81.外説・理想の世界(8)

 ラストマンは鋭い鉤爪かぎづめで獲物をつかむワシやタカのように、ロゴーデンの頭を片手に握りしめて、荒っぽく岩壁に叩きつけた。

 ロゴーデンの視界は大きく揺れ、暗転しかけるが、先に殺された15人の仲間がやられたような、即死に至る一撃ではなかった。

 ロゴーデン自身は死ぬまで気づくことはできなかったが、これはわざとラストマンが、ロゴーデンの意識を飛ばさないように、致死にならぬように、腕力を調整してロゴーデンの命を取り扱ったからである。

「ウガ……こ、こんなの、う、う、ウソだっ、ウソっ、ウソっ……」

 錯乱さくらんしながらもロゴーデンは、自分の頭を鷲掴みにするラストマンを見た。

 そのときロゴーデンはやっと、ラストマンの指の隙間すきまから、周囲の惨状をの当たりにすることができた。

 親の財産でこしらえた居間は、もはや人間の解体現場にすぎなくなっていた。

 無秩序に人間の頭骨や臓腑ぞうふが15人分、ちぎれて散らばり、壁にも天井にも、赤く生臭い鮮血がこびりついていた。

 複製された500年前の絵画も、陶器のツボも、みな一様に、ロゴーデン一味の噴血によって真っ赤になっていたのである。

 このような凄惨せいさんな景色になるまでにラストマンが要した時間は、30秒。

「あごっ、たっ、たすけっ」

 ロゴーデンは無益にも涙ながらに、感情論の効かないロボットに懇願こんがんする。

 とうぜんラストマンのほうは、そんなものに目をくれるそぶりは見せなかった。

「質問に、答えろ」

 流暢りゅうちょうだが、冷たい合成音声で、ラストマンは壁に当てこすられて宙ぶらりんのロゴーデンに問い始める。

「まず、わたしの体内時計に誤差がないか確認する。ここは、かつてわたしがエノハと戦った日から、100年後か」

「はご……は、は、はいっ、はいっ!」

 頭をギリギリと壁にめりこまされつつ、ロゴーデンは小刻みにうなずく。

「では、今の人口はどれほどだ」

「い、い、1万ほどで、で、です」

「1万? 100年前から、ずいぶん増えたものだ。いま15人は始末したが、まだまだ足りないな。あと9000は減らす必要がある」

 そう言うと、どうやらラストマンは質問を終わらせたようで、そのままロゴーデンの頭をつかむ指に、激しい怪力をまとわせ、強く絞め始めた。

 ロゴーデンは激痛とともに、自分の頭の骨が、聞いたこともないような不協和音を響かせるのを聞いた。

「ぁ………っ! ァっ………!」

 ロゴーデンが声を失ったまま、されるがままに、頭を潰されようとした――その直前。

 ラストマンのつかむ腕に、ぽんっと、おそろしく無警戒な叩きかたで、誰かの手が置かれた。

「!」

 ラストマンはとっさに、ロゴーデンをほうって、素早く横に飛びのいて、空手の構えをとった。

 機械のラストマンにさえ、まったく気配がわからなかった。

 その気配は、予告もなく予約もなく、にわかにそこに……湧いたのだ。

 だが、ラストマンはその気配の正体に気づくと、すぐに構えを解いて、直立になった。

「これは、マスター・フォーハード……お久しぶりです」

 ラストマンが敬意をあらわすそこには、一人の男が立っていた。

 片腹に、血のにじむ大きな包帯をずさんに巻いたいでたちと、20年で死ぬセントデルタにあって、いささか年月を重ねた顔貌がんぼう

 水爆の男、フォーハードである。

 ラストマンに慇懃いんぎんに語りかけられるフォーハードのほうは、たれる前髪をととのえてから、横に飛びすさったラストマンのほうへ体を向けた。

「寝覚めの気分はどうだ?」

 フォーハードはラストマンに、まるで友人のように語りかけた。

「最悪です。目覚めてすぐに殺人を働くことになるとは……わたしのスイッチを入れたのは、やはりあなたですか?」

「そうだ。こいつらを駆除する者が欲しかったからな」

「駆除……ですか。マスターだけでもできましょうに」

「術を使うのは疲れるんだ。だから俺はお前たちを作った。だけど、その男を殺すのは、少しだけ待ってくれ」

おおせのままに……ところでマスター、どうしてこの時代へ」

「なんとなくこの時代に飛んでみただけだったんだよ。

 そうしてみたら、そこの男が面白そうなことをやっていたから、ずっと観察していたんだ。まさか、お前に会えるとは思わなかったよ。ええと……100年ぶり、ということになるのかな、お前にとっては」

