42.援軍

「あ、れ……?」

 ファノンは何度目か手のひらを掲げたとき、異常に気づいた。

 そこからは超弦による、現実離れしたエネルギーが発される代わりに、気の抜けた酒のように、覇気はきのない、見えない流体がファノンの手の外ではじけて、それっきり、壊れたカラクリのように、反応がなくなったのである。

 目の前には、片付かずに残る、大量のアジン集団。

 それが赤外線信号で仲間と歩調を合わせながら、目の前のファノンにいっせいに歩き出した。

 さきほどまで勇者のような心持ちだったファノンだったが、いきなり力に見放されて、にわかに捕食者から逃げる小動物とおなじ気持ちに切り替わった。

「嘘だろ……こんなところで」

 無力になって戦地に立っていることに気づいたことで、ファノンの血流の中に冷たい恐怖が駆け抜けて、脳髄のうずいから指先に至るまで、脱力が襲ってきた。

「うそ……嘘だろ? 出ろ、出ろよ! 超弦の力!」

 ファノンは声を荒げて、自分の腹の底に眠る力をなじったが、力のほうは、わずかにも呼応することはなかった。

 ――恐怖と憎悪ぞうおは、同時には感じられない。

 フォーハードが何かの引用でしゃべっていた言葉が、ファノンの脳裏のうりによぎる。

 ファノンは不恰好ぶかっこうにうしろにたたらを踏みながら後退するが、そこは森のこと、あたかも森の静けさを破った罰のように、すぐに背中をブナの木がふさいできた。

 そんなファノンにむけて、アジンが、仲間の体の一部分……おそらく脚だったものを握りしめ、振り下ろしてきた。

 落ちてくる脚を、ファノンは自分の腕で受け止めるが、やはり機械と人間の腕力の差、ファノンの腕は下へ押し飛ばされ、ファノンはもろに頭に、アジンの一撃をもらってしまった。

 景色と意識が激しく振動する。

 ファノンはたまらずぐらつき、膝をついた。

 そのファノンの横顔へ、別のアジンが腰だめにしたミドルキックを、頬に向けて放ってきた。

 ファノンは横顔にもろにアジンの足の裏をもらって、木の根でデコボコした土の上に、まるで雪の上をすべるソリのように、すべりこんだ。

「あ……お……ちょっ……やめ……」

 ファノンは無様ぶざまに地面をなめずるような動きでいながら、背中に控える大量のアジンへ向けて懇願こんがんするが、機械のほうは、哀れな人間の発する小声に、まったく聞く耳を持つ様子はなかった。

 アジンの一体がファノンの背中を、叩き折るほどの勢いで、踏みつけてきた。

「ぎぃあうッ!」

 悲鳴をあげるファノンの上で、アジンは逆手さかてにした、とがった黒曜石のナイフを振りかぶる。

「やめろ……やめろよ……」

 ファノンは涙声で、力なく地面に腹ばいにされて、ただただ、聞く耳のあるはずのないアジンへ、か細い声で頼みつくしかできなかった。

 さきほどまでの調子づいた余裕は、超弦のエネルギー切れとともに、消え失せていた。

 勇気はどこへいったのか。どこへ置いてあるのか。

 そういったものは、身体のどこにもなかった。

 ――勇気じゃなかった。

 ――俺は、舞い上がってただけだったんだ。

 なんとちっぽけな存在か。

 なんと弱い人間か。

 ファノンはこれから、それを噛みしめたまま、死んでいくのである。

 そして、死刑執行しっこうをあずかるアジンが、ついにナイフを下ろす。

 だが、それがファノンのあばらの隙間すきまを縫って心臓を串刺しにする直前、先ほどファノンがされたのよりも、はるかに強烈な飛び蹴りが、ナイフを持ったアジンに突っ込んできた。

 アジンはブナの木に頭をぶつけ、そのまま機能停止して、プログラムされた人生を終わらせた。

 蹴ったほうは、脚を開いて低く腰を落とし、つぎのターゲットをしぼっていた。

 ――ゴドラハンだった。

「ゴ、ゴドラハン……なぜ」

 ファノンはいつくばったまま、ゴドラハンを見上げた。

「その力、過信しすぎだぜ……お前のエネルギー上限には二種類あるって、言っただろ。一つは体の中に一定して滞留する超弦の力。これは憎まずとも恨まずとも発動する代わりに、貯蓄エネルギーは少ない。もう一つは、憎しみを燃やしたときに出てくる超弦の力。こっちは無限らしい。いまお前が無くして慌ててたのは、前者のほうだ。そのどちらも、恐怖で使えなくなる代物だが」

 ゴドラハンはこけむす土に寝そべるファノンを横目に見たが、それ以上のことは、ゴドラハンにはできなかった。

 アジンが五体、訓練されたコマンドー兵士よろしく、おなじタイミングで襲ってきたのである。

 ゴドラハンが通常の人間だったなら、これで地面に組み伏せられ、なすすべもなく殺されているだろう。

 しかし500年にわたって空手の訓練を続けてきたゴドラハンは、そもそも常人ではなかった。

 寸分違すんぶんたがわない動きで連携をおこなうアジンだが、ゴドラハンはそれらと平行に飛んだのである。

 これにより、左側のアジンとは距離がちぢみ、右側のアジンとは距離が広がった。

 攻撃できる時間にムラが生じたアジンの前列に、ゴドラハンは文字どおり殴りかかった。

 アジンはもともと家事全般を人間の代わりにおこなう家電製品。

 だからこそ、買い物先で暴漢に襲われたときのために、あらゆる武術の有段者と同等の動きができるようになっている。

 だがゴドラハンのものは、それら有段者とは比較にならない技量。

 そのためアジンはこれから、ゴドラハンの動きの洗練さを学ぶこともできず、沈んでいくことになる。

 手始めとして、ゴドラハンはアジンの腹部へ正拳突きを放った。

 アジンはとうぜん、腹にくるその一撃を防ぐために腕を差し向ける。

 だがゴドラハンの正拳突きはそのとたん軌道きどうを変え、アジンのあご掌底しょうていで叩き上げたのである。

 攻撃をもらって、無理やり夜空を見上げる姿にさせられたアジンは、がら空きの腹をゴドラハンの目の前にさらすことになった。

 そのアジンの無防備な腹へ、ゴドラハンは腰だめにもう一度、正拳突きを入れた。

 腰の入った一撃に、アジンはうしろに並んでいた仲間のアジンを巻き込みながら、地面に倒れていった。

「500年前には空手6段だったんだが、ずっと鍛錬は欠かさなかった……実のところ今の俺の段位がどうなのか、本当のところはわからないんだ。試してくれよ」

 ゴドラハンは空手の残心をキレのいい動作で済ませながら、残りのアジンへ向けて、挑発の句をまじえた。

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