33.利用されるもの

「クッソ……あの腕力ゴリラめ」

 ノトは赤くれ、丸みを帯びたおのれの頬をさすりながら、ここにいないゴンゲンに呪いの句をぶつけた。

 いま、ゴンゲンにファノン化け物説を唱えに行ったら、殴られて追い返されたところなのである。

 ノトは先ほどからずっと、見かける人間に片っぱしから、啓蒙けいもう活動をしかけているが、誰もかれもナシのつぶて。

 白昼はくちゅうの大通りで、ファノンの手のひらから凄まじい熱が出た、という話など、誰が信じようか。

 それに加え、いまのノトは前科者として、すでにセントデルタ人の噂になっていたのだから、なおさら耳を傾ける者もいなかった。

「やつは……やつは危険なのだ。セントデルタの破壊神ファノン……なぜ、そのことを認めん」

 ノトは忘れたくて仕方ないのだが、アメジスト通りの端に掘られた地下独房から解放された時、すぐに自分の職場に向かったのである。

 シトリン・トパーズ通りの少し裏手にある八百屋。

 そこに、仕事に穴を開けたことを謝りに行くために。

 だがノトがその八百屋に顔をだしたとたん、主人の男は顔をそむけがちに、言いにくそうに、それ以上に、関わり合いになりたくなさそうに、切り出したのである。

 言葉をやんわりとほぐして告げていたが、たしかな解雇宣告を。

 ノトは、八百屋をクビになったのである。

 殺人未遂を犯したものを職場に置いておくのは外聞が悪いから。

 ようは、そういうことである。

 ――俺は至聖の売り子とまで呼ばれたのに、あいつとクリルのせいで、仕事を失った。

 ――八百屋の店主とて、真実を知れば、俺と同じことをするだろうに。

 ――みな、俺と同じ目にあえば、同じふうに思うはずなのに。

 ――俺は正義だ。正義をおこなったのだ。なのに、なぜ、こんな扱いを受けねばならんのだ。

 ――あいつらがいなければ。

「――あいつらさえ、存在しなければ」

 ノトがそんな暗澹あんたんさを、イカズチのように口腹にほとばしらせながら、大通りを歩いていると、ひとりの女に目がとまった。

 モンモである。

「モンモさん」

 ノトはモンモを呼ばわると小走りして、まるで押し売りか何かのように、モンモの進路にたちふさがるようにして、留めた。

「あ……ノトじゃない」

 モンモが驚きの表情でむかえた。

 ノトはこの驚かれた理由が、モンモもまたノトの犯罪歴をかいなでているためだ、とネガティブに判断したが、じっさいモンモが抱いていたのは違った。

 何のことはない。ぶしつけに、いきなり道をふさがれたことに、たんにモンモは驚いただけである。

 が、現状のノトの頭脳はなんでもかんでも、身の回りの出来事を自分の汚点のついた経歴と結びつけていた。

 いつも八百屋で見かけたときには、屈託くったくのない、1オクターブ高い声でノトに話しかけていたモンモ。

 ――この常連も、自分を人殺しだと思っているに違いない……。

 ノトの早合点は、他者のずいぶん先を行っていた。

「ファノンという男。あれは化け物だ。追い出したほうがいい。あの超能力はけっして微弱じゃあありません。俺は殺されかけたのです」

「え、なんの話?」

「ご存知でしょう、ファノンが手のひらから妙なエネルギーを発したこと」

「いや、知らない……」

「あなたも、あの有害人間をかばうか」

 モンモは本音で否定したのに、これもノトは信じなかった。

「まあいい……重要なのはファノンのことです。奴が小さなエネルギーしか出せないなど、ウソです。奴は人殺しです」

「――ファノンの今の状況、わかって言ってるの? 彼、いま、このセントデルタにいないんだよ? 生死不明のまま」

 ノトの言い方に、さすがにモンモのまなざしに軽蔑けいべつがこもったが……ノトはそれに気づかなかった。

「わかっております! だからこそです」

「……あの子のことは、よく知ってる。あの子は自分の力のことを疎ましく思ってる。そのために苦しんでる。私はそんな子が悪く言われるのを聞きたくない」

「俺が……ウソをついているというのですか! それはあのクリルが、友人のあなたに都合のいい話を吹聴しただけだ!」

「クリルは何も言ってないよ。私が自分で、その結論になっただけだよ」

「そうですか、だから俺が悪いと?」

「ノトが悪いなんて、一言も言ってないじゃない……なんで今、善悪論をしてなきゃいけないの」

 モンモは抑えていた怒りを、ノトに弾けさせた。

「ヨイテッツ親方が、ファノンが命を捨てて俺を逃がしてくれたって、言ってたわ。泣きながらだよ? なんどもなんども、そう言ってたんだよ? ファノンだって怖かっただろうに……それでもヨイテッツ親方を逃したんだよ?

