1.人間はみな(他人に迷惑をかけない範囲で)自由であらねばならない。
2.すべての人間はただ一つの立法に従わなくてはならない。
3.すべての人間は平等でなくてはならない。
上記のひとつでも乱す人間が、一人でもいれば、永遠平和も理想の世界も、訪れることはない。
今のセントデルタのように。
美しかったダイヤモンド中央広場はいま、アレキサンドライト台座のツチグモから発された、幾本ものレーザーにより、溝、というにはあまりにも深い断裂が、ダイヤモンドの敷石に走っていた。
岩の割れ目からは、異臭にも近い、独特な匂い(文明の風を知らないファノンには例えようもないが、まさにそれは敷いたばかりのアスファルトに似ていた)がたちのぼり、ファノンの鼻をついた。
そして、その周囲に、焦げた肉塊として転がる、無数の人々の死体。
ツチグモのレーザーは単体で毒物にもなるフッ化重水素をもちいたもの。
このエネルギーの前では、ハサミで紙を断つような容易さで、人間の体も大岩も等しく切り裂くことができるのである。
そんなことができる殺人兵器の、すぐ目の前にファノンは堂々と立ちふさがっていた。
「よく来たなファノン、さあ、俺の……」
そこまで言ったところで――ツチグモは消滅した。
ファノンがひらめかせた、ヘリウム化現象によって、ツチグモが爪の先っぽだけを残して、
ファノンはそれを確認すると、黙したまま、そこに何もなかったかのように、まっすぐ、強い足取りで広場へ進み出てきた。
「おいおいファノン……短気になったな。ここにいる人質どもが見えないのか?」
となりのアメジスト通りに立つツチグモから、フォーハードの声がなった。
フォーハードの示すとおり、6体のツチグモの足元には、30人ほどに分けられた人質が、なすすべもなく
「こいつらを殺されたくなければ……」
そうしゃべりかけるツチグモもまた、瞬時に気化していった。
「ファノン……お前!」
また別のツチグモがわめいた。
「勘違いするなフォーハード。俺はお前と交渉しに来たんじゃあない」
ファノンは鋭く言い放ち、そのままダイヤモンドの中央広場へ走り出すと、両手を横に、まるで
そのアクションとともに、2体のツチグモもまた、なすすべもなく気体へと帰った。
「きさま……もういい、人質をやれ! ツチグモ!」
フォーハードから、焦りに似た号令が放たれた。
そのとたん、残った4体のツチグモが戴くレーザー砲門から、『可視光ではない』光をともなった、強大なエネルギーが発射された。
それらは確実に、ツチグモの足元でちぢこまる人々の
だが、発射されたはずのレーザーは、いつまで経っても人質を焼くことはなかった。
「! これは……」
フォーハードの
あきらかに、このレーザーの消失には、ファノンの力が関わっている、と判別できている声音だった。
「お前のやることは、とっくにわかりきっているんだよ」
ファノンは再び両手をかざすと、またも2体のツチグモを消し去った。
残りは、エメラルド通りと、シトリン通りに立つツチグモだけとなった。
ファノンはそれに向けて、全速力で駆けていった。
「ツチグモ! ファノンの両腕と両脚を切り落とせ!」
フォーハードの命令が鳴るや、走るファノンへ向けて、2体のツチグモが、レーザーを放ってきた。
だが人質のときと同じように、光がファノンを断つことはなかった。
「はは……ファノン……だがな」
ツチグモからひり出るフォーハードの声は、そこで終わった。
ファノンが、最後に残った2体も消し去ったのである。
「――……」
ファノンは走るのをやめ、その場にたたずんだ。
ツチグモの束縛をうしない、解放された人々は、約束された生還を噛みしめることも忘れ、あぜんとした様子で、ファノンを見つめていた。
人々のその沈黙をかいくぐるようにして、ファノンは中央のアレキサンドライト中央祭壇へ歩きだした。
そこには、その祭壇を抱きすくめるようにして、半壊したツチグモが動けずに、へたっていた。
ヨイテッツの指揮により、村人に囲まれて半壊したツチグモだった。
「やってくれたじゃないか、ファノン……」
カメラアイやレーザー砲塔が潰れたツチグモからフォーハードの声がひりでる。
「セントデルタに戻って3日あったんだ。俺が何もしなかったと思うのか」
ファノンは台座の上のツチグモを見上げ、そう語った。
フォーハードと再接触の起こる今日を予期して、ファノンはひとつの手を打っていた。
超弦の力は、その知識に準じる。
この力は、ファノンが知っていることにしか、働かないのである。
だが、図書館に現存していたはずの、超弦にかんする記述は、すべて自警団によって、エノハの住むアレキサンドライトの塔にある、電子ロックの扉の向こうに封印された。
もう、超弦の知識を掘り下げることはできない……かに思われたが、ファノンにはもう一つ、知識を得る方法に心当たりがあった。
人間でありながら、頭の中に図書館をかかえこむ男。
モエクである。
ファノンはセントデルタへ帰還してから、怪我の
超弦について、教えてもらうために。
3日という、限られた時間の中なのだから、学習することには限度があった。
それでも、モエクの優秀な講習により、ファノンは20個以上の、超弦能力を使った術法を体得することができた。
ファノンがツチグモのレーザー光線を消し去ったのは、それによるものである。
ファノンがやったのは、ツチグモから発射された赤外線由来の高熱レーザー(波長にすれば3.8マイクロメートルの中赤外線)の帯を、さらにエネルギーの強い
エネルギーが強いと、波長はちぢむ。
たしかにその力は強力になるが、その代わり、こんどは飛距離が極端に短くなるのである。
ファノンはレーザー粒子を0.2電子ボルトのエネルギーに変え、30センチほどしかレーザーが飛ばないようにしたのである。
ちなみに、モエクから講習を受けている間に、ファノンは「何でもかんでもヘリウムにしてしまえばいいだろ。飛んでくるレーザーだろうが、強烈なパンチだろうが、それさえやれば全クリだろうに」という質問をモエクにしたことがある。
すぐに、それは無理だと返された。
ファノンの超弦の力は、言い換えれば素粒子を変える力とも呼べる。
素粒子とは、物質を極限まで細分化したもので、原子より小さく、分子よりはるかに小さい物質である。
ファノンはたしかに、電子をグルーオン粒子やヒッグス粒子に変えたり、ニュートリノに変えたりすることはできる。
だが、ひとつの電子をふたつには、できないのである。
ファノンの力の特徴は、この力で物質を生成しても分解しても、核融合反応も核分裂反応も起きないことにある。
つまり、核爆発が起きない。
だが、秒速30万キロメートルという、光速で噛みついてくる光子のレーザーを、ひとつの場所で、原子よっつで構成されるヘリウムに変じると、さすがに核融合爆発が起こるかもしれない、とモエクに釘を刺されたのである。
だからこそファノンは、ヘリウムではない、この回りくどい力を使ってレーザーを洗浄したのである。
――20個の知識をモエクから教わったものの、いま使うことができたのは、一つだけ。
――知識っていうのは、こういうふうに小出しにしていくものなんだな。
「ファノン。これで俺に勝ったつもりでいるのか?」
フォーハードは不敵に含みを持たせて語った。
だがそれを聞いてもファノンは、表情が揺るがなかった。
「いや……勝つのは、これからだよ」
ファノンはツチグモから目を離すと、崩れた家壁のはるか向こうにある、サファイア・インディゴライト通りの病院屋根をにらんだ――