40.帰るために。取り戻すために。

 鳥のさえずりさえ、まだ寝静まる午前3時。

 早朝とも深夜とも名指せるその時間に、ファノンは廃ビルの二階オフィス出口に、支度したくを終えて立っていた。

 支度と言うものの、そもそもファノンは身着みきのまま拉致らちされてきた身なので、できる支度といえば、帰路につく心の準備ぐらいではあるが。

 ともかく、ファノンの背後では、綿を張った木皮の布団ひとつに横たわるゴドラハンとロナリオが寝息を立てていた。

 ふたりは夢見心地に、仲睦なかむつまじく抱きあって、目を覚ますようすもない。

 ファノンは二人の目覚める様子がないことを確認してから、こんどこそ歩き出した。

 ちかけて鉄筋ののぞけるコンクリートの階段を降りて、一階の室内菜園を抜け、どっぷりと闇をたたえる森林にファノンはのぞむ。

 ビルのエントランスまで抜けたにもかかわらず、心配していた警報もなく、矢が眉間みけんに飛ぶでもなく、落とし穴が足元に開くでもなく、上のゴドラハンたちが降りてくる様子もない。

 ファノンはこの静かな別れに、ほんのりとした寂寥せきりょう感をおぼえたが、立ち止まって布団に戻るほどの理由にはなり得ず、そのまま闇のほうへ歩き出した。

 古代人のようにネオンやライトで夜を昼に偽造していた時代とは違い、太陽の昇降に起床時間を合わせているセントデルタ人は、かなり視力がいい。

 午前3時の空は曇天どんてんで、黒い雲がせめぎあっていて星も望めず、したがって歴戦の航海士がここで方位学を振るったとしても役に立たないほど方角も定まらないロケーションだが、ファノンにはくっきりと、森の影の中で高くそびえる、アレキサンドライトの塔が見えているのだ。

 ――ゴドラハンが初めに言ったように、迷わず帰れそうだ。

 そう考えながら、ファノンはゆっくりと、セントデルタに向けて、を進めた。

 ――クマにさえ出くわさなければ、なんとかなるな。

 ファノンははやる望郷の気持ちを抑えきれず、少しばかり早足で宵闇の森を進んでいた。

 だがその夜行やこう軍は、始まって数分ほどで、にわかに止まらざるを得なくなった。

 ファノンの進路である森の中に、見覚えのあるアメジストの双眼の光が灯ったのである。

「……!」

 あるていど、この事態を予測していたファノンは、すぐに身構えた。

 例によって、その闇に浮かぶアメジストの眼差まなざしは、2つから4つ、4つから16個、そして100個以上へと増えていった。

 フォーハードの作った家電型マシン、アジンである。

 安っぽい金属とプラスチックの重なり合う、ガシャンガシャンといった足音をがならせて、アジンはアルマジロを思わせるうね状の体を、木々の闇から踊らせて、横列を組んでファノンに迫ってきた。

 だが以前と違い、ファノンがうろたえなかったのは、今度はちゃんと戦う手段が備わっていたからである。

「ギゴ」

 機械が掛け声を発するわけはないから、これは金属のこすれ合う音である。

 だがまるで、それを合図にするように、100体近いアジンたちが、いっせいにファノンに走り出した。

 そのアジンに向けて、ファノンは手のひらをかざすと、目の前にいるアジン四体が、一瞬のうちに、大きな静電気のひらめきを残して、消滅したのである。

「よし……できた」

 ファノンは興奮ぎみに、ひとりごちた。

 これこそがゴドラハンに教わった、いや、ファノン土着の力、超弦の正しい発現のしかた、だった。

 ファノンの力は万物ばんぶつをあやつる力。

 いまファノンがやったのは、アジンの五体を構成する鉄とゴムと水素電池、その他もろもろ銅線やプラスチックなどを、まとめてヘリウムに変じたのである。(静電気が出たのは、ファノンの力の関わった部分とそうでない部分の境界で、半端に原子をヘリウム化されて孤立化した電子が、周囲で弾けたためのものである。)

 以前、ツチグモを焼いた太陽の力とはケタ違いの確実さで、敵を仕留める技。

 ――これなら、勝てる!

 あたかも大河たいがの上流から、無尽蔵むじんぞうあふれる流水のように沸く力を感じながら、ファノンはそう確信していた。

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