

 とつじょ、ファノンの寝そべる横顔に、声がぶつかってきた。

 その声のほうには、ファノンと同い年ぐらいの、頬に健康的な赤みがさした、色白の少年がいた。

 少年は看病でもするように、ファノンのベッドそばのイスに腰かけていた。

 ――こいつ……どこかで会ったか……?

 ファノンは妙な既視感を少年におぼえていた。

 そしてその原因に、すぐに気づいた。

 色黒で細身のファノンと違い、少年の肌は白く、筋肉質で、食べるものも硬いものをかじってきたからか、頬骨もガッシリしてはいるが――目鼻立ちはそっくり、ファノンと同じだったのである。

 少年の背後には、ファノンが逃亡のさなかに出くわした、古代の「会社員」のスーツをまとった金髪女が、神妙しんみょう面持おももちなのか無関心なのか、それとも怒っているのか、よくわからないポーカーフェイスでファノンを見ていた。

「古代にあったコンクリート建造物は、定期的な人間の手直しを受けられなければ、すぐに倒壊するから、俺が日曜大工で増強しておいたのさ。おかげで見かけより丈夫だぞ」

 少年がファノンの疑問をふさぐように、説明した。

 少年の声は、中肉な風貌に似合わず、だいぶ野太かった。

「あんたが……俺をここに連れてきたのか。いったいなぜだ」

 ファノンは痛みの残る身体を、ブラックオパールのフレームでできたベッドから起こし、きつめに尋ねた。

「そりゃあ、セントデルタを破壊してもらうためだよ」

「そんなこったろうと思ったよ。カンザサを殺しやがって……フォーハードといい、どうして俺の周りにはテロリストしかいないんだ」

「カンザサ? 『彼女』の報告にはなかったが……誰だ?」

 少年はうしろにいるスーツ姿の『彼女』へ振り向くが、女のほうは首を振るのみだった。

「俺と一緒にいた男だ。草むらからアジンを忍ばせて、頭を殴ってたろ」

「おいおい……俺は無関係の人間に手はださないよ。そもそもアジンは俺の部下じゃあない。フォーハードの家電兵器なのは、知ってると思ったが」

「あ……」

 感情的だったファノンだったが、少年の指摘を受けて、やっとそこで思い出した。

 かつてフォーハードが世界中の人間を殺すために使ったのは、あの家事ロボットだったと。

「じゃあ、あれはフォーハードの仕業しわざ……しかしなぜカンザサを」

「見てないからわからんが、お前たちを狙ったのではなくて、俺を探していたのかもな」

「あんたを……? それは」

 ファノンが疑問をのどから出すが、少年のほうは別のことを思案中らしく、ファノンの言葉は無視して、その思案中なほうを口にしてきた。

「そういえば君は、フォーハードに会ってるんだったな……あいつを、どう思った?」

 少年は鹿の毛皮で修繕したイスの背もたれにかけ直すと、ねんごろにたずねた。

「その質問に答える義務が、俺にはない」

 ファノンの反応はとうぜんだった。

 素性すじょうの知れない相手に情報を吐き出すのは、危険以外のなにものでもない。

 それに、この少年が強権をかざして、ファノンをねじ伏せようとしたとしても、ファノンのほうには何とかする自信もあった。

 じつのところ、ファノンはすでに超弦の力をとりもどしている。

 その力を即座に、この目の前の少年にかざすこともできるのである。

 力をさっさと行使しないのは、この少年の目的がまだ見えてこないから様子を見たい、というのもあるが、カンザサへの暴挙にこの二人が絡んでいない可能性があるなら、今のところ倒したいと思うだけの理由にもならない、と考えているからでもある。

 だが、この少年が自白するとおりに、カンザサへの攻撃にたずさわっていないことが真実か嘘かまではわからない。

「そうか……それなら仕方ないな」

 少年は困った表情になると、うしろの女に目配せした。

 女はうなずくと、ずっと背にしていた壁から離れ、ファノンに無造作むぞうさに近寄ってきた。

 そして女はそのまま、あたかもファノンのことを暖簾か何かとでも思っているかのように、ためらうこともなく急接近してくる。

「や、やるか! このやろう!」

 ファノンは先手必勝とばかりに、大きく腰だめに拳を引いてから、女に殴りかかった。

 だが女はファノンのパンチを、まるでウチワであおいだ羽毛のように、するりとかわし、ファノンの脇をすり抜けていた。

 がら空きの背中に、なんらかの反撃を浴びせられる……と思ったファノンだが、それは一秒待っても二秒待っても、おとずれなかった。

 ファノンが不格好に腕を伸ばした姿勢のまま振り向くと、女はファノンのうしろにあった、土のかまどの上で湯気をふくサファイアのヤカンを取っていた。

 女は横に添えられた急須きゅうすにその湯をそそぐと、少ししてから、ぎ慣れないが、薬湯やくとうとはちがう香ばしい匂いがファノンの鼻をついてきた。

「なんだ、それは」

「セントデルタじゃあ飲むことはないだろうな。あそこは紅茶が主流のようだし」

 女が応えないので、少年が代わりに説明する。

 その間に女は手際てぎわよく急須の中の、エメラルドを薄めたような液体を、取っ手のない、ガラス光沢をした土器のようなコップに入れた。

 いわゆる湯呑ゆのみなのだが、セントデルタ以外の文化を知らないファノンには、わからないのである。

「あれはなんだ」

「緑茶というものだ。フォーハードの凶行のおり、この国の人間もみな死んだが、茶は虐殺の対象ではなかったのさ」

 少年は女から見慣れないコップ……湯呑みを受けとると、少しだけ口につけた。

「あっちちち……俺、猫舌なんだよな。まあ君も飲んでみるがいい。毒も薬も入っていない」

 少年は湯呑みから口を離し、ファノンにすすめてきた。

「……」

 ファノンはおそるおそる、その液体を口に含んでみた。

 口の中に、苦味のあと、ほんのりとした甘みが広がる。

 その匂いと風味で、なんとなく指先にまで張り詰めていた緊張がゆるみそうになったファノンだが、なんとかこらえて、少年をにらんだ。

「なぜ縛りつけない。俺はすぐに逃げるぞ」

 こわばった握力で湯呑みをつかみながら、ファノンは疑問をぶつけた。

「逃げられないことはないだろうな。ここから50キロほど歩けば、セントデルタだ。道はないが、あの街には、ここからでも見えるアレキサンドライトの塔がある。迷うことはないだろうさ」

「ガバガバな拉致らちだな、なら、すぐにでも帰らせてもらう」

「止めやしないよ。俺はお前と会うために、命を賭けてるがね」

「命を……?」

 にわかに吐き出された少年の重いキーワードに、思わずファノンは少年の目を見た。

「あんた、何者なんだ」

「……俺はゴドラハン。かつてフォーハードによって96億の人間が殺されたのち、荒廃した世界で理想の世界を打ち立てるため、エノハと対立し、敗死したあわれな亡霊さ。聞いてると思ってたんだがな、フォーハードから」

「やっぱりそうか……ん? フォーハードがあんたのことを話すと予想していたのか?」

「おおかたフォーハードのことだ。俺に会えば殺される、とでも吹聴ふいちょうされたんじゃないか。言っておくが、そんなことをする気はないからな」

「じゃ、じゃあなぜ、俺をここへ連れてきた」

「話すためさ」

 ゴドラハンはテーブルに肘を乗せ、ファノンへ向けて前のめった。

「俺と、お前と、人間の未来のために」

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