38.超弦の子

 拉致らちされて一日が経ったが、ファノンはまだゴドラハンの隠れ家から動かずにいた。

 ゴドラハンが最初に白状はくじょうしていた通り、ここはたしかにすぐ逃げられそうな警護体制であった。

 見張りとおぼしき、はじめにファノンを殴った金髪ボブヘアの女も、いつもファノンを監視しているわけでもなく、普段はビル一階をまるまる畑に変えた菜園で、野菜をいじっている。

 そして今も捕虜ほりょをほうって、外で元気な掛け声とともに、空手着に着替えたゴドラハンと組手をしているのである。

 いまのファノンは、オフィスの一室に、一人で拘束こうそくもされずにほったらかされているのだ。

 これで逃げられないはずがなかった。

 もしかしたら見えない場所に、もしくはファノンの知らないハイテク古代技術で、罠や監視カメラを仕掛けているのかもしれないが、少なくともファノンのすべての動作を分析している、というふうではなさそうだった。

 ――ゴドラハン……今いち、つかみどころのない男だ。

 ――それに、あの目。

 ――まるで、俺のことを昔から知っているかのような、信じきっている視線。

 ――いったい、あいつは何なんだ。

 ファノンは少しだけここに居座ろうと決めていた。

 真の狙いがゴドラハンの自白する通り、フォーハードを倒してセントデルタを転覆てんぷくさせることなのか、見極めたいと思ったのである。

「ふー、いい汗かいた」

 しばらくしてから白い空手着のゴドラハンが、首に巻いたタオルで顔をきながら戻ってきた。

「ファノン、お前もどうだ。どう見てもその体、運動不足だぞ」

 ゴドラハンは太い腕をあげて、向かいに立つファノンのひょろ長い身体を指差した。

「遠慮しとく。俺たちはそんな仲じゃないだろ? アジンにやられたカンザサだって、フォーハードのせいにしてるだけで、お前が殺してるかもしれないんだからな」

「証明できないから、辛いところだよ。な、ロナリオ」

 体を動かしたあとだから、いささか快活かいかつな声で、ゴドラハンは隣で無表情に添いよる女に振った。

 女、ロナリオは無表情に、こくりとうなずくだけだった。

「あ、それより、だ」

 ゴドラハンは後頭部をかいてから、続けた。

「逃げずに待っていたんだな。ありがとう」

 ゴドラハンはにわかに居住まいを正し、目をせて礼を述べた。

「俺を試したのか? 俺がお前に興味を持つかどうかを」

「試せる余裕なんかないさ。お前がセントデルタに帰れば俺は死ぬんだからな。エノハに居場所が割れれば、すぐにフォーハードが俺を取り殺しにやってくる。そうなれば打つ手も逃げ場も、どっちもない」