 あの人が……ヨイテッツ親方が泣くなんて、ありえない話だってゴンゲン親方も言ってたよ。親が死んでも預かり親が闇に帰っても無理して笑ったのに……泣いたんだよ? その顔で、奥さんと子供を抱きしめたんだよ? この意味、わかる?」

「う……それは」

「……もう、行くね」

 モンモは顔を真っ赤にしてしゃべったあと、ツイっと背を返して、まるで道端の犬のフンでも忌避きひするようにノトをよけて、その場を離れていった。

 ノトは目を見開いたまま、しばらく立ち尽くしていた。

「いったい……何なのだ。あいつは化け物なのだ。これから、助けた数以上に、奴は人を殺していく。わかるのだ。奴は、そういう奴なのだ」

 ノトも、そう言っていないと、自我が破裂しそうだった。

 ファノンを認められない。

 認めるわけにはいかない。

 ――認めれば、今のノトを覆う現状も認めなくてはならなくなるから。

 信頼を失い、人格を疑われ、仕事を亡くし、次への行き場所も見えない今のありさまを……ノトに直視できるわけがなかった。

「クソ……なぜわからん……! 愚民どもめ!」

 セントデルタは狭い。

 狭く、それによって人々の接着は多く、目新しいものも何もない。

 小さな噂も大きな事件も、ひとたび生まれれば、たちどころにセントデルタじゅうへ駆け抜ける。

 悪事千里を走るとはいうが、セントデルタは千里どころか4里ほどしかない街(もはや村といっても差し支えないレベルである)。情報がこの街を伝わるのは、凄まじい早さと残酷さであった。

 それがノトの凶行を囲い込み、ノトの居場所を奪っていた。

 ――ファノンはいま誘拐ゆうかいされているというが、もし帰ってきたら……。

 ――殺してやる。

 ――それに、クリルという女も。

 ――俺の正しさを示すには、それしかない――

 セントデルタ以上に世界のせまいノトの心が、そう決めないわけがなかった。

 だが、そのときだった。

「そこの方……」

 大通りで正方形の小さな四脚を前に出して腰掛けていた人物が、うつむくノトに話しかけてきた。

 黒いフードを目深まぶかにかぶった、中肉の男だった。

 ノトには、その場には、さきほどまでは四脚もフードの男もいなかったような気がしたが、いまのノトは、そんな瑣末さまつなことを気にする精神状態ではなかった。

「私は、あなたの話を信じますよ」

 男は涼しい声で、先ほどからノトがまくしたてていた話を肯定した。

「なんだ、お前は……」

「あなたには運命の星が見える。セントデルタを救う星が」

「意味のわからんことを……それより、信じる、と言ったな」

 ノトは歩調を早めて、腰掛ける男の前に立った。

 無菌状態で暮らしているセントデルタ人は、基本的に、相手が何か詐欺さぎを働いてくるとかだまそうとしているとか、そういうふうに考えたりはしない。

 一度も、そういうことがなかったからだ。

 エノハによる社会浄化の成功と言えなくもないが、無菌ですごした生命は、とかく弱い。

 それは、人間不信におちいりかけているノトとて、同じだった。

「はい、信じますとも」

 フードに覆われていない口元が、ふっと笑顔を浮かべた。

「私は、あなたが正しいと信じるだけの証拠を、この目で見たからです」

「見た、だと? ファノンが化け物の力を行使しているところを、見たというのか。だが傍目はためにあれは、奴が何をしているか、わかるものではなかったはずだ」

 ノトがファノンに食らわされたのはマイクロ波。

 火や太陽、そのほかのものと違い、これは不可視の光線である。

 当然それは、横からながめているだけでは、ファノンが手をかざし、ノトが遠くで脈絡もなく苦しんでいる風にしか見えなかったはずである。

「それにも出くわしました。ですが、ファノンがそれより前に、あきらかなる異形いぎょうの力を使ったことは、ご存知ですか?」

「異形の力だと」

「はい、ファノンとクリルとリッカで、ゴドラハンの森に入った時、彼らがツチグモに襲われたのは聞いたかと思います。たしかに彼らを救ったのはエノハ様ですが、その助けが入る前、ツチグモを決定的に弱らせたのは、ほかならぬファノンなのです」

「奴が……?」

「彼はあなたに暴力をはたらく前、ツチグモにその力を使っていました」

 男は弁解するように両腕を上げたのち、ローブの裾から、手のひらほどの板状のものをとりだし、机に置いた。

 それはぴったりと二つ折りになった、ジルコン製の水色の板だった。

 男はその二つ折りになった部分の一枚を手前に引くと、そこに長方形の黒いガラス素材のものが見てとれた。

 それはあたかも古代にあったノートパソコンのような形態だった。

 ――ノート……パソコン……?

