62.決断

「ツチグモが……中央広場に?」

 ファノンは、家に駆け込んできたアエフからその報告を聞いたとたん、アバラの痛みがギスギスとうずくのにも構わず、ベッドから起き上がった。

「そうなんだ。そこではちょうど300人ほどの集会があったらしくて……その人たちが人質にされてる。すでに何人も殺されてて……誰か一人だけ、ファノンに助けを呼びに行かせてやるとか、ツチグモに条件を出されたらしいんだけど……」

「そりゃあ……困ったな」

 メイが、ファノンから取り替えた包帯を松のおけに入れながら、アエフの報告に、えらく切迫さのとぼしい、ズレた返事をした。

 だがじつのところ、その無表情の裏で、メイは焦っていた。

 ファノンの立場上、この話を聞かされれば、義務感をおぼえずにいられるはずがなかったからである。

 ツチグモを倒す力があるのは、いま、この世にはファノンしかいない。

 エノハもツチグモと対する能力はあったが、いまのエノハは、最大の武器であるレーザー砲を、ロナリオに破壊されていて、まだ修理が完了していないのだ。

 だからこそ、ファノンの身にのしかかるのは『義務感』なのである。

「俺、行くよ。その話を聞いて、寝てるわけにはいかない」

 メイの予想通り、ファノンはそれを口にした。

「待て、まだお前、ケガが治ってないだろ、無理すんな」

「なら俺のケガが治ってからツチグモと戦えって? ツチグモはそれまで、300人の人質を殺さず、彼らに飯を食わせ暖をとらせ、金も与えて、全員の雨露を防いで待ってくれるってのか?」

「それは……」

「ただ、気になることもある。なあアエフ、その情報はどこから入ったんだ? なぜフォーハードから解き放たれた人質代表より、お前のほうが情報が早いんだ」

「え……フォーハード? これに彼が、絡んでるの?」

「そりゃあ……ツチグモから声を出すなんて、あいつしかいないだろ……」

 ファノンはそこまで言って、ハッとした。

 セントデルタの人々にはまだ、フォーハードの復活のことは、告げられていないはずである。

 だが、アエフはファノンが危惧きぐする反応とは、違う表情を見せた。

「あの人が、そんなひどいことを」

「……フォーハードを知ってるのか?」

「……僕、取り返しのつかないことをしたのかもしれない」

「何をしたんだ」

 メイが話を聞くことにした。

 今回の件とは無関係でなさそうだったからだ。

「このあいだ、マハ……フォーハードが、死にそうなケガで倒れてたんだ。僕、良かれと思って……そのケガの傷を縫合ほうごうしたんだよ。それが治ったと思うと、こんなことになるなんて」

「クリルに蹴られた時のことかもな……お前のところにいたのか、あいつ」

 ファノンがひとりごちた。

「どうしよう……だとしたら、僕のせいだ。僕が、フォーハードを助けたから」

 アエフは震え声で、自分を責め立てた。

「僕が……僕がみんなを危険にしたようなものだ。僕は……」

「それは違う」

 ファノンが冷静に否定した。

「見知らぬ人を全力で助ける……それの何が悪い。フォーハードはそんなセントデルタ人の良質さや美学につけこんだだけで、お前は何も悪くない。

 現実に、ツチグモを駆って、みんなを殺しているのはフォーハードであって、お前じゃあない。罪を負うのもあいつで、罰を受けるべきなのも、良心の呵責かしゃくにさいなまれるべきなのもあいつだ。

 悪いことをする奴が罪に問われないなんてことは……この俺が許さない」

「ファノン……」

「俺、行くよ」

 ファノンがもう一度、決意を告げた。

「エノハ様も腕のレーザーを壊されて3日しか経ってないから、とてもツチグモと戦える状態じゃない。俺が行くしかない」

「ダメだ……お前は行っちゃ、ダメだ!」

 メイが語気を強めて反対した。

「なんでだよ、ツチグモのレーザーは、喰らえばどんな人間もひとたまりもない。あいつのセンサーは、人間の体表を流れる生体電気から、100パーセントの精度で次の人間の行動を洗い出せるんだ。

