翌日。
「メイ、結婚してくれ」
夕方の喫茶店『ギフケン』において、モエクが神妙に切り出した。
「……デジャヴか? 昨日も聞いた気がするぞ」
メイはこめかみをおさえ、苦々しい表情をした。
「恋愛とは駆け引きだ。一度は断られても、時を置いて、もう一度のぞめば、違う態度が返ってくるものだ……と、古代のカジュアルウェアの本に載っていた。
本には『アタシぃー、最初はうっとおしいとおもって断ってたんだけどォー、カレの真面目さに惹かれてェー、そんでケッコンしましたァー』とあったんだ」
「そんなシラけてしまうような引用文を吐くくらいだし……あんた、始めから私のことは本気じゃなかっただろ」
「とうぜんだ。僕はそもそも、クリルのことがまだ好きだ」
「昨日の話はどこへ行った。カモがネギを背負う話だったか? 強く生きるんだろ?」
「そこなんだよ……人間っていうのは、頭のはじきだす思考と、心の作り出す感情ってのが、いつも違うものだね。頭ではカモのようになりたくても、心はクリルを追う。ままならないよ」
「始めの『結婚してくれ』がなかったら、ちゃんと同情してやったんだがな」
「同情なんていらない。愚痴に付き合うだけでいいよ」
「仕方ないな……酒は飲めるのか?」
「酒は思考を停滞させるから飲まない」
「……あんたは絶対、彼女なんてできないぞ」
「なぜだ? いま僕は何か、おかしなことを言ったのか?」
「はぁ……説明してもいいんだが、あんた直るかな」
メイがそこまで言ったところで、だった。
入り口のオパール呼び鈴が、高い音で来客を店内に伝えてきた。
メイとモエクが何気なく
「ファノン……?」
メイはファノンを認めたとたん、イスを飛ばして立ち上がった。
ファノンが普段着で、ここにいるはずがなかった。
なぜならファノンは、まだ入院を医師に強いられていたはずだからである。
「ただいまメイ」
ファノンは持っていたダイヤモンドの槍を、入り口そばに立てかけて、メイたちに近づいた。
「今帰ったぜ。喫茶店に入ったってこと、そこの人に聞いてさ」
「お前……入院してないとダメだって言われてたろ。ゴンゲン親方にも泣きながらハグされて、休む努力をすることだ、とか言われてはずだ。なぜ出てきた」
「休んでられないんだ。いま、ゴドラハンの森に入って、槍の練習をしてたところさ」
「お前さん、ケガはもういいのか。アジンの怪力で背中を踏まれたはずだが」
横のモエクが言葉を差し入れた。
「安静にしてれば全治一週間だと言われたよ。幸いアバラ骨にも背骨にもヒビとか入ってなかったらしいけど、寝返りすると痛いし、大変だよコレ」
ファノンは
「で……ファノン。どうしてケガを押して、槍の稽古なんか。お前さん、鍛錬を欠かさずおこなうなど、そんな頑張り屋ではなかったはずだが」
モエクがずばりと問いただした。
「うん、まあそれは……」
ファノンは言葉をにごした。
――このあと、仕事の終わったクリルに、槍の
というのが、ファノンの本音であるが、モエクの気持ちを知っている手前、それは白状できなかった。
それに、ファノンがそんな殊勝な行動をする影響を与えた人物のひとりは、あきらかにモエクなのだ。
――時を惜しむように生きる。
クリルは18歳と6ヶ月。もうアポトーシスまで2年を切っている。
あと何度、クリルと語り合えるだろう。
何度、心配してもらえるだろう。
何度ケンカをし、何度、ともに料理を食べ、何度、同じ家の空気を共有するだろう。
――何度、彼女の笑顔を見れるだろう。
身体が痛いと言って休んでいる間にも、これらは指折りのように、穴のあいたバケツの水のように、慈悲もなく手心もなく減っていくのだ。
そしてそれは、メイにしても、モエクにしても、言えることなのだ。
だからケガが
少し前までは、こんな考えかたはしなかった。
寝れるだけ寝て、サボれればサボり、やらなくていいなら、絶対にやりはしない。
――でも俺は変わった。変わらざるを得なくなった。
モエクのことを皮切りにして、20年のアポトーシス時計を見つめるようになったから……だけではない。
フォーハードという名前の、歴史の大罪人もかすむほどの悪の権化との戦い。
そして何より、2年を切ったクリルの寿命……。
――少しでも後悔のないよう、自分や人の死を見つめ、生きたい。
――セントデルタ人がこういう考え方にいたるのは、すべてエノハ様の目論見なのは、わかっている。
――だからこそ、人に子供じみる時間さえ許さないエノハを倒さなくてはならない……とクリルなら言うんだろうな。
――でも、そのことでエノハ様を恨む気持ちにはならないな……。
――俺はむしろ、このことを感謝さえしてるのかもしれない。
「時間がないからだよ。俺たちには……何をするにも、時間が足りなすぎるんだ」