 そう、それはまさに、ノトが学校の教科書で見た、旧代の道具だったのである。

「これはなんだ。古代の遺物に見えなくもないが」

「その通りです」

 男はあっさり認めながら、ジルコン板の隅にある出っ張りをわずかにずらした。

 すると、それまで黒いだけだった黒ガラス部分に光がともり、そこに映像が現れたのである。

「これは」

 とつじょ現れた映像に、ノトは食い入った。

 その画面の中で、ファノンが片手をかざして、そばにいるツチグモに黒い球を発現させていたのである。

「……なぜ、こんなものをお前が撮れた。エノハ様は古代の文明をお喜びにならない。これは古代の遺物……セントデルタの禁制品だ」

「その通り……これは禁じられた文明物。名をムービープレイヤーと呼んだそうです」

「それは持っているだけで処罰の対象だ。自警団の元へ来てもらうぞ」

「構いませんが……この禁制品こそが、あなたを救い、そして英雄にする唯一の道具ですよ」

「なんだと」

「あなたは今、セントデルタの人々に真実を告げようとなさっているのではないのですか。ですが、言葉だけでは、伝わっていないのではないのですか。

 ファノンは危険だ、いずれ彼はセントデルタの破壊神になる、その前に手を打つべきだ……そう、今も話していたではないですか。

 ですが、このままでは信じるものはいないでしょう。この道具がないままならば」

「し、しかしこれは禁制品……」

 ノトの声音が、ゆらいだ。

「知られればエノハ様もお怒りになるでしょう。回収もされるでしょう。罰されもするでしょう。ですが、真実は耳に語るだけではダメです。時として、このように可視できるもので見せなくては、人は正しい方向へ導けないのです」

 ノトの返事も待たず、男はそのプレイヤーを開いたまま、ノトの前に、ぞんざいに、それを片手で差し出した。

 その態度はまさに、ノトが受け取る以外の選択をしない、と確信しているかのようだった。

「あなたは罰されます。ですが、これで何十人も、何百人も、真実に目覚めるのです……そして、あなたは英雄となる。

 見えます。あなたがセントデルタを救い、エノハ様を守り、次代の自警団長として人々の尊崇そんすうをあつめている姿が」

「お……俺が……英雄……」

 ノトはうわ言のように、まさに白昼夢でも見ているように、病的に男の言葉をなぞった。

 知ってか知らずか、ノトはそのジルコンの板を、片手で強く握りしめていた。

「そうです……期待しておりますよ」

「俺が……俺が…………!」

 ノトは目を見開いたまま、フード男から離れると、その表情のまま亡者のように大通りをまた歩き出していった。

「そう……それでいい……」

 男はぶきみな応援の句をノトの背につぶやいてから、立ち上がると、脇に空いた裏路地に入った。

 人目につかないところまで入ると、男はすぐに鼻先までおおうフードをうなじに弾いて、顔を見せた。

戒厳かいげん令なんぞ敷いて、情報統制なんぞするから、俺に付け込まれるんだよ」

 男――フォーハードは静かにほくそ笑んだ。

 戒厳令。

 どうも、いまエノハは自警団員以外にフォーハードの跋扈ばっこのことを話していないようだ。

 フォーハードを刺激すれば、すぐにでもセントデルタの破壊を始めるだろうから、という計算からだろう。

 おかげで、少し顔を隠せばセントデルタを歩ける。

 しかも今、ファノンはゴドラハンに拉致されている。

 ファノンには、ゴドラハンと会えば殺されると伝えたが、それはウソだった。

 ゴドラハンがファノンを手にかけることはありえない。

 むしろ、このセントデルタの真実を打ち明け、仲間に引き込もうとするはずなのである。

 それなら、エノハと同じようにやきもきするのではなく、この混乱に乗じて仕込みを入れる。

「あのノトという奴……いろいろ使えそうだ」

次話へ
このページの小説には一部、下線部の引かれた文章があります。そちらはマウスオンすることで引用元が現れる仕組みとなっておりますが、現在iosおよびandroidでは未対応となっております。