69.調停

「……」

「…………」

「………………」

 エノハはこの時うしろに、ペリドットやルビーの槍弓で武装した、数十人の自警団員を引き連れていた。

 もしもこの場が騒乱にまみれていた時のために、エノハが用意したのだろう。

「エノハ様……」

「ここからは、法の話だ」

 エノハはゆっくりと進みでて、ファノンたちと、人々の間に割って入った。

「セントデルタでは私刑は許されておらん。もし、今から砂粒一つでも、聖絶令の降りていないファノンにぶつけた者がいれば、その者こそ、この場で闇に返す」

「エ、エノハ様……」

 まだ石つぶてを捨てられずにいた男が、エノハににらまれて、たじろいだ。

「なぜ、なぜです。ファノンは……こいつは……こいつが原因で、この美しいセントデルタが破壊されたのです! なぜ、あなたはこの男をのさばらせる! なぜ、かつて白血病で死にかけたこいつの病気を完治させたのです!」

「三度は言わんぞ。今からするのは法律の話だ。過去ではなく、未来の話だ」

「……くっ」

 男は強弁を無理に飲み込まされる形で、おずおずと引き下がった。

「ファノン、お前に通告する」

 エノハはファノンに向くや、突き刺すような口調で言った。

 さすがにゴンゲンもモンモも、その神託の間に割り込むことはできず、人々がやったように、エノハに道をあけた。

 だが、クリルだけは、ファノンを背に守るように、どかずにエノハをにらみつけて、その威光をはねつけていた。

 そんなクリルを、まるでいないかのように、エノハは言葉を続ける。

「ほんらい、相手がフォーハードであろうとなかろうと、こういう処置は私や自警団のみが負うもの。しかるにファノンはそれを越権し、みずからの腕力に訴えた。法の決まりごとを無視するおこないで、許すわけにはいかん」

「エノハ様、それは……!」

 ファノン排斥はいせき派の男が、うなった。

 男はさとったのだ。

 エノハは、ファノンの力が原因で、この場の人々が数十人も死んだことを、まったく論じていないことを。

「なぜですエノハ様! それではファノンは独断をおこなっただけ、ということですか!」

「違うのか?」

 エノハは男をにらみ返した。

「う……それは」

「いや、いい。それを長く論じる場でもあるまい。

 罪は私にあるのだ。ツチグモの動きに遅れたのは、自警団の権利行使を私だけが所有していたためだ。私や自警団員たちよりも早く、中央広場の現状を把握するものがいれば、少しは違っただろう。

 だが自警団をここに速やかに配したとしても、被害は出た。相手はなにぶん、レーザー兵器を持つ上、ツチグモなどのホロコースター型無人機には、皆が知る『あの兵器』も備わっている場合もある。あれを使われれば、あるいは今より被害がひどかったかもしれん。

 いずれにせよ、罪を問うならファノンではなく、私にだろう」

「エ、エノハ様を罰するなど、できるはずはありません!」

 男はなかば反射的に答えた。

 自分の奉じる神を罰するなど恐れ多い、と考えたからだが、少なくとも、男はそう答えてしまった手前、これ以上エノハの決断に異を唱える言葉を、うしなったことになる。

 だがそれこそが海千山千のエノハの目論見もくろみだったのである。

 これで少なくとも人々は、ファノンの罪を蒸し返すタイミングはなくなった。

「ならば話すこともなかろう。この場は解散とする。沙汰さたを待て」

 エノハは言い捨てると、ゆっくりと大通りにきびすを返して、緑色の宝石が敷きつまるエメラルド・ペリドット通りへ歩き出していった。

 それにともない、自警団員たちも、ひとり、また一人と背を向けて、エノハに追随ついずいしていった。

 同時に、タクマスがファノンから離れていったために、集会に参加した人々も、不承不承ふしょうぶしょうな表情ではあったが、少しずつ家へ戻り始める。

「……ファノン……」

 アエフが、はばかり加減にファノンの横顔を見つめたが、ファノンのほうは、ただただ青ざめた顔色で、うつむいていた。

 それを見たとたん、アエフはかける言葉をうしなった。

 だから、その助け舟をゴンゲンが放った。

「ファノン。先に帰ってるからな。お前の家は、ちゃんとあるんだ。きっちり迷わず、帰ってこい」

 ゴンゲンはうずくまるファノンの背に、力強く言い放ってから、アエフの手を引いて、その場を離れていった。

「じゃあ、また明日ね、ファノン」

 モンモもまた、すれ違いざま、ファノンに語りかけて、ゴンゲンたちのうしろを追った。

「………………」

 ファノンは下をむいたまま、答えなかった。

 かなり長い時間、ここから人がいなくなるまで、そうしてファノンは屈みこんでいたが、やがて、ファノンの前で何も語らずに立って見守るクリルに、口を開いた。

「いくら……いくら力を持っても、俺はヨイテッツを守れなかった。ヨイテッツがこんなことになっても、虫のしらせなんて、なかった。

 このままフォーハードとの戦いが続いて、いま俺を守ってくれた人を、助けてあげられるんだろうか」

「……」

 クリルはわずかに、悲しげに唇を噛み締めたが、すぐに何か決意したように、こう告げた。

「――弱音は許さないわ。あなたには力がある。その力をフォーハードが狙っているけど、それから人を守れるのもまた、あなたの力だよ。

 その力はまだまだ強くなる。

 強くなりなさい、ファノン。そしてあなたには、こんなことが、あなたのいる間、ぜったいに起こらないようにする義務がある」

 クリルは軍人の口上のように、強い弁論をファノンの頭上に浴びせた。

 本当は、黙ってファノンを抱きしめたかった。

 だがそれをすれば、おそらくファノンの心は崩れてしまう。

 だからこそ、クリルは落ちこむファノンの傷口を叩くように、叱咤しったする言葉を選んだのである。

「…………」

 ファノンから返事はなかった。

 それでもクリルは、ファノンの再起をそこに夢想するしか、なかった。

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