「命をかけてる、と言いたいんだな。俺だけがフォーハードを倒せる、と思ってるから、そんなことを?」

「いいや? この方法しかない、という考え方は好きじゃないんでね。本当にフォーハードとカタをつけなくちゃならんのは、お前ではなく、俺……いや、俺たち常人なんだ」

「なら帰っていいか?」

 いささか意地悪いじわるすぎるとは思ったが、ファノンは冷たく放った。

 ずっと自分ばかりが試されているようで気持ち悪いから、ここらで一つ、自分がにべもない態度をとったらどうなるか、試し返したのである。

 だがやはり500年の生き字引のゴドラハン、まったくあわてる様子はなかった。

「マア待てよ。俺が本当にやりたいことは、伝えることなんだよ。俺や、俺たちがどう思いながら生きたかを。なるべく強い奴に、それを知ってほしいんだ」

「強さなんか関係あるのかよ。確かに俺もフォーハードは倒したいが、それ以上にセントデルタを守りたい」

「考え方は一つでなくていい。人間の数だけあっていいんだ。俺はそれが許される社会を作りたかった。俺が死んだあとでそれが達成できるなら、喜んで危険に身をさらすさ」

「許される? エノハ様が考え方まで統一させる人だというのか」

「宗教も人種も消したんだぜ? そういうのが許せない奴なんだよ、エノハは」

「それの何が悪い。過去には人種が違えば争い、宗教のことで殺し合いが起こってたんだ。あまつさえ、その争いを金儲けにもしていた」

 ファノン自身、あまり口上手ではないから、かねてからエノハが唱えている持論じろんを、そのままコピーして述べた。

「許すっていう言葉があるよな。これは過ちを許すときにだけ使う言葉じゃあない。ほかの考え方をうけいれるときにも、許すって言葉は使えるんだ。

 世の中を渡るのに、いちばん大事なのは、人を許すこと。許すってのはすごいエネルギーを使うことだ。そのわりに評価はあまりかえりみられないし、あるまじきは、その許しにつけこむ奴もいる。

 それでも、人は人を許すべきだし、かつては、それをできる勇気のある人間もたくさんいた。許すから人は先に進めるんだよ。

 だがエノハは……ことさらにフォーハードのほうは、許すことができなかったんだ。許せない者同士、あの二人はよく似てたのさ」

「昔は、善意でなら人を殺してもいい、悪意がなければ悪事をしてもいい、だから善人は泣き寝入りしていたって世界だったんじゃないのか?」

「そこまで極端じゃあなかったさ。エノハはそんなふうに過去を語ってるんだな」

「エノハ様が過去を捏造ねつぞうしてると?」

「セントデルタの人間をたばねるには、そう言うしかなかったんだろうさ。

 古代の人の心は澆季ぎょうきのるつぼ……つまり退廃した道徳心ってことだな。見たことのない過去を、そういう末期的なものにしておいたほうが、現在が理想の形態であると言いやすいもんだ」

「わからんな」

「ならエノハが正直に、過去にはこんなにも良い部分もあった、だが現在は人間が二十歳で死ぬ、文明の利器の開発も許されない、それでも現在がいい、という理論を言ったとしよう。これを納得するものはいるか?

 エノハが悪人だってんじゃあないのさ。国には方便ほうべんも必要だ」

「そんなの今となっちゃ、どうでもいいことだよ。過去の歴史は、お前ら過去の人間が作ったもので、俺たちはそれになんの関係もない。この時代が悪いものだって言うのなら、その責任はお前ら過去の人間にある」

 ファノンがゴドラハンの言葉をふさいで、やや早口にげた。

 さすがにこれには、ゴドラハンの表情がさみしげにゆがんだ。

 ファノンはそこに罪悪感をおぼえたが、それをみ締めるほどの度量はこの時のファノンにはなかった。

 だから、さらにたたみ掛けた。

「過去のことは罪だ。だからお前たちはみんな、フォーハードに殺された」

「それは、違います」

 反論は、思わぬ方向から響いた。

 今までいっさい、ファノンとゴドラハンの会話に混ざろうとしてこなかったボブヘアの女――ロナリオであった。

「90億の人間すべてが、罪人だったから死んだと言うのですか? 彼らすべてが潔白けっぱくだったわけではありませんが、罪を負うべき人間は一握りでした。他はほとんど、善もなく悪もなく日々を生きていた人々だった。それを、フォーハードは罪人と断じて殺したのです。

 殺されるにあたって恐怖に泣いた人間もいたでしょう。残される家族を案じながら死ぬ人間もいたでしょう。やり残したことを悔いながらく者もいたでしょう。子を守りながら死ぬ親も、抱かれながら死ぬ子供も、フォーハードはまとめて手にかけたのです。

 そうして死んだ本人たちに、あなたは面と向かって、死んでよかったな、と言えるのですか? そう言われた死者が、それを言われて喜ぶと思うのですか? 自分は殺されて当然の生き方だった、と考えていると?」

「う……」

 もとより歴史について持論など持たないファノンだから、ロナリオからそんな追及を突きつけられたら、反論なくのどを鳴らすしかなかった。

「いいんだロナリオ。彼を責めても何もならない」

 助け舟はゴドラハンから出た。

「俺はもう一つ、お前に伝えなくちゃいけないことがあるんだ。

 おそらく、フォーハードも伝えようとした力……超弦の力を」

「超弦だと……? それは俺があつかうと世界に破滅をもたらす力のはずだ。何よりもそれは、フォーハードが俺に身につけさせたがっていた力だ。それを教えるのは、あいつの思うツボだぞ」

