36.託される真実

 同じころ、まだファノンとゴドラハンの会話は続いていた。

「ウソつけ。エノハ様がセントデルタを作ったんだよ。なんであの破壊主義者のフォーハードが町を作らないといけないんだよ。あいつはモノを壊すことでしかイケない変態のはずだ」

 ファノンが反論した。

 あの街セントデルタは――フォーハードが灰燼かいじんに帰した焦土しょうどから、悪の権化ごんげゴドラハンとの争いに打ち勝ち、そしてただ一人の生き残りとなったエノハが、孤独こどくの中で研究をかさねて、人間の髪の毛からDNAを吸い取り、それを加工することで人類の復活を果たした街である。

 人間が対等に生きられるように、との願いによって築かれた最後の理想郷セントデルタ。

 なぜそれが、100億人を殺してもなお足りなそうな顔をしているフォーハードによって作られなくてはならないのか。

「代わりに考えてみてくれ。俺はエノハと対立するにあたって、ハーレムを約束し、そして大勢の人間をまとめてエノハと戦ったという。そんな理由で人々の心を集めて勢力を築くことが現実に可能な話かを。

 人間には外聞がいぶんがあるんだ。

 隣の人間に、あいつは女を、あるいは男をはべらせるためにゴドラハンのハナクソ理論に下った、と言われて平然としていられる人間が、それほどたくさんいるのか、と。隣人の目があるのに、恋人が横にいるのに、結婚相手が隣にいるのに、子供が見ているのに、その相手の目の前でハーレムに手をだせる男女が、何十万人もいるかどうかを考えるべきだな」

「お前はそんな約束をしていない、つまりエノハ様が嘘を言っていると?」

「時間は積もる。そして時間はやがては歴史を自称するようになる。だが時にその歴史は勝者がねじ曲げる時がある。本当はエノハと競ったのは俺ともう一人いたんだが、その人物はセントデルタの歴史から、存在した証そのものを消去された。そして俺はエノハによって、怠惰たいだの王とめい打たれて、死んだことにされた。いまのエノハの統治には悪が必要で、そのためには俺を悪にして、エノハは善になる必要があったのさ」

「……じゃあ、あんたは本当は、なにをもって、人の心を集めたんだよ」

「人間が一番信じるもの。生まれた時も、死んだあとでも変わらない想いだ。

 人々が思うままにたがやし、思うままに笑い、思うままに生きて、困れば助け、きゅうすればすがって、肩を組んで手を取って、幸せをもとめるために頑張っていい世界。

 つまりフォーハードが生まれる前の、旧時代の復活だよ」

「やっぱり暗黒時代を呼び戻したいんじゃないか。その時代があって、便利を求めた末にフォーハードが生まれたんだ。エノハ様はそれをし返さないために、こんな世界にした。俺にはエノハ様のやることを否定できない」

 ファノンは持論じろんを並べながら、エノハを批判するクリルのことを連想していた。

 クリルも、エノハの統治に反対していたし、その気持ちを隠しもせずエノハにぶつけていた。

 内容はクリルのものに似ているゴドラハンの弁舌べんぜつだが……クリルのものとは何かが違う。

 その何か、というのは、今の議論慣れしていないファノンには、うまく言葉にできなかった。

「信じる信じないはまかせる。ともかく俺の手勢てぜいは、人間を寿命にいたるまで管理すべしというエノハの派閥をはるかにしのぐ数だった。なのに負けたんだ」

「それは本とかに書いてたぜ。数が多すぎたからみんながみんな、違う意見を言い合ってるうちに、内部分裂したんだろ?」

「ん……内部分裂ってほどのことは起こってないぜ。そりゃあ意見は右に左に分かれはしたが、それで殺しあうほどになっちゃいない。つまり俺たちは最後の最後までエノハたちを圧倒していた。

 それなのに俺たちは負けた。それからは俺にとっての暗黒時代さ」

「優勢だったんだろ? 分裂してないなら、なぜお前らは負けた」

「そこだよ」

 ゴドラハンは人差し指を立てた。

「エノハがとんでもない策に出たことで、形勢逆転をげたんだ――エノハはあろうことか、フォーハードと密約を交わした」

「フォーハードかよ……あいつが社会に貢献こうけんするような奴じゃあないことは、少しはわかるつもりだぞ」

「ところがそうでもないのさ。500年前、あいつは……フォーハードは確かに生物の終焉しゅうえんを考えていた。だが、エノハの作った世界を見ていて、その考えをグラつかせた。

 あいつもまた、完全な善意だけでできた社会が、作れるかもしれないと考えたんだが……それはお前の存在を知るまでだった。フォーハードは、人間から悪意を取り除けば、生きることが難しいのだという結論は変わらなかったってわけさ。

