56.みかた

「くっそおおおおおおおおおっ!!」

 ゴンゲンの大きな号泣が、病院外に響くほどに、空気中をのたうった。

「俺の……俺の監督不行き届きだ!」

「ゴンゲン親方……そんなに自分を責めないで」

 横にいるモンモがいさめるが、ゴンゲンは背を丸めてすすり泣くのをやめなかった。

 そしてゴンゲンが泣く原因となっているファノンのほうは、窓に寄りかかって、苦笑いを浮かべてその状況を見つめていた。

 ファノンの頬には黒ずんだアザがのこり、病衣の下に隠れる胸にも、幅広く包帯を巻かれてはいたが、歩ける程度には、この時すでに回復していたのである。

「親方……あんたのせいじゃ、ないよ。俺が選んでやったことだ」

「俺には努力が足りなかったのだ……! 努力の足りない人は、わが身を処する道を誤るだけでなく、人にも迷惑をかける……クソ! この言葉はまさに、俺のために残された言葉だったのだ!」

「う、ん……」

 傍聴しているモンモは、ゴンゲンのその言葉が間違っていることを知っている。

 本当は『視野の狭い人は、我が身を処する道を誤るだけでなく、人にも迷惑をかける』という、松下幸之助の言葉なのだが、それを訂正しても、どうせ聞きはしないので、黙っていた。

「それなのに俺はファノンを……ほかの仲間たちも、あんな危険な目に! 16人が死んだ原因は、俺にある!」

「……」

 そこは、ファノンにとって、触れられるとまずいところだった。

 16人が死ぬことになった原因。

 それをたどると、ファノンがさらわれたことと、フォーハードの復活につながるのである。

 だがそのふたつは、自警団とクリル、メイ、モエク以外には、秘密のことになっているのだ。

 とうぜん、『水爆の男』フォーハードが生きていることも、それがファノンを狙っていることも、フォーハードと敵対するゴドラハンが今回の拉致らちを引き起こしたことも、話してはならぬと、エノハに口止めされている。

 ――セントデルタの平穏のため、フォーハードが生きていることも、ゴドラハンのことも隠すべきなのだ。

 今日の朝、エノハが見舞いに来たとき、その念を押してきた。

 ゴンゲンもモンモも、この件に関しては、部外者。

 親しい人々と、重要な話を共有できないのが、こんなに重苦しい気持ちになるとは、ファノンには思いもよらなかった。

「……俺が、アジンに出くわして逃げてる間に、そんなに死んだんだもんな」

 ――ファノンは、アジンに追われているうちに遭難した。

 これが、ゴドラハンに拉致されていたと自供するかわりに、エノハに言えと命じられた言葉だった。

 セントデルタを守るために。

 人々を守るために。

 真実を隠すこと。本当にこれが、最良の選択なのだろうか……。

 今のファノンは、大いにエノハの持論に疑問を抱くようになっていた。

「遠くからでも、エノハ様がお住まいのアレキサンドライトの塔が見えるはずなのに……そうとう深い谷に迷い込んだのね、ファノン」

「あ、ああ……けっこう谷もあるんですよ。参ったよ、あの時は」

 ファノンは三流の演技でとぼけたのち、ベッドをはさんで向かい合うモンモとゴンゲンに、数歩近寄った。

「あの……モンモさん。ゴンゲン親方も……」

 ファノンは言い出しにくい言葉を吐くため、いちど間を置いてから、続けた。

「あまり、ここへは来ないほうがいいんじゃないか。俺のウワサ、知ってるだろ」

 いまのファノンについて、かなり多くの噂が流れていることを、ファノンは知っている。

 その噂の渦の目は、ノトのようだ。

 と、この病室でファノンの世話をしてくれる看護師がしゃべっていた。

 ノトの家から遠いこの看護師まで、そのことを知っているほどだから、相当な勢いで、その噂は流布るふされているのだろう。

 ノトの振りまいた噂。

 それは、ファノンがブラックホール球でツチグモを焼いた、というものらしい。

 事実の話ではあるが、現実と付き合わなくてはならないセントデルタ人が、それをあっさり信じるだろうか……とファノンは最初はそう楽観視していたが、どうも、ノトのばらまいた風聞は、人々に定着してしまったようなのだ。

 というのも、ノトはわざわざ、その時の様子を動画として、セントデルタの一部の人々に見せて回ったらしいのだ。

 古代には、過ぎ去った映像を見返す技術があったのはファノンも知っている。

 いったいノトがどうして、そんな道具を持っていたのか……というのは、愚問なのでそれ以上は考えない。

 フォーハードの持ちこんだ機材に違いない。

 この騒ぎに油をそそいだのは、フォーハード。

 その動画再生機じたいは、自警団員によってすぐにノトの手から剥奪はくだつされたらしいが、それをされる前に、じかにファノンの力を映像で見た人々は、どうやらたくさんいるらしい。