「それを踏まえてなお、お前はその力のことを知るべきなんだ。その力はたしかに危険だ。だがフォーハードを倒せる力だというのも確かなんだ。たぶん、フォーハードのやつは、お前の力の取扱にしくじれば、自分がその力で倒されるかもしれないことまで予想している……いや、覚悟している」

 ゴドラハンは、迎え入れるように、両手を広げた。

「お前さえ良ければ、この力のことを教えよう。宇宙の未来なんて茫漠ぼうばくとしたもののためにではなく、死んでいった俺の友達や、お前の知人のために。俺の息子も、それを望んでいる」

「なんで、お前の息子が出てくるんだよ」

「なぜ、なんの力もない俺が、力があるかどうかわからないお前にこだわってると思う? 俺はかつて一度、超弦の力を使う人間をみたことがあるんだ」

「それが、死んだ息子だってんじゃ、ないだろうな」

「……そうさ」

 ゴドラハンはなにか悲しい過去を耐えるように、しぶい顔でうなずいた。

「……死んだ俺の息子が、お前のことを予言してたんだ」

「その息子がフォーハードを倒して救世主になってくれたら良かったんだけどな」

「ファノン……言葉を選んであげてください。この人は」

 ロナリオが前のめりになってファノンに食ってかかろうとしたが、その進路をゴドラハンの左腕がふさいだ。

「……あいつは、最後までその力を使うことを否定したんだよ。その結果、死んでしまった。死ぬ前に、この地球の表層を宝石まみれにしてな」

「セントデルタはほとんど宝石でいっぱいだけど、昔は違ったとエノハ様がおっしゃってた。そうしたのが、前代の超弦の男だったと?」

「あいつは死ぬ直前、金属という金属を、ぜんぶ宝石にし、かつ、地表に固めて寄せ集めた。でかい宝石の一枚岩は、あいつの作ったものってことだ」

「なぜ、そんなことを?」

「これはあいつのメッセージなんだ。文明の利器はほぼ例外なく金属でできている。船もパソコンも鉄や銅、アルミニウムでできていた。だが、その中には兵器もあった。あいつは金属を宝石にすることで、戦いを終わらせたかったんだよ……これによって、一時期はフォーハードの機械兵士も絶滅しかけたんだが、地下深くにもぐっていた奴らの一部がいたために、けっきょく奴らはマントルまで鉄を掘って仲間を作って元通りになったが」

「そんなことが……」

「まあ、それはいいんだよ」

 ゴドラハンは首を振ってから、言葉を続ける。

「だけどあいつは知っていた。500年後に、お前が現れることを。それを俺に伝えてくれていたんだよ。長かったぜ。500年も待ちきれない時は、幾度いくどもあった。仲間を失い友を殺され息子を身まかり、絶望の骨頂こっちょうに立ち、何度も死にたくなった。だが、それでも腐らずに500年も待つことができたのは、ここにロナリオがいたことと……息子のその言葉があったからだ。

 お前は死んだ90億の希望を叶える、最後の存在なのは間違いないんだ」

「500年前に、超弦の男が……? それが俺を予言していただって? 超弦ってのは、そんなこともできるのか」

「超弦の力はフォーハードの力とは比較にならない。その力で未来視をしたとか言っていた。

 ともかく、俺の息子はその力で、お前がすること、そして、お前が行く場所まで知っていた。それを聞く前に、あいつは死んだが」

 そこでゴドラハンは話を打ち切った。

 息子のことはあまり思い出したくないのかもしれない、とファノンはゴドラハンの顔から察した。

「お前がいちばん、世界に光を取り戻すための源になりえる存在なのはたしかなんだ。俺に、力を貸して欲しい」

 そう言うとゴドラハンは、片手をファノンの前に差し出した。

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