67.分断

 くずれたヒスイ石造りの家壁、割れてかさばるラピスラズリの屋根がわら、不規則にころがるアメジストやダイヤモンドの瓦礫がれき、ところどころに火の手を上げる木造建築。

 古代の言い回しではこういうのを、悪魔や妖怪がおどり狂ったあとのようだ、と例えるそうだが、まさに今のセントデルタの『ダイヤモンド中央広場』は、炭のこもる黒ずんだ煙と、くすんだ炎が、人々をあざけるように揺らめいていた。

 焦土とも呼べる、その中央広場の焼けげた溝の走ったダイヤモンド敷石に、ファノンは立ち尽くしていた。

 足元には、無残むざんに上体のみに裂かれて、まぶたを閉じて眠るヨイテッツ。

「ヨイテッツ親方……バカだな……あんたの家族に、そんな格好を見せる気かよ」

 ファノンは崩れるように、ひざまずいた。

 あまりに突然のことに、ヨイテッツの思い出が、なにも思い浮かばない。

 ただ感情だけが形なく奔流ほんりゅうを巻いて、ファノンの目の奥に、熱さとなってき上がってくる。

「誰だっていずれは闇に帰る。だけど、あんたがこんな死に方なんて……」

 ファノンはいたみの句を言うこともできないまま、ヨイテッツの身体を抱きあげようとした。

 そのとき――

 とつぜん、ダイヤモンドの石つぶてが、ファノンのそばを、カラカラと渇いた音ですべりこんできた。

 その石はデコボコとしたダイヤモンド敷石に引っかかり、不規則に跳ね回ってから、止まった。

「…………!」

 ファノンが充血かげんの瞳でそちらを見ると、いまがヨイテッツの追悼ついとうどころではない状態であることが、よくわかる事実がそこにあった。

 10歳かそこらの女の子が、ファノンにむけて、物を投げたあとのモーションで止まっていたのである。

 ファノンはその子供の名前を、知らない。

 だが、その子供の表情が何を語っているかは、ファノンにもすぐにわかった。

「私の預かり親……お母さんが、死んだよ」

 子供は泣きはらした後なのだろう、真っ赤な目で、涙にれた声で、ファノンに告げた。

「ツチグモはファノンがいるから、こんなことをやったって言ってた。お前の母親が死んだのは俺のせいじゃない、ファノンの力のせいだって」

 子供は、子供とは思えないほどに憎しみをあらわにして、ファノンをにらんでいた。

「――っ」

 絶句して固まるファノンの足元に、また一つ、こんどは別の場所から小石が落下してきた。

 若い男が投石をしかけたのである。

「俺も、妻と赤ん坊が闇に帰された。俺、ついさっきまでは幸せだったんだぞ……」

 男は青ざめた表情で、わなわなと震えながら絞り出した。

 その男の前に、さらに別の男が割り込みながら、早口でまくし立てた。

「これは、この惨状は、お前が引き起こしたんだ」

 その男の主張が、引き金になった。

「そうだ!」

「お前のせいだ!」

 男の横から、別の男女が意見を重ねてさけんできた。

 そして、誰からともなく、ふたたび大小の石つぶてがファノンに飛んできた。

 そのうちのいくつかは、ファノンの肩や脚に当たった。

「やめろ……」

 ファノンは両手で顔や頭をかばって、人々に告げるが、この怒号の前ではファノンの弱々しい制止の言葉など、台風の中で雑草の揺れを聞き分けさせるのと同じようなものだった。

 怒鳴り声が強まるとともに、ファノンへの投石は、勢いと、石の大きさが増していった。

「お前はノトの言う通り、厄病神やくびょうがみだったんだ」

「出て行ってくれ」

「出て行け!」

「セントデルタに近づくな!」

 ときの声のような絶叫とともに、人々は憎しみのたけを石に変えて、ファノンへぶつけ始めた。

 そのうちの一つが、ファノンの頭にぶつかりそうになる。

 だが、その石は、ファノンではなく、そこに別の人物が立ちはだかったことで、その人物が受けることになった。

 その人物の頭から、幕を下ろしたように、血が垂れてくる。

 その瞬間、やかましく中央広場を支配していた怒鳴り声は、にわかに議場にでもなったかのように、静かになった。

 ――ファノンを守ったのは、クリルだった。

「ク、クリル……」

 はからずもクリルに石を当ててしまった男が、後悔まじりにつぶやいた。

 いつも人々から好意的におもわれているクリルが現れたことで、人々の勢いに、わずかに冷静さがもどったのである。

「恥を知りなさい、あなたたち」

 クリルは顔の左半分を覆う血をぬぐうこともなく、ファノンの前に盾となったまま、囲いこむ人々を責め返した。

「ファノンがあなたたちに、何をしたというの。あなたたちが追放しようとした、その力をつかって、ここにあなたたちを守りに来たんじゃない。それがあなたたちの礼の仕方なの? 正義なの? それがセントデルタ人の本性なの?」