 こうして、ファノンの力が暴走を始めたことを知る人間は、ノトだけでなくなった。

 ひとりの人間が同じことを100回言うよりも、100人の人間が同じことを1回ずつしゃべったほうが、はるかに真実味を帯びる。

 ――ファノンがもしも、自分たちにこの力を使えば……。

 こうしてファノン化物説は、まともな危機意識をそなえるセントデルタ人によって、すぐさま町中に散らばったのである。

 それにくわえて、今回の自警団員が16人も死亡したという話。

 エノハによる緘口かんこう令が敷かれているにもかかわらず、すぐさまそれにもファノンが絡んでいることが、即日のうちに街中に流出しているようなのだ。

 いま、入院中のファノンは、直接はそれを目にも耳にもしていない。

 だが確実に退院と同時に、一部の人々の迫害の態度が、ファノンを襲うだろう。

 このことで心の消耗を受けているのは、ファノンだけではない。

 いま目の前にいるゴンゲンの宝石窓工房は、ファノンの勤務先である。

 ゴンゲンは化け物を雇っている男として、おそらくすでに、この宝石窓工房の客足を減らしていることだろう。

 モンモの仕事のほうに影響は出ていないが、それでも、ここにファノンの見舞いに来れば、化け物のほうの味方、と世間に伝えるようなものである。

 味方でいてくれるのは嬉しい。

 が……それ以上に、心苦しいのである。

「知ってるけど……それでここを退院したあと、あなたはどうすんのよ」

 モンモの質問にはいぶかしみが含まれていた。

「……このケガが治り次第、セントデルタから出ていくつもりです。ここはもう、俺の居場所じゃなくなった。だから、モンモさんもゴンゲン親方……もむっふ!」

 すべて言い切る前に、ファノンの右頬にゴンゲンのいかつい拳が、ファノンの左頬にモンモの鞭のようにしなるハイキックが、めりこんでいた。

 来たる衝撃を右にも左にも逃がすことができなくなったファノンの脳みそは、床に落としたプリンのように、醜く割れて粉々になった。

 こうしてファノンは死に、人々は超弦の恐怖から解き放たれ、その話をきいたフォーハードは憤怒ふんぬのあまりプリンを喉に詰まらせて自殺……世界は平和になった。

 

完。  

「っって、オイ!!!!!!!!!!!!!!」

 水を浴びた粘土人形のように、へたりこんでいたファノンが、立ち上がりざま叫んだ。

「こんな終わり、あってたまるかよ……なんなんだよ」

 ファノンは自分に強烈な暴力を働いたふたりを、交互に見つめた。

 ゴンゲンは初めからずっと泣いていたが、モンモも瞳を潤ませていた。

「モンモさん……」

「ナニが、ここを出てく、よ。水臭いことを言わないでよ」

 モンモがベッドを迂回うかいして、ファノンの隣に歩み寄ってきた。

「私はあなたの腕を買って、あの工房に来てたんじゃないよ。あなたの心を買って、あそこに通ってたんだよ」

「モンモさん……」

「私は失うのがイヤなの。怖いの。今まで、たくさんのセントデルタの友達を、尊敬できる先輩を、育ての親を、アポトーシスで見送ってきた。いま、迫害なんてしょうもないモノで、あなたがここに居られなくなろうとしてる。失うものの中に、私より年下のあなたが加わるかもしれないなんて、耐えられないの。

 いい? ファノン。初めから無いのと、持ってるものを失うのとじゃ、意味が全然違うんだよ」

 潤んでいただけのモンモの瞳から、涙が粒を作ってこぼれ出した。

「こんなことでファノンがいなくなるなんて、やだよぉ」

 モンモはまさに、幼い子供のように、天井を見上げて嗚咽おえつしだした。

「すまない……すまない、モンモさん」

 ファノンは唇を噛みしめながら、モンモの涙を指でぬぐった。

「なあファノン、よく覚えておいてくれ」

 横からゴンゲンが言葉のくびきをさした。

「人間の命は、生まれた瞬間から、自分だけのものじゃないんだ。いまモンモさんが教えてくれたろ? 初めから無いのと、途中でそれをとりこぼすのは、意味が違うと。

 お前がここでくじければ、そして反対するアホウどもの言葉の通りにすれば――最悪、やつらに殺されるとしたら……お前と戦ってきた人間も、お前を守ってきた人間も、心にひどい穴をあけるんだ。

 お前には戦う義務がある。跳ね飛ばす力を持つ権利がある。そして、それをしながら、生き残る必要がある。

 どうか、モンモさんや……クリルやメイのためにも、ここでくじけてくれるなよ。俺は、俺にできることをやっていく」

 ゴンゲンもまた、モンモの隣に立ち、ファノンの左胸に、何かを託すように、小さく拳を添えた。

 涙で顔がグシャグシャになっているモンモも、それに合わせるように、ファノンの手を取った。

「負けちゃ、ダメだよ」

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