 いま、お前が狙われているのは、フォーハードの変心のためだな。優秀な爆弾がある。あのいびつなセントデルタの維持なんぞより、その爆弾を使ったほうが手っ取り早いのさ」

「変心かよ……ともかく、フォーハードは人間の悪意に絶望したってことか……? たしかに、悪意ってのには、いい印象のないものだが」

「悪意は、そんな単純なものじゃないさ。

 傲慢ごうまんさは不和を呼び起こすが、その感情の弱まった感情、プライドは人の心を盾のように守る。

 嫉妬しっとは愛を独占する行為だが、それがあるから人間は恋愛し、他人を敬愛し、子孫を愛せる。

 憤怒ふんぬは時として戦争の引き金にもなるが、悪事への怒り、いわゆる正義の心のために、ほんらいは用いるものだ。

 怠惰たいだ無為むいの極みだが、安息なき疾走では、人間の心は奴隷の心のように破滅を迎える。

 強欲ごうよくは他人の富にまで手を出す行為のことだが、それに節度を持てば、子供や自分に必要なものを満たす原動力となる。

 暴食は必要のないものを食べる、つまり必要なく命をり取ることだが、と言っても、暴食を嫌って断食すれば、1日もまともな動きはできん。

 色欲しきよくは度が過ぎれば気色悪いだけだが、これがなくては子孫は生まれない。

 ――どこか間違ってるか?」

「い、いや……」

「フォーハードは潔癖けっぺきなんだろう。そういう悪感情そのものを否定したのさ。だから人間と限らず、生命に理想郷を作ることはできない、と考えた。作ることができないなら、滅ぼす。それで水爆やロボットを使って、生物の駆逐くちくをおこなった。そうすることで、新しい時代が開けるとおもったんだろうさ。まだ、お前のことを知らなかった頃は、宇宙の破滅なんてのは絵空事だと思っていたはずだ。

 500年前はまだ、フォーハードは人間の野心を押し殺す世界を作ることが、少なくとも旧代よりはマシな世界になると認識していた。それをエノハは見抜いたんだ。

 だからエノハは持ちかけたのさ。

 理想の世界を作りあげる。その協力をしろ、と。

 この言葉によって、フォーハードはエノハと契約したんだ。有利だった俺たちを倒すための契約を。96億人と戦って勝った男だ。残りの4億がどうなったかは、お前らも知るところなんじゃないか?」

「エノハ様が……フォーハードを使って戦争した……? 嘘だ」

 ファノンは目を見開いて虚空こくうを見ながら、否定の句を吐いた。

「……まあ、信じないのも自由だって、俺は初めに断ってるからな。だがお前は、フォーハードを倒したいと思ってるんだろう?」

「もちろんだ。あいつがいると、たくさんの知人が死ぬし、殺されてきた」

「だがわかっているか? フォーハードを倒すことは、セントデルタを終わらせるということに」

「俺はあんたと違ってエノハ様に手を出す気はない。フォーハードがセントデルタを作ったってのは譲ろう。だがセントデルタの維持いじをしているのはエノハ様だ。それなのになぜ、セントデルタが終わる」

「お前も知っているだろう、歴史の中で、権力を手に入れた人物がどうなったかを。みなその強権に酔いしれ、私利私欲に走る。その結果、政治の腐敗をまねいて、結局また乱れるのさ。誰がやっても、な」

 そこでゴドラハンは何かに想いをせたように、目を細めた。

「そんなことはない。エノハ様は500年間も、心変わりすることなくセントデルタを守ってきた。あの人が腐敗した政治をしたのを、見たことがない」

「それは不可能なことだ。だが、それができるシステムを、エノハはフォーハードと結んだのさ――」

「そこは嘘だな。その話にフォーハードが乗ったとしたら、エノハ様だけでなく、フォーハードもいまごろ、ありがたい神様として、みんなに拝まれていたはずだ」

「フォーハードが神になることは、エノハが譲らなかったんだよ。96億も殺した人間を神にはしたくなかったんだろう。それでフォーハードを、よくある国の官僚のように、陰から口を出せる地位にえたのさ。

 その危険な官僚と、エノハは約束した。もし自分がセントデルタの統治に私利私欲を持ちこんだ場合、理想の世界の実現は不可能と判断し、皆殺しにしてくれて構わない、という契約を」

「エノハ様は変わらない統治を実現するために、フォーハードに500年のあいだ、頭に拳銃を突きつけられたまま、あの街を取り仕切ってたってのか……だから……だからセントデルタは500年の平和を得られたってのか。フォーハードの悪意の手によって、この理想郷は理想郷になっていた、と?」

「まあ、そういうことなんだが……」

 ゴドラハンは息をつきながら、木枠で修繕されたビルの四角い窓から、外をながめた。

 そこからはルビーのような色の斜陽しゃようがさしこみ、赤い炎のようなきらめきを、窓のそばにいるファノンとゴドラハンの体を照らしていた。

「日も沈む。きょうは泊まっていくんだな。ここにはクマも出るし、どうも最近はフォーハードの奴がアジンもばらまいてるようだ。俺を探してるんだろうさ」

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