 クリルのその言葉に、人々の中からひとりの女が前に出てきた。

「そんなことはわかってんのよ! だから何なのよ! 守ることはできなかったけど、助けにきたから許してくださいとでも言うつもり? 現に、その力のために、フォーハードがここに来て、あたしたちの仲間を殺したんじゃない! ファノンが守りきれたのなら、まだ何とかできた、でも私は恋人が死んだのよ! 一瞬で! 別れの言葉さえ聞けずに!」

「そうだ! フォーハードはこれからもここへ来て、俺たちを殺す! ファノンがいる限り!」

 人々の怒りはふたたび、くすぶる木炭に風を浴びせたように、燃え上がった。

「ファノンを殺せ!」

「ファノンを殺せ!!」

「ファノンを殺せ!!!」

 人々は唱和しょうわしながら、行進するように、ファノンへ近づいた。

 だが、その進路にこんどは――クリルとは違う人影が割って入ってきた。

 ゴンゲンだった。

 いや、ゴンゲンだけではない。

 モンモや、メイ、それにアエフまで……それはあたかも、大事なものを守る兵馬のように、ファノンを囲って立ったのである。

「み、みんな……」

 ファノンが震え加減の声で言った。

「クリルと共同戦線なんて、イヤだって言ったんだけどね。ゴンゲン親方が泣きながら頼んでくるからさあ」

 モンモが、背中にかばう格好のファノンとクリルに告げた。

「モンモ……あなたが来るなんて。そんな性格じゃなかったはずなのに」

 クリルが信じられなさげに、小さく口をあけていた。

「なによりも、ファノンのためだよ。クリルのためじゃあ、ないんだからね」

 モンモはそう呟くが、その表情には、ここに立つことを微塵みじんも後悔する様子はなかった。

「他人の努力に同情するのは、それが自分と無関係ではないと感じた時だ。俺はファノンの努力に、努力で報いる」

 ゴンゲンの筋肉の壁が、ひときわ険しくファノンと民衆の前に立ちはだかっていた。

「ゴンゲン……そこは『他人の不幸に同情するのは』だからね?」

 クリルが訂正する。

「うむ! ルソーかルター、どっちかの言葉だ!」

「ルソーだよ」

 クリルが遠慮がちにでも笑うことができたのは、この場を支えるのが自分だけでなくなったためだ。

「みんな、ひどいよ、こんなのって、ないよ」

 そして最後に口上をつづったのは、アエフだった。

「ファノンはここに来ても、誰も感謝しないって分かってた。それでもここに来た。それなのに、何でこんな仕打ちをするんだよ。

 みんなを守りにきたのに。

 みんなを助けるためにきたのに。

 みんなが追い出そうとするこの力で、たしかに今、守られたものがあったのに」

「アエフ……」

 先ほどファノンを揶揄やゆした女の子が、声を失って固まった。

 女の子だけではない。

 年下の子供にさとされることが、これほど情けないことなのだと、人々はこの瞬間、むざむざと感じさせられたのである。

 人々の心は、みるみるしぼんでいった。

 そのとき、動けずにいる女の子の脇をすり抜け、また一人の男が、ファノンを守るために民衆の前に立った。

 この300人の集会の、そもそもの発起ほっき人、タクマスだった。

「タ、タクマス! どういうつもりだ!」

 男たちから非難の声がのぼる。

「手のひら返しかよ!」

「信じられない!」

 人々からの批判ひはんを全身に浴びながらも、タクマスは冷静に、両腕を上げて返事をするタイミングを探した。

 もともと聡明そうめいなセントデルタ人は、タクマスが何か言わんとしていることを悟り、少しずつ口をつぐんでいった。

 その切れ目にあわせ、タクマスは語り出した。

「やめだ、こんなことは。俺たちらしくない。俺たちは誇りあるセントデルタの民だ。そもそもフォーハードは、ファノンだけじゃなく、俺たちも皆殺しにするつもりだ。いまは一丸になるべき時期に、こんなことをやるなんて、フォーハードの思うツボだ。俺たちはそろそろ、冷静になるべきだ」

「だが、俺たちはげんに大事な人を殺された。そこの落とし前を、ファノンに取ってもらわないと、納得できん者もたくさんいる」

「それは……」

 さすがのタクマスも、これへの返し文句は思い浮かばず、声を詰まらせた。

 だが、援護は思わぬところから来た。

「そこまでだ」

 反論できなかったタクマスの前方、つまり人々の囲いの外側から、女の低い声が上がった。

 それは、セントデルタ人すべてが知る声。

 その声が鳴るや、人々はふたたび口を閉じ、そしてその声の主のために、地割れを描くように、その人物に道を譲った。

 そこにいたのは――エノハだった。

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