64.解放戦線

 時間は、少し前にさかのぼる。

「ファノン! 中央広場で、俺の友達が捕まっちまったんだ……お前なら、何とかできるんだろう? ツチグモも、お前を呼んでたぞ」

「それはアエフから聞いた。今から行くところだ」

 家の扉を開けたとたん、顔は見知るが名前の思い出せない知人が、ファノンにすがりそうな勢いでまくし立ててきたから、ファノンは静かに返事した。

「ファノン! ツチグモがお前を所望だ。お前のその力が原因だろうが。責任とれや!」

「だから急いでる、通せよ」

 ファノンは広場の方角から走ってきた男になじりとばされるのを、さらりとかわした。

「ファノン……わたしのダンナがあそこにいるのよ……お願い、助けてよ……」

「必ず、無事にもどしてやるさ」

 道すがら、駆け寄って懇願する女を、そうたしなめるも、ファノンは走るのをやめなかった。

「……アエフ、大丈夫か」

 ファノンはうしろを駆けるアエフを気遣った。

「うん、僕は……ファノンこそ、大丈夫なの?」

 アエフはうしろから、わずかにのぞけるファノンの横顔をおもんぱかった。

 ぎ澄まされた頬。

 だがそれはアエフには、人の期待と望みを、背負いすぎているふうに見えた。

「俺は……大丈夫さ。今は、まだ」

 ファノンは自分の心の内を読みあげるように、つぶやいた。

「それより、さっきの話だよ。アエフ、誰から中央広場の話を聞いたんだ」

「うん……あそこは青空広場だし、人質に取られてない人でも、ツチグモの要求を聞いた人はたくさんいるよ。あの広場沿いの住宅にいた人、とかがね。ツチグモも家壁の向こうにいた人たちのことは考えてなかったみたい。その人から聞いたんだよ」

「さっきから俺に助けを求めてるのも、そういう人たちなんだろうな……」

 ファノンはつぶやくが、その事実に疑念を覚えていた。

 ツチグモ、つまりフォーハードが、人々を人質にとり、そのうちの一人だけファノンのもとによこすと言ったそうだが、話はすでに、無関係のアエフや他の人から聞かされている。

 フォーハードにしては、情報封鎖のやりかたが、甘いのである。

 ――人質を取って利用することが、目的ではない……?

 フォーハードがその気になれば、中央広場の情報を外界からシャットダウンすることもできたはずである。

 たとえば、視界に入るすべての壁にレーザーを浴びせて灰燼かいじんに帰せば、そこに住む人々は、知人や親類、あるいは自らの命を守るために精一杯にならざるを得なくなり、フォーハードの主張に耳をすます、どころではなくなる。

 そして、それをした上で、300人の人質から一人をえらび、ファノンのもとへ送るほうが、情報の隔離としては有効なのだ。

 残酷なフォーハードが、広場周辺の建物に人が住んでいることを、考慮しないわけがない。

 それをしなかったとしたら、考えられることはひとつ。

「あいつは人質に恐怖を与えること自体が目的なんだ……すでに何人か殺してるが、それを生き残った人々に見せるのが狙い。

 ――つまりフォーハードは……今の時点で、目的をすでに果たしている。俺を呼ぼうとしてるのは、さらに奴の野望のコマを進めたいからに過ぎない」

 ファノンは頭の中を整頓するために、順序だてて、ぼそりと論じた。

 ――そして、人々にひとつの結論を、あたかも自分でひらめいたかのように、誘導する。

 こんな目に遭ったのは、ファノンの責任だと。

 反ファノン運動という名の、今のところ、それなりの節度がある火に、フォーハードは薪や油どころか、ガソリンをまく気なのだ。

 ――俺を孤立させて仲間を奪い、居場所をなくし、絶望させ、そして、その気持ちを憎しみに変えさせることで、この宇宙を破滅させることが狙いなんだ、あいつは。

「アエフ……もういいよ、ありがとう。あとは俺だけで行かせてくれ」

「でも」

「すまないが……人質が一人、余分に増えるのはゴメンなんだ。それより、エノハ様のところへ、フォーハード襲来の話を伝えてくれ。あの人なら、レーザーが使えなくても、何か策を講じてくれるだろう」

 助言しながらもファノンは、それはあり得ないことだとわかっていた。

 しらせなど送らずとも、確実にエノハはフォーハードの侵攻に気づいている。

 にもかかわらず、エノハは現時点で何もしていない。

 エノハとフォーハードは密約によって癒着しているからだろう。

 とはいえ、二人は友情や愛情とはまったく逆のもので結びついている、ということもファノンは知っている。

 かつてエノハはフォーハードに『完璧な理想の世界を作るから助力せよ、だがもしも自分がセントデルタに私心を持ち込めば、この世界を破壊してもいい』とフォーハードと盟約を結んだ。

 二、三年前ならともかく、今のフォーハードの腹はもはや、セントデルタの維持にはない。

 ファノンという存在に気づいた時点で、もはやその気持ちはなくなっているのである。

 そんな相手に盟約などという口約束が通じないことはわかっているエノハだから、内心はフォーハードを倒したいと願っているはずだ。

 しかしエノハにその手段はない。

 いまのエノハは両腕に仕込んだレーザーが使えないが、たとえ五体満足であったとしても、フォーハードに勝つだけの力はないのだ。

 エノハはけっきょく、フォーハードが500年前に棄却ききゃくした名目にすがるしか、セントデルタを生かす方法を持っていないのである。

 少しでもうかつなことをすれば、フォーハードはこの無力な街を、一瞬で焼きつくすことだろう。

 今のフォーハードは、虎視眈々こしたんたんと、すべての素粒子さえ生まれ得ない完全な消滅をもくろんでいるから、目先の破壊をしないにすぎない。

 だが、この500年間というもの、そのフォーハードに目先の破壊をさせなかったエノハも、並々ならぬ政略家と言えた。

 ファノンが15歳になるまで、みごとにフォーハードの目から隠し通すことに成功しているのだから。

 もしもファノンが物心つかぬころにフォーハードと出会えば、かくじつにフォーハードはファノンに洗脳をほどこし、従順になったファノンの力を借りて、かんたんに目的を遂げていただろう。

「わかったよ……ファノン、無理はしないでね」

 アエフは不承不承ふしょうぶしょうに眉をひそめていたが、少ししてからファノンの意見を飲んで、走る速度をゆるめた。

「すまないな、アエフ。帰ったらエロ漫画を貸してやるよ」

「いらないよ、なんか汚いし。それより、万が一ファノンが死んでしまった場合、その部屋のH本を片付ける人の気持ちに、なってあげてほしい」

「ああ……そうはなりたくないもんだな」

 ファノンは立ち止まったアエフを目視したあと、前方に顔をもどした。

 ルビー・ガーネット通りの途切れる、ダイヤモンド中央広場に、一体のツチグモの巨躯きょくがそびえているのが見えた。

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