52.惜別

 瓦礫がれきに埋もれた坑道の中、額からぼたぼたと垂れる血をそのままに、ゴドラハンは卑下ひげした笑みを口元にまとわせて、壁にへたりこんでいた。

 そのゴドラハンに近づく、人影。

「……よう」

 ゴドラハンの挨拶あいさつするところに立っていたのは、ロナリオだった。

「ファノンは安全なところに置いてきたか?」

「はい、彼は街道かいどうに連れて行きました。まだ意識は戻らないようですが……いずれ自警団員かエノハか、どちらかが見つけるでしょう」

 ロナリオは無表情のままゴドラハンに近づくと、膝をついて、ゴドラハンのすすけた頬を指でぬぐった。

「フォーハードとエノハの気配、消えました。少なくとも逃亡は成功しつつあります」

「やれることは、だいたいやれたな。だがフォーハードと戦うのに、また準備しなくてはならなくなった。爆弾を同時に爆破するのは、けっこう難しいと知ったよ。あいつと戦う鉄則は、姿を見せないこと。顔を出せば、宇宙空間に片道ワープ旅行をさせられるんだからな。卑怯と不真面目さこそが、あいつと戦う武器だよ。どっちも俺の主義と逆なんだけどな」

「これから、どうなさいますか」

「このアジトは放棄ほうきする。何年かはエノハの警戒も強くなりそうだが、その緊張を永遠に続けることはできん。その日を期して、また潜伏生活をするよ」

「また……負けてしまいましたね」

「生きてナンボさ。フォーハードとエノハも無傷だが、俺も君も生きている」

「また、あなたが辛い思いをします。あなたはこれから、日の光からも逃れるように夜を走ってアジトを探さなくてはなりません。フォーハードはおそらく、アジンやツチグモを野に放ち、あなたを捜索するでしょう。彼らから隠れながら、役に立つかもわからない罠を何年にもわたって作らなくてはなりません。その罠を毎日毎日検査しなくてはなりません。

 何よりもあなたはまた、セントデルタを監視するために望遠鏡を羨ましそうに見つめなくてはなりません。

 本当は一人は嫌なんでしょう? セントデルタのような、あなたの意に反した理想の世界であっても、そこにいる人々と話し、たくさんの苦労に泣いて、それと同じぐらい、言葉にしがたい幸せに笑って、寿命を身に浴びて死んでいきたいんでしょう?」

「……おおむね正解だけど、一つだけ訂正したい箇所がある。お前からしたら俺は孤独な仙人に見えるのかもしれないが、俺は一人ではないってことだ」

「私と一緒にいて、楽しいのですか? 私は機械です。面白い話をできません。助言はできますが、それはあなたが何かを計画した時だけです。私は事実を語るしかできない機械にすぎません。あなたの話にうなずくことしか、できません。あなたが生きたいともらせばハイと答え、あなたが死にたいと告げてもハイというしかできないのです」

「無理に人間のフリをしなくてもいい。お前はそれでも、俺と一緒に笑ってくれた。悲しんでもくれた。それだけで充分だ……そんなお前に頼みたいことがある」

 そこで一度、ゴドラハンはつばを飲みこんだ。

「ファノンを、助けてやってほしい」

「私が……ですか」

「ファノンには力があるし、優しさもある。エノハの親切に甘えたために無知の極みだが、本当は賢いんだろう。だが人間がそなえる、そういう美点や特技を、フォーハードは逆用する術を知っている。あいつをフォーハードの指図で破壊神にされちゃあいけない。となると、今の俺にできるのは、お前を送ってファノンの知恵袋になってもらうことぐらいだ」

「ファノン本人はフォーハードのことはともかく、セントデルタの街やエノハに反意は抱いてないようです。フォーハードを倒すことでエノハの世界が揺らぐなら、ためらうはずです」

「そこでお前の出番だよ。ファノンの好きなエノハを倒せ、と言ってるわけじゃない。フォーハードさえ倒せばいいんだ。フォーハードの強権のなくなったエノハには、かならず変化が起こる。

 永遠に生きる力をもつ、ただ一人の人間が監査もなく審査もないまま、強い権力を預けられれば、いずれかたむきが生じる。

 と言っても、エノハが変心して悪政に走るって意味じゃあない。奴はほんらい、民衆の声を聞くことにやぶさかではない性格だ。

 そこにこそ、乱れが生じるんだ。

 民衆は同じものを喜ばない。俗な言い方をすると、飽きるんだ。こうやったら、よりよくセントデルタは変わる、セントデルタが便利になる。その言葉を、エノハは聞く耳を持っている。フォーハードがこの500年間、それを邪魔してきたから変わらなかっただけだ。げんに、エノハはかつて病気で早死にすることは自然の摂理だと言っていたのに、結局は白血病だったファノンに手を差し伸べた。それからずっと、病気になればエノハを頼れと宣言せざるを得なくなった。ファノンを助けておきながら、他の病人を見捨てるのか、という声を、エノハが無視できるはずがないからな。

 こういうことは、フォーハードがいなくなると、加速する。そしてやがてはエノハが看過かんかしがたいほどの変化を人々がのぞむ、ということも生じる。セントデルタの法に異議が集まった時、エノハがどんな態度に出るか。

 その時こそ俺たちの出番だが、今はそれよりフォーハードだ。あいつが存在する限り、俺たちが未来のことをいくら夢見がちに語っても、白昼夢はくちゅうむにしかならない。

 そこで、お前だよロナリオ。

 お前ならセントデルタに潜伏せんぷくできる。お前の表皮は人間と同じ細胞だが、自在にその顔を変えることができるからな。惜しむらくは、エノハのふりをしてフォーハードに近づき、奴を殺す作戦はすでに失敗していることだが」

「あの時、私もあなたも死にかけました。私たちには500年前の記憶ですが、時空を飛び越えてきたフォーハードにとっては最近のできごと。今も警戒はしているでしょうから、同じことは控え、フォーハードとの接触は避けましょう」

「問題は、誰のフリをしてセントデルタに潜入するか、だ。あそこの人口は1万人だが、彼らはほとんどお互いが顔見知り同士だ。他人同士のつながりが強く、顔なじみが多いってことだから、見知らぬ人間がいれば、すぐに噂になり、エノハなりフォーハードの知るところとなる」

「それについては心配ありません」

 ロナリオはけ合うように、淡々とうなずいた。

「すぐそばに、死をまぬがれない人物が。私のセンサーが、体温が下がり続ける人間をとらえています」

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