 大勢でかかれば倒せないことはないだろうけど、それをするには、レーザーの装填そうてんが間に合わないほどの……たくさんの人間の盾が必要だ。俺が行けば、誰も死なずに済むんだ」

「そんなの、わかってる。わかってるよ。だけど」

 メイはその先の言葉を控えざるを得なかった。

 ――ツチグモを倒して平和を取り戻せるだけなら、それでいいさ。

 ――そののちに、以前とまったく変わらない人付き合いが続くならいいさ。

 ――いっときは、お前の力を、人々はたたえるだろう、めそやすだろう、うらやむだろう。

 ――だが、いっときだ。本当に一瞬のことだ。

 ――次には、そもそも仲間が死んだのは、お前のその力のためだった、と人々は考えるだろう。

 ――フォーハードは何人も、すでに中央広場で殺している。

 ――そんな中で、お前が人々の前で、その力を使えばどうなる。

 ――生き残った人々は、ああ、ファノンのこの力のために自分たちは人質に取られ、仲間を殺され恐怖に怯えたのだ、と感じるだろう。

 ――この日から、かくじつにファノン反対運動が激化するんだ。

 ――そんなところに、お前を送れない。

 ――今はただ噂にかきたてられて不安なだけだった気持ちにすぎないのに、ファノンの力を人々の目の前で発現させて、裏付けるわけにはいかない。

 ――300人が犠牲になるにしても……。

 ――クリルさんは、私にファノンを守ってほしいと、町長に推薦すいせんした。

 ――ファノンを守るために。

 ――ツチグモのもとに行かないことで、ファノンは責められるだろう。

 ――だがファノンは行かなかったのではなく、私に力づくで止められて、行くことができなかったことにするんだ。

 ――その責任を、私が一身に受ける。

 ――私は私のやり方で、ファノンを守ってみせる。

「ともかく俺は行く、止めんなよ」

「ファノン!」

 ファノンはパジャマズボンに長襦袢ながじゅばんという、寝巻きのいでたちのまま、メイをすり抜け、廊下へ出ていこうとした。

 しかしその片腕を、メイは強くつかんだ。

 そして、そのまま合気道でもするように、腕をひねって、ファノンの腕を逆関節にめた。

 これによってファノンは重力から抜け落ちたように、みずからの力で放りあがり、その背中を床に叩きつける……はずだったが、そうはならなかった。

 ファノンはメイの全力の腕ひねりに、片方の手で自分のつかまれた腕をおさえ、踏ん張るように支えていたのである。

 運動不足ぎみで、武道の心得も知らない数ヶ月前までのファノンには、考えられない動作だった。

「メイ、離せよ」

 ファノンは投げられかけたのを責めるでもなく、メイに言い放った。

「お前……」

 メイは目を見開いて、ファノンを見つめた。

 メイがファノンをとどめるには、力づくしかなかったが、いまのファノンに、それは通じない。

 それを悟ったメイは、声を震わせた。

 ファノンは、知らぬ間に、強くなっていたのである。

 昔のファノンは、投げれば飛んで、押せば倒れ、蹴れば当たったはず。

 もう、ここにいるのは、バカにされながらも、それ以上に庇護ひごされ、愛されるだけだったファノンではなかった。

「ダメだ、あそこへ行けば、お前はもう……」

 だからメイは、言葉でうったえるしかなくなった。

 そしてファノンが、それで止まるはずがないことも、メイはわかっていた。

 ファノンは今度こそ、メイの横をすれ違った。

「ごめん……メイ」

 ファノンはそう言って、かすかにこうべをれたあと、こんどはアエフを見た。

「途中まで一緒に来てくれ、アエフ。走りながら話そう。なぜフォーハードの使者より先に、お前が来れたのか聞きたい。少しでも情報が欲しいんだ」

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