54.5 カルガモ

 翌日、夕方の喫茶『ギフケン』にて。

「メイ、結婚してくれ」

 モエクは昨日の服とは違うものの、やはりほころびている長袖を着たいでたちで、テーブル向かいのメイにプロポーズした。

 メイのほうは、その出し抜けの告白に、かしのテーブルに両肘をついて、頭を抱えた。

「……恐ろしく見境みさかいのない男だな、モエク」

 火のついていないルビーの燭台しょくだいごしに、メイは疲れた返事をなげた。

「悩んでいる時間は僕らにはない、前にそう言ったろう?」

 モエクは一切笑うこともなく、例のするどい眼力で見つめてきたから、どうやらこれは冗談でも、からかっているわけでもないようだ……というのはメイにもわかったが、一週間前のできごとを知っているメイからすれば、モエクの態度はむしろ滑稽こっけいにしかみえなかった。

 以前、フラれた友人を見たことがあるが、1ヶ月っても2ヶ月経っても、食事がのどを通らない、眠れない、あるいは眠っても、夢の中に思い人がでてくる、つらい、つらいとこぼしてばかりいた。

 ――クリルさんにフラれてから一週間ほどしか経っていないのに、切り替えが早すぎるだろ、こいつ。

 ――何年も片思いをしっぱなしだったはずだが。

「回転早すぎだろ。おかげで私は、まったくあんたのことを意識してなかったことを、むざむざと見せつけられたよ」

「そうなのか、女心のことはわからないもんでね。こういえば僕のことを意識してくれるかと思ったんだが」

「女心を理解することも、りっぱな学問のひとつだと思うぞ」

「それについて考える暇があれば、この世を転覆させる方策をめぐらせるよ」

「あんたがモテないことは良くわかった。クリルさんのことは、もういいのか?」

「ぜんぜん良くない。だが、うずくまる時間が惜しい。そのへんの転換が上手いのは、自然界の生き物にごまんといる」

「はあん、たとえば?」

 メイは仏頂面ぶっちょうづらで聞いた。

 ――こいつ、理屈っぽいんだよなあ。

 石英のように白く淡白な顔から、つぎつぎに、機械印字するように言葉がぞろぞろと這い出てくるさまをながめながら、メイはそう思っていた。

「昔に存在した、東京というところの、不忍池しのばずのいけという、小さな池に起こった話だ。ユリカモメのメスとカルガモのオスの恋愛」

「……ちょっと待て、その話、長いのか? 今はあまり頭を使う話を聞きたくない気分なんだ」

 モエクの勿体もったいぶった口調のせいで、メイの顔色に、ムーンストーンのような青みが走った。

「5分くらいかかる」

「長すぎて寝そうだ。2分で話せ」

「ああ、十分だ」

 モエクはためらわずに、うなずいた。

 モエクはおよそ、メイにそう返されることを予想していたのだろう、初めから2分ていどの話だったところを、メイの不評を先読みし、わざと5分かかるなどと、長い所要時間を告げたのだ。

 よくよく考えると、関わりたくないと思う相手の話を2分聞くことは、すでにウンザリする話なはずなのだ。

 ――やっぱり、頭脳戦だとこいつがウワテだな……。

 メイがにらんだが、モエクは得意げに痩せた頬を、不敵にニヤけさせた。

 興味を引く話だという自信も、あるのだろう。

「で……カモメとカモと言ったな? 鳥同士には違いないが、種族が違うじゃないか。恋愛になんのか」

 いみじくもコイバナの好きなメイは、じつのところ、興味の食指を反応させていた。

「子どもも作れるそうだ。ただ、ロバと馬の子どものラバのように、生まれはすれど、そのあとは子孫が残せないようだが」

「あと、カモメって渡り鳥じゃなかったっけ」

「そうだ、北国から越冬するためにやってきたこの鳥が、カルガモに心打たれて、つがいになった。春がきて、北に戻らなくてはならなくなったユリカモメだが、カルガモのために、ほかの仲間を見送り、一羽だけ残ったそうだ」

「ロマンだね」

「そして幸せな生活が続いていたある日、ユリカモメは、車にはねられて死んだ」

「……カモのほうは、どうしたんだ。ヘコんだだろ」

「たいそう沈んでいたそうだ。僕でもそうなるだろう、クリルが死ぬと考えるだけでいたたまれない。君なら、どうする?」

「後追い自殺でもしたくなるが、その話の文脈からすると、答えは自殺じゃなさそうだな」

「ああ、三日後には、メスのカルガモとつがいになっていた」

「三日後って……二年後とか三年後とかならまだわかるけど、早すぎだろ」

「僕もそう思う。けれど自然界の筆法には、感心したんだ。この切り替えの早さ。僕がほんとうに必要なのは、体の強さでも頭の良さでも精神の繊細さでもなく、心の頑強さだ」

「共感しかねるね。つまりお前、クリルさんが死んでも私が死んでも、翌日には忘れて、二日後には女と知り合って、三日後にはその女と引っつくってことじゃん」

「それぐらいのスタンスになりたい、ということさ。実際できてないんだから、そこで悪く言わないでくれ」

「女のほうとしちゃ、一生忘れないで欲しいよ」

 メイは天井をあおいだ。

 仮にメイが死んだとすれば、ファノンはたぶん泣いてくれるだろう。

 もし自分がいなくても、ファノンには幸せになって欲しいが、自分のことを毎日思い出してほしいというのは、強欲なのだろうか。

 三日で切り替えるのも、生命の強さとしてあこがれるというのはわかるし、たびたび仲間の老衰を見守らなければならないセントデルタの人間としては、その強さを求めることは必要なことだろう。

 それでも、ファノンには。

「……あれ、ファノンのバカに……どうしてほしいんだ、私は」

「どうしたメイ」

「いや、何でもない。ただ、死んで忘れられることはともかく、強く生きるってのはいいと思う」

 メイは肩から力を抜きながら語ると、イスから立ち上がった。

「行くのか?」

「ああ、私の自警団員の知り合いが、昨日の戦いでケガをしたらしいからな。ニニナという女の人だ、アエフも知ってるはずだから、あんたにも話がいってるんじゃないか?」

「アエフからは何も聞いていないな……僕には小学校時代の同級生以外に知り合いがいないから、気をかせたんだろうさ」

「そういうことか。ともかく、アエフを借りるぞ」

 メイは別れもそこそこに、喫茶店の入り口ドアの、オパールの呼び鈴をコロンコロンと鳴らせて、出ていった。

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