39.喫茶店で

 喫茶店兼大衆食堂「ギフケン」。

 なんでも、この喫茶店の名前はセントデルタの前にあった地名だか州名だかの名前をとったらしい。

 その150坪ほどの広い間取まどりにゆったり置かれた丸テーブルに、クリル、メイ、モエクが向き合っていた。

 いや、向き合っていたのはモエクとメイだけで、クリルは空けたビールびんを三本、枕元に置いて、普段から人前で絶対にはずしたことのない、アクアマリンの補聴器もそこに転がして、ずっと突っ伏していた。

 クリルは無力感と自責で心の中を吹き荒れさせていた。

 ――何が稀代きたいの天才よ。

 ――ファノンの性格上、外出禁止をもらおうが、セントデルタ外に出ることは予想できたのに。

 ――そしてそれをするのは、仕事のためだって、わかってたのに。

 ――あの子、根は真面目なんだから、出なきゃならないとなると、出ることはわかってたのに。

 ――あたしがいけないんだ。

 ――ファノンが巻きこまれていくことを、止められなかったのは、あたしのせいだ……。

 という内情を、クリルが言葉で表現するはずがないので、ただその心痛にもだえて、机にひたいを当てているのである。

 モエクはともかく、付き合いの長いメイには、ああ今クリルは自分を責めているんだ、というのがわかっていた。

 いつものいじけ癖が、クリルに降臨しているわけだ。

 だが、これでは家にこもるモエクを引っ張り出してクリルと引き合わせ、二人の共作によるすごい名案を期待することはできそうにない、ともメイは感じていた。

「クリルさん……」

 隣に座るメイはクリルの後頭部をやさしくでた。

 クリルは反応こそしないが、その手をどけようとするしぐさはしなかった。

「……ファノンが今、危険な状況にある。なのに私たちは自警団員じゃないから、何もできない。こんなことって、あるか。私もクリルさんも、あいつの家族なのに」

 メイがうらぶしを誰にともなく吐いた。

「エノハや自警団長リッカが頑張ってくれる……と言いたいが、なかなか難しいな。そもそも彼は生きているのか」

「おいモエク。今そんなこと、言うなよ」

 メイが歯を見せてモエクを責めた。

 モエクのつぶやきは、クリルがこれほど苦しんでいるのに、それをさらに不安にさせる言葉だったからだ。

「あ……うん、すまない」

 モエクもそこでやっと自分の無神経な失言に気づいて、言葉を打ち消した。

「ったく……私たちでできることを探そうってんで集まってるのに、何も策が浮かばないじゃないか」

「情報がなさすぎるからね。わかるのは失踪しっそうした時間と場所と、それにかかわった実行犯がアジンという、この島国から消えていたはずの、フォーハードの殺人マシンのことだけ」

 態度で表現することを忌むモエクが、降参だと言わんばかりに肩をすくめた。

 じつのところ、今回のファノン失踪しっそうの直接の原因はフォーハードでもアジンでもなく、『享楽の男』ゴドラハンなのだが、その事実をモエクたちが想像できるはずもなかった。

 セントデルタの人間は、こんな事態になってなお、エノハに真実を隠されていたのだ。

 セントデルタ人の中ではいまも、ゴドラハンもフォーハードも死んだままになっているから、その犯人はフォーハードの忘れ形見アジンだ、ということになっているのだ。

 だがモエクの鋭敏えいびんな頭脳においては、かすかにその話にキナ臭さを感じていた。

「だいたいツチグモといい、なんでフォーハードの手先がここをうろついてるんだ。フォーハードは過去の人々を道づれに、南極の水爆でチリへと消えたはず。それに、過去の人間は二十歳で死ぬこともなかったというが、それでも500年も生きられないんだから、フォーハードが生きているはずがない」

「フォーハードは……500年前に死んでなかったのよ」

 それまで会話に入ってこなかったクリルが、酒に焼けたのどで声をあげ、ついでに頭も、のたりとあげた。

 目は酒のためか、泣きはらしたためかは不明だが、涙でうるんでいた。

「どういうことだい、クリル」

「この間、セントデルタの川で、ツチグモを操る男に出くわしたよ。その時、そいつはファノンと接触してた。まさに顔はフォーハードで、教科書に載ってた通りだった。この街では珍しい、エノハと同じ色白だったし」

「500年前の過去の人物が生きている……? どうやって」

「それはわからない。でも古代のことだし、何か方法はあるんじゃない?」

 クリルが首をかしげた。

 セントデルタ人は、古代人が永遠の命を得ていたことを知らない。

 セントデルタでは歴史の勉強はできるが、その古代人が末期にもちいていた『永遠の命』にかんする文献は、すべてエノハによって破棄、もしくは修整されていたのである。

 この技術があったからこそ人々は大量絶滅に見舞われた、ゆえにその復活は許されない……というのが、エノハの論だからである。

「信じられないが……君が言い切るんだから本当だと仮定しよう。で、そいつは何をしたいんだ」

「ファノンが太陽の光を集める力を持つことは、セントデルタ人ならみんな知ってると思うけど……モエクも知ってるよね?」

「ああ、有名な話ではあるな。憎しみや怒りを覚えた時にだけ使える、虫眼鏡と同レベルの熱を生み出す、と」

 モエクがうなずきつつ、ファノンのプロフィールをそらんじた。

「本当はファノンのそれは、太陽の光を集めてるんじゃなくて、周囲の素粒子を光子に変えて、運動エネルギーの指向性を一極集中させたものらしいのよ。これもファノンがフォーハードから聞かされたことから、あたしが推測したんだけど」

