78.外説・理想の世界(5)

 セントデルタにはほとんど鉄がない。

 さらに言えば、金属がない。

 それは過去、誰かが『科学の力』によって、この世の金属をすべて宝石に変えてしまったからだ……と、セントデルタの経典には書かれてあるが、本気で信じている人は、それほど多くはいない。

 宝石は美しく、媒質になり得るものもあるが、けっしてそれ以上の存在にはなりえない。

 宝石は、建築物として使うにはもろすぎ、機械として用いるにも、そしてもちろん、槍のような武器に取り立てるにも、扱いづらいのだ。

 文明の発達と維持には鉄が不可欠である。

 かつて「鉄は文明開化の塊なり」と答えた識者がいたが、逆を言えば、鉄のない暮らしは、文明的ではなくなるのである。

 しかも旧代末は、鉄だけではなく多様な金属がその文明を支えていた。

 レアメタルで新発明をはかる科学者も、鉄の船やアルミニウムの飛行機で商売をする企業人も、その両者が利益を上げたもので利権をむさぼる政治家も、『科学の力』によって金属を駆逐し、世界を宝石で満たす、などということにメリットを感じて、世界の宝石化に邁進することは、ありえないのである。

 ダイヤモンドの飛行機は脆きに過ぎ、ルビーの船は水圧に食われ、アクアマリンでエンジンは作れず、トパーズで線路は敷けないのである。

 この未来を、誰がときめきをもって迎えるだろうか。

 とはいえセントデルタ人には誰も、なぜこの地上から金属が(地下にはかなり残っているらしいが)ほとんど失われたのか、その真実を知るものはいない。

 そして、旧代には希少な石だった宝石が、どうして陸地にあふれるようになったのかも、誰も知らないのである。

 500年以上生きる、エノハをのぞいて。

「リッカ、会いに来たよー」

 面会室にくるやモンモが、あらかじめそこで待たされて腰掛けるリッカに、つとめて明るい挨拶あいさつをした。

 ただし両者のあいだには、エメラルドの壁が区切っていた。

 鉄格子てつごうしもアクリル仕切りも地球上にはほとんど存在しないため、その代わりとして、硬さと粘性のあるエメラルドが、あたかも旧代に存在した水族館のガラスのように、あるていどの厚さで容疑者と面会者をへだてていたのである。

 それ以外はふつうの面会室と同じで、そのエメラルド壁には小さな穴がいくつも開いて、互いの顔を認識することができた。

「町長、メイ……それに、クリルにモンモ。混ぜると危険な組み合わせやね」

「リッカ……何やってんのよ」

 クリルがあきれ加減に話しかける。

「何もやってないんよ。あたしが昨日やってたのは、街を歩いただけ。どんな絶妙な振る舞いをすれば、捕まらなかったのか、教えて欲しいもんだよ、まったく」

「リッカ、よく聞いて。いまセントデルタには危機が迫ってる。誰かがあなたを陥れて、その混乱に乗って何かをするつもりみたいなの」

「何かって……何をさ」

「セントデルタの破滅なんだろうけど、実際に何をする気なのかはわからない……だけど、相手のペースに乗るわけにはいかない。何とかして、そこから出してあげたい。それができる人も、ここにいるよ」

「ああ……町長ね」

 リッカが渋そうな顔で町長を見た。

「俺自身はリッカをここに拘留したいんだが、クリルの頼みでもあるからな……」

 町長もまた、非歓迎的な顔でリッカに返す。

「出してくれんの?」

 リッカがイスを押しのけそうになりながら、前のめった。

「仕方ないだろう、クリルの言葉にも一理あるからな。だが、ただ解放するのでは人々も納得はすまい。だから疑いが晴れるまで、お前には24時間の監視をつけるからな」

「……」

 町長の沙汰にリッカは眉をひそめたが、反論したりはしなかった。

 そこに、だった。

「町長! 大変だ」

 村人の男が、鬼気迫るようすで面会室に踊り込んできた。

「何があった」

 町長は取り乱したりもせず、冷静に男のほうへ振り返った。

「シュプレヒコールだ、自警団長リッカの更迭と、すみやかなる刑の執行を唱えてる連中が、街に溢れかえってるんだよ。エノハ様を殺さんとする逆徒は聖絶すべしといっている奴もいる」

「なんだと」

「みんなに敬愛されるエノハ様の暗殺未遂とはいっても、この動きは早すぎる。昨日の夜にあったことなのに、なんで、そこまで大事になってるの」

 これには能天気なモンモでさえも訝った。

「誰かが炊きつけてる。組織的に吹聴して回ってる人間たちがいるみたいです」

 メイも意見を混ぜた。

「ここまで来れば、もはやリッカが出所しようが関係なかろう」

 町長が眉間にしわを寄せながら、続けた。

「リッカ、お前自身の安全のためにも、そこにしばらくいてもらう。このままリッカが外に出れば、勢いづいた奴に私裁を与えられるかもしれんからな。

 まずは連中をしずめる。クリル、モンモ、メイ、手伝ってもらうぞ」

「わかった……」

 クリルが神妙に請け合うとともに、メイとモンモもうなずいた。

「待って」

 だがそこに、リッカから制止の声があがった。

「あたしを、出してちょうだい」

「しょ、正気なの? 今あなたが外に出たら、人々がどんな反応を取るか、わかるでしょ」

 モンモがどやしつけるように、リッカをいさめた。

 だが、リッカの決意の瞳は、鋭いままだった。

「自警団長としての才能なんか、あたしには無い。そんなの、町長に言われなくたって、わかってるよ。だけど今は……今だけは、あたしじゃないと、これをまとめるなんてできないじゃない。

 エノハ様が動けず、それに次ぐ権力を持つ自警団長までが牢の中にいたんじゃ、セントデルタは頭のつぶれたアリと同じ。煮るも焼くも、この企てをしたやつの思うままになっちゃう。あたしなら……あたしだけが、それを防げるんだ。だったら、やるしかないじゃん。あたしには団長の資格も器もない。だけど、そればかり言ってたら、なんにもできなくなっちゃうよ」

「リッカ……」

 クリルが名をつぶやいたが、リッカのほうはエメラルドの壁越しに、じっと天井を見上げていた。

 クリルはそこに固い意志を感じとると、観念したように、ふぅっとタメ息をついた。

「町長、あたしからもお願い。リッカを出してあげて」

 クリルはいきなり意見を反転させて、町長に振り返り、食い下がった。

「クリル、お前まで……策も展望もあるわけでもなかろう。承服できん。ただ棒立ちになって村人に撲殺されるぞ」

「あたしはそこまでヤワじゃないよ。あたしを信じてくれる人のために、あたしはやりたいの」

「信じる? 連中は信じないからこそ、お前を探しているんだろうが」

「少なくとも、ここにはいるよ」

 リッカはそう言いながら、自分の目の前にいる4人を順繰りに指差した。

 どうやらリッカは、信じる人間の中に、ちゃんと町長も入れているようだった。

「……はぁ、お前は本当に……どうしようもないバカだ」

「でもリッカさんらしいです」

 吐き捨てる町長の言葉を、メイがやさしく言い換えた。

「ホント……どうしようもないよね、あなたは」

 モンモはどこか嬉しそうだった。

「ふふっ、でも町長、これじゃああなたの負けだよ」

 クリルもにこりと笑いかけた。

「ったく……俺は知らんぞ。俺はあくまでも、お前が撲殺されたあとの対処を考えておくからな」

「ありがとう、町長」

 そう言って、リッカは椅子から立ち上がり、自分から面会室をあとにしていった。

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