――セントデルタを街と言うべきか、村と言うべきか……はたまた、国と呼ぶべきか。その議論は終わりが見えない。
ただ、セントデルタにおけるナンバー3(ナンバー2は自警団長)といえば、町長、という呼び名で確定しているらしい。
ふしぎなものだが、村長でも国長でもなく大統領でもなく、町長なのである。
その町長の家は、セントデルタ中心部、死者の祭壇の東、カーネリアン・ファイアオパール通りにある。
その内装だが、カエデの板を打ち付けた壁には、かつての人類の覇権をしのぶように、メルカトル図法で描かれた巨大地図が張り付けられ、べつの壁には、夕暮れ時のアレキサンドライトの塔から見下ろしたセントデルタの風景画。
壷などの調度品はないが、中央には牛皮のソファに壁と同じカエデのテーブルと、少しばかりのシトリンのカップが戸棚の中で逆さになっていた。
「……!」
クリルがその部屋に入ろうとドアにノックをしかけたとき、まるで待ち構えたかのように、そのドアが先に開き、そこからバスローブを着た女が、顔をうつむけるようにして、クリルの脇を抜け、そそくさと出て行った。
それを横目に、クリルは町長室に入った。
そこにはクリルがよく知る男――町長がいたが、その町長もまたバスローブ姿で、ゆったりとソファに腰を沈めていた。
「クリル、私を
「アポトーシスの副産物でしょ、しょうがないことだよ」
クリルは首を振った。
「ありがたいよ、その言葉で済ませてもらえて」
町長はソファに預けていた背を上げ、低いカエデのテーブルに両肘をついた。
アポトーシスの副産物。
エノハが人間の復活をおこなった際、彼女はその人間に20年の寿命で自滅する遺伝子プログラムを仕込んだ。
そのために鮭からその遺伝子を拝借したわけだが、まさに鮭の産卵期のように、死ぬ間際の男女は、あたかも
ただ、このへんは遺伝子というものはうまくできていて、男は二十歳の死ぬ直前に、その発現がでるのにたいし、女は19歳になった頃、出産がギリギリできるころに、それが具象化する。
いま町長に起きているのも、それなわけだ。
「要件はなに? あたし、まだ今日はファノンの見舞いに行けてないんだけど」
「そう……そのファノンに関わることなんだが」
「何よ。あなたもファノンを排すべしとか言うんじゃないでしょうね。ノトのばらまいた噂、知ってるんでしょ?」
「……始めに言っておくが、俺にとってファノンのことは、どうでもいい。会ったことがないからな。だからあいつがノトの流言でどうなっても、セントデルタさえ無傷なら、なんとも思わん」
「セントデルタ人とは思えない、無責任な言い分ね。エノハが聞いたら悲しむよ」
「建前で話しても、君は喜ばんだろう?
けっきょくのところ、人間とは、知人が死ねば涙を流すが、会ったことのない他人が死んでも涙を流したりはしない生き物だ。それでも泣けるのは、人間離れした感受性の持ち主か、自分の体験をそれに重ね合わせるほど、経験豊かな人物のどちらかだが……そのどちらも多数派とは言えない。そういえば旧代の政治家などは、感受性もなく経験豊かでもないのに、こういうことで涙を流していたそうだな。
じっさい、地球の裏で死んでしまった1人の他人のために、悲しんで崖から身投げする人間がいれば、それは奇人としか言われないだろう」
「まあ、そうだね。で、そのどうでもいいファノンの身の振り方で、何を話したいのよ」
「彼がどうかなれば、君が苦しむかと思ってね。そこは耐えられない。で、なんだが……今のうちに手を打っておかないか」
「手を、打つ?」
クリルはあからさまに眉をひそめた。
「前にも言ってたろ? つぎの町長の指名を、クリル、きみに決めて欲しいんだ」
「ああ……あれ、本気だったんだ」
英明なクリルはそれだけで、町長が何を
つぎの町長を、ファノンの後ろ盾のできる人物にしてよい、という意味である。
こんな状況だが、ファノンにはいまも味方がいる。
ゴンゲンの胆力は反論者の軽挙も暴挙を寄せつけないし、モンモの優しさはファノンの傷を癒すだろうし、モエクの知恵はファノンを助けるだろう。
クリルが死んでも、彼らさえ生きていれば、なんとか大丈夫そうだ。
だが同時に、この3人はクリルの同級生でもあるから、2年以内にアポトーシスの迎えに来る人物でもある。
――となると、指名すべきは……。
「本来、町長は私ではなく、君が
「あたしが次代の町長を決める……その指名権をあたしにゆずることで、あたしに何の対価を望むの?」
「アポトーシスに制せられた今の俺が望むことなんぞ、ひとつしかないだろ。シよう」
「アアお断りだね、そんな条件」
クリルはプイっとそっぽを向いて、扉に向かって歩いた。
「冗談だ――俺はただ、最後に君に会いたかっただけなんだ。こうして会うことができたから、俺はもう満足だよ」
「あっそ。ならいいけど」
クリルには、とても今の話が冗談だとは思えなかったが、すぐに相手が言葉を取り下げたので、そのまま話を押し切ることにした。
もとよりクリルも、ファノンのために何かできないかという打算があったからこそ、この呼び出しを機会にと思い、ここに馳せたのである。
それに、町長が昔から自分を好いていたことは、知っていた。
その状況をクリルは利用しようとしている。
ファノンの未来のために、手段を選ばない自分がいる……。
この心の内を、ファノンにはとても見せられないなと感じながら、クリルは話を続けた。
「だったら、ウチのメイなんかどうかしら。あの子なら大丈夫だと思うよ」
クリルは軽い言葉で指名を終えたが、その内情は複雑だった。
――あたしや、モンモや、ゴンゲン、モエクは同い年。あと2年もしない内に、アポトーシスの腕があたしたちを捉えにくる。
――だったら、ファノンを守れるのは、ファノンと同い年で、賢いあの子しかいない……。
「メイか……口はアレだが、能力は十分だな。ただ彼女にその気はあるのか?」
「ないだろうけど、世の中はやらされてる内に、慣れちゃうってことはよくあるから、いいんじゃないの」
「俺もそうだったしな。問題は、俺に彼女を説得する時間が残っていないことだ」
「ほかの子にやってもらいなさい。そのために、あたしたちは子孫をのこすんでしょ。あたしも後押しするし」
「そうするよ……そろそろ時間だ。俺の友人たちに、最後のあいさつをしないとな」
「……
クリルがはばかりつつ、町長に向けて、短く手を合わせた。
「クリル、その……今まで、ありがとう」
「気にしなくていいよ」
クリルは少しだけ間を置いて、合わせていた両手を下ろすと、言葉をつなげた。
「じゃあ、ね」
クリルは町長室をあとにしながら、一度だけ振り返ったが、町長は安らかに笑ってクリルを見送っていた。