53.アーメン

 ――血が止まらない。

 少しずつ腹からの激痛は麻痺まひし、かわりにいつもと違う『眠気』が身体にのしかかる。

 肝臓を、アジンのパンチに貫かれた。

 女はもう、指すら動かせずに仰向あおむけに倒れるのみだった。

 来年には20歳を迎え、アポトーシスによる闇への帰命が待っていたから、前までやっていた裁縫師の引き継ぎは、すでに終えていた。

 ツチグモの騒ぎをきっかけとして常駐自警団に転向。

 セントデルタ、いや、エノハのために一助になればと思って、今回のファノン捜索そうさく隊にも参加したが、この始末。

 仲間とはぐれ、アジンに囲まれ、袋叩きのき目を見た。

 死ぬ覚悟かくごは、したつもりだった。

 だが、こんなになっても、まだ生きたいという執念は尽きない。

 ――なんで、こんなことに……。

「やだ……死に……たくない……」

 看取る相手もないまま遺言をつぶやいた時、だった。

 女の途切れがちな意識でもわかるほど近くに、気配が生まれていた。

 ボブヘアの、白い肌の女が、無表情に立ち尽くしていたのである。

 女の記憶の中には、ない顔だった。

 この20年近い人生の間で、たいがいのセントデルタ人とは知り合いになった気でいたのに、だ。

 セントデルタ人はほんのりと浅黒い肌の人種。

 これほど見事な白さの肌を持つ女は、エノハ以外に見たことがない。

 すれ違ったら忘れるはずがない特徴のはずなのに、記憶にないとは、どういうことだろう。

 だがその疑念を、悪いほうにとらえないのは、セントデルタ人の美点だった。

「あ、あなたは……だれ……」

「私はロナリオと言います」

 ロナリオは左胸に手を当てて、慇懃いんぎんに自己紹介した。

「あなたの名前は?」

「ニニナ……」

「そう……ニニナさん……」

 ロナリオは血まみれで寝そべるニニナの傍に、膝をついた。

「申し訳ありません」

「なにを、謝るの……」

「私には、あなたを助ける力がないからです」

「そんなこと……あなたが気にやむことじゃ……」

 先ほどまで誰かに気にやまれたかった内心をおさえ、ニニナは苦笑した。

「せめて、あなたのために祈らせてください」

「い、の、る……?」

 ニニナにはその意味はわからなかった。

 セントデルタの宗教は闇を奉じるもの。

 祈ろうが祈るまいが、死ねば五体は闇に溶け、先に消えたものと素粒子レベルで混ざりあい、やがてはその一部分は花になり虫になり、あるいは数億年サイクルで石になる。

 ――祈り? 聞いたこともない言葉。

 だがニニナは、その行為を悪いとも不快だとも感じなかった。

「祈りとは、なに? それをするとどうなるの」

「……あなたが天国に行って、そこで幸せになれるよう、祈っているのです」

「天国……どこ……? それは」

「私にもわかりませんが、光ある世界とのことで、死んだあとにだけ行ける世界だと。私の好きな人や、その人の周囲の人が信じていました。罪深い私がそこに行けるかもわかりませんが、私もそれを信じたい」

「見たことのないものを信じる、ね。愚かな話ね」

「私が天国に行けるのか、わからないのです。でもきっと、私にも魂があるとゴド……ある人が言ってくれました」

「……その、ある人のことが、好きなんだね」

「……好き……はい。あなたにも、そのような人が……ニニナ?」

 ロナリオはニニナの顔を見つめて、知覚した。

 ニニナが、こときれていることに。

 それをセンサーからの情報で分析したあとでなお、ロナリオは眠るニニナに続けた。

「あなたがどんな考え方で、誰と暮らし、何を愛したか。セントデルタに潜入するためにも、そのプロフィールを聞かせて頂く必要がありましたが、何もわかりませんでした……ですが」

 ロナリオは両膝を土につけて、手を合わせた。

「あなたの旅に祝福を」

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