「んん……ごめんなさいクリルさん、話が難しいです」

 黙っていたメイが、おずおずと片手を挙げて質問した。

「んーとね。ファノンは物質そのものを作り変えることができるってこと。土を金にもできるし、逆に金を土や石くれに変えられる。同じように、光のない場所でも、そこに空気さえあれば光を作れるのよ。一箇所に集めてるから真っ暗闇の玉に見えるけどね」

「光を作る力……」

 メイは何日か前、クリルがモエクに告白された日に、ふさぎこみながら河原で『太陽の力』を発生させていた時のことを思い出していた。

 あの時に出した闇の球は、今までメイやクリルにいたずらする時の球体より、かなり大きかったのである。

「ねえクリルさん。私が最後にファノンのその力を見た時、闇の球が前より大きかったんです。使えば使うほど、それも激しい感情を覚えれば覚えるほど、ファノンのあの力は強大になるってこと……?」

「どうも、そうみたいだね。そしてフォーハードはこうも言ってたそうよ。ファノンに力の使い方を教えて、この宇宙を永遠に再生のない静かな空間にしたい……と。その力のことを知りたければ図書館で、超弦というキーワードについて調べればいい、と。エノハにチクって、その本だけ除いてもらったけどね」

「エノハ様に……? 嫌いあってるのに、よく行かれましたね」

「あいつとは反目しあってるけど、ファノンを守るってところでだけは共通してるし」

「ふむ……超弦、ね」

 モエクは意味深にうつむいた。

 どうやらクリルもモエクも、この超弦という名前だけでフォーハードが何を企んでいるか、おおよその方法を想像したのかもしれない、と、横で観察するメイは察していた。

 話についていけずに神妙な顔になっているメイをおもんぱかったのかどうか、モエクがため息のあとで、わずかに声音を変えた。

「しかしフォーハードも、よくわからない理由で、旧人類の放逐ほうちくをやったもんだ。少年がおちいりそうな思想だな。彼は少なくとも水爆破砕のころは20代後半だったはずだが」

「ガキなんでしょ、要するに。その思想に負けたのは人類のやむべき汚点だと思うけどね。でも今は、フォーハードの頭の中は置いておこうよ。

 今からのことだよ、大事なのは。

 最終的に、エノハがファノン救出のために動くはず。それを尾行するなり、泣き落としで同伴どうはんさせてもらうのよ」

「エノハ様が動く?」

 懐疑かいぎ的にオウム返しにしたのは、メイだった。

「エノハが動くだけの材料がわからないな。自警団員には緘口かんこう令が敷かれていて、細かい情報は何も入っていない。ファノンがさらわれたという情報だって、リッカがその緘口令を破って教えてくれたものじゃないか。しかし情報というのもそれだけ。生きているか死んでいるか、今はどこにいるのかもわからない」

 モエクがまたもファノン生死論をし返した。

「エノハがみずから出なくては、セントデルタのみんながたくさん死ぬからよ。ツチグモの話は聞いてるでしょ。あんなのがファノンのいるところに隠れてるかもしれない。そんなところに、セントデルタの人々をけしかけても、無駄死にが増えるだけよ」

「なるほどな……だがそれだと、エノハについていくことで、われわれもツチグモと出くわす可能性があるな」

「……モエク、あなたも来る気なの? ヒョロガリ・マイスターなのに」

学者、書にふけるなかれ、書にふけるも酒食にふけるもその罪は同じ、てね。これは福沢諭吉という男が自分のおいに、手紙で伝えたことだ。

 そろそろ知識をかさないと、何のために勉強したのだか、わからなくなる」

「あなたもあたしも、あと二年も命がないしね」

「……そろそろ僕も腰を上げないと。勤勉きんべんさは発揮してきたつもりだが、闇の彼方にその知識や労力を持っていけるかは不明だからね」

 モエクから意識的に軽口が叩き出された。

「止めないよ。あなたがいるだけで、あたしに飛ぶツチグモのレーザーが少なくとも一発分は、なくなるわけだからね」

 クリルはそこで話を打ち切り、酒が入っているとは思えないほど、しっかりした動きで立ち上がった。

次話へ
このページの小説には一部、下線部の引かれた文章があります。そちらはマウスオンすることで引用元が現れる仕組みとなっておりますが、現在iosおよびandroidでは未対応となっております。