セントデルタにはほとんど鉄がない。
さらに言えば、金属がない。
それは過去、誰かが『科学の力』によって、この世の金属をすべて宝石に変えてしまったからだ……と、セントデルタの経典には書かれてあるが、本気で信じている人は、それほど多くはいない。
宝石は美しく、媒質になり得るものもあるが、けっしてそれ以上の存在にはなりえない。
宝石は、建築物として使うには
文明の発達と維持には鉄が不可欠である。
かつて「鉄は文明開化の塊なり」と答えた識者がいたが、逆を言えば、鉄のない暮らしは、文明的ではなくなるのである。
しかも旧代末は、鉄だけではなく多様な金属がその文明を支えていた。
レアメタルで新発明をはかる科学者も、鉄の船やアルミニウムの飛行機で商売をする企業人も、その両者が利益を上げたもので利権をむさぼる政治家も、『科学の力』によって金属を駆逐し、世界を宝石で満たす、などということにメリットを感じて、世界の宝石化に邁進することは、ありえないのである。
ダイヤモンドの飛行機は脆きに過ぎ、ルビーの船は水圧に食われ、アクアマリンでエンジンは作れず、トパーズで線路は敷けないのである。
この未来を、誰がときめきをもって迎えるだろうか。
とはいえセントデルタ人には誰も、なぜこの地上から金属が(地下にはかなり残っているらしいが)ほとんど失われたのか、その真実を知るものはいない。
そして、旧代には希少な石だった宝石が、どうして陸地にあふれるようになったのかも、誰も知らないのである。
500年以上生きる、エノハをのぞいて。
「リッカ、会いに来たよー」
面会室にくるやモンモが、あらかじめそこで待たされて腰掛けるリッカに、つとめて明るい
ただし両者のあいだには、エメラルドの壁が区切っていた。
それ以外はふつうの面会室と同じで、そのエメラルド壁には小さな穴がいくつも開いて、互いの顔を認識することができた。
「町長、メイ……それに、クリルにモンモ。混ぜると危険な組み合わせやね」
「リッカ……何やってんのよ」
クリルがあきれ加減に話しかける。
「何もやってないんよ。あたしが昨日やってたのは、街を歩いただけ。どんな絶妙な振る舞いをすれば、捕まらなかったのか、教えて欲しいもんだよ、まったく」
「リッカ、よく聞いて。いまセントデルタには危機が迫ってる。誰かがあなたを陥れて、その混乱に乗って何かをするつもりみたいなの」
「何かって……何をさ」
「セントデルタの破滅なんだろうけど、実際に何をする気なのかはわからない……だけど、相手のペースに乗るわけにはいかない。何とかして、そこから出してあげたい。それができる人も、ここにいるよ」
「ああ……町長ね」
リッカが渋そうな顔で町長を見た。
「俺自身はリッカをここに拘留したいんだが、クリルの頼みでもあるからな……」
町長もまた、非歓迎的な顔でリッカに返す。
「出してくれんの?」
リッカがイスを押しのけそうになりながら、前のめった。
「仕方ないだろう、クリルの言葉にも一理あるからな。だが、ただ解放するのでは人々も納得はすまい。だから疑いが晴れるまで、お前には24時間の監視をつけるからな」
「……」
町長の沙汰にリッカは眉をひそめたが、反論したりはしなかった。
そこに、だった。
「町長! 大変だ」
村人の男が、鬼気迫るようすで面会室に踊り込んできた。
「何があった」
町長は取り乱したりもせず、冷静に男のほうへ振り返った。
「シュプレヒコールだ、自警団長リッカの更迭と、すみやかなる刑の執行を唱えてる連中が、街に溢れかえってるんだよ。エノハ様を殺さんとする逆徒は聖絶すべしといっている奴もいる」
「なんだと」
「みんなに敬愛されるエノハ様の暗殺未遂とはいっても、この動きは早すぎる。昨日の夜にあったことなのに、なんで、そこまで大事になってるの」
これには能天気なモンモでさえも訝った。
「誰かが炊きつけてる。組織的に吹聴して回ってる人間たちがいるみたいです」
メイも意見を混ぜた。
「ここまで来れば、もはやリッカが出所しようが関係なかろう」
町長が眉間にしわを寄せながら、続けた。
「リッカ、お前自身の安全のためにも、そこにしばらくいてもらう。このままリッカが外に出れば、勢いづいた奴に私裁を与えられるかもしれんからな。
まずは連中を
「わかった……」
クリルが神妙に請け合うとともに、メイとモンモもうなずいた。
「待って」
だがそこに、リッカから制止の声があがった。
「あたしを、出してちょうだい」
「しょ、正気なの? 今あなたが外に出たら、人々がどんな反応を取るか、わかるでしょ」
モンモがどやしつけるように、リッカをいさめた。
だが、リッカの決意の瞳は、鋭いままだった。
「自警団長としての才能なんか、あたしには無い。そんなの、町長に言われなくたって、わかってるよ。だけど今は……今だけは、あたしじゃないと、これをまとめるなんてできないじゃない。
エノハ様が動けず、それに次ぐ権力を持つ自警団長までが牢の中にいたんじゃ、セントデルタは頭のつぶれたアリと同じ。煮るも焼くも、この企てをしたやつの思うままになっちゃう。あたしなら……あたしだけが、それを防げるんだ。だったら、やるしかないじゃん。あたしには団長の資格も器もない。だけど、そればかり言ってたら、なんにもできなくなっちゃうよ」
「リッカ……」
クリルが名をつぶやいたが、リッカのほうはエメラルドの壁越しに、じっと天井を見上げていた。
クリルはそこに固い意志を感じとると、観念したように、ふぅっとタメ息をついた。
「町長、あたしからもお願い。リッカを出してあげて」
クリルはいきなり意見を反転させて、町長に振り返り、食い下がった。
「クリル、お前まで……策も展望もあるわけでもなかろう。承服できん。ただ棒立ちになって村人に撲殺されるぞ」
「あたしはそこまでヤワじゃないよ。あたしを信じてくれる人のために、あたしはやりたいの」
「信じる? 連中は信じないからこそ、お前を探しているんだろうが」
「少なくとも、ここにはいるよ」
リッカはそう言いながら、自分の目の前にいる4人を順繰りに指差した。
どうやらリッカは、信じる人間の中に、ちゃんと町長も入れているようだった。
「……はぁ、お前は本当に……どうしようもないバカだ」
「でもリッカさんらしいです」
吐き捨てる町長の言葉を、メイがやさしく言い換えた。
「ホント……どうしようもないよね、あなたは」
モンモはどこか嬉しそうだった。
「ふふっ、でも町長、これじゃああなたの負けだよ」
クリルもにこりと笑いかけた。
「ったく……俺は知らんぞ。俺はあくまでも、お前が撲殺されたあとの対処を考えておくからな」
「ありがとう、町長」
そう言って、リッカは椅子から立ち上がり、自分から面会室をあとにしていった。