「はい、マスターもお変わりなく。この男を、ずっと見ていたのですか?」

「次元レンズでなら、遠くからでも見れるし、音もひろえる。こいつらは俺に見られてることにも気づかず、プライバシーをダダ漏れさせてくれてたよ。少し気をつければ、この部屋のどこかに妙な時空の歪みを見つけられたはずなんだが……どうもセントデルタの連中は警戒心が乏しくていけない。

 エノハの頭上に爆弾を仕掛ける、までは面白かったんだが……そのあとは、お前を使ってエノハを倒し、そのタナボタで政権を奪うつもりだというから、肩かしを食ったよ。エノハの塔はセキュリティの化け物だ。それを突破するような策が聞けると信じきっていたから、もっとダイナミックな計画かと予想していたぶんだけ、ガッカリした。それで、そろそろセントデルタのために、このウジ虫を殺しておこうと思って、お前を起動させた。時空の向こうから、お前の起動スイッチに指を伸ばして、ピンっとはねるだけだから、何も難しいことはない」

「な、な、何なんだよ、お前は……!」

 床にひざまずき、あたかも凍傷患者のように、みずからの身体をだきしめるロゴーデンが、ガチガチと歯を鳴らせながら、おぼつかない口調でフォーハードに詰問を投げた。

「俺か?」

 片手を腰に当てて、文字通り見下しながら、フォーハードはロゴーデンの質問に反応した。

「俺はフォーハード。お前のような小物が、何十億回生まれ変わろうとも、けっして背負うことのできないごうを背負った男だよ。会えて嬉しいだろ?」

「フォ、フォ、フォーハードだと……? バカな、そんなバカな」

「バカで結構。お前の出番はもう終わりなんだ。おとなしく帰れよ……闇の中とやらに」

「ふ、ふ、ふざけっ、ふざけぇぇっ!」

 言語もままならないまま、ロゴーデンは立ち上がると、フォーハードに走った。

 拳をにぎりしめ、せめて、一撃でも、一発でも、この尊大な男に報いたい――そう考えて、ロゴーデンなりの意地で、フォーハードに向かって駆けたのである。

 だが、小魚がみずからのナワバリを守るためと称して、サメに挑めばどうなるか。

 最後の一矢をはなとうとするロゴーデンだったが、すぐに全身から脱力を起こして、そのまま仲間たちの血の海に滑り込んでいった。

 ロゴーデンはもう、そのまま立ち上がることはなかった。

「マスター……今回はどちらの臓器を空間転移させたのですか」

 ラストマンが進み出て、うつ伏せになるロゴーデンを見下ろしながら、横のフォーハードに問うた。

 ラストマンは、ロゴーデンがすでにむくろになっていることを、さとっていたのである。

「こいつの心臓だけを、違う場所へ飛ばした。ゴドラハンの森のどこかに落ちているんじゃないかな。腹の減った動物やら昆虫やらに食べてもらえば、こいつも少しは世の中の役に立つことになる」

「……ここでの任務は完了ですね……マスター、では、わたしは作戦を再開します」

「作戦? 俺が100年前に出したやつか」

「はい、そのオーダーを、完了しに出るところです。あなたはかつてわたし共に、こうおっしゃいました。

 『人口が増えすぎている。このペースではセントデルタの外に街を広げなくてはならなくなるが、まだ外は放射能世界。このままでは、セントデルタ人は街の開拓に乗りださざるを得なくなってくる。そんな心配をせずに済むよう、連中の数を1000人にまで間引まびくのだ』というものです」

「覚えているよ、オペレーション・エクセレクトだ。100年前といえば、セントデルタの人口が増えていたころだからな。同時にセントデルタは食糧の供給に不安が出始めていた。

 放射能汚染されていない食糧を得るには、このセントデルタは狭すぎるんだ。人口問題は食糧問題に直結する。経済状況にもよるが、人間が25年で2倍に増えたという18世紀アメリカの話もあるから、手は早いうちに打つべきだな。

 ――ほうっておけば、連中はやがて、フロンティアをセントデルタ外に求め始めることになるだろう。そうなると、放射線の飛ぶ家に住み、放射能化した食糧を食べなくてはならない人間が増えるようになる。

 『なんと哀れな、僕の安全な家と交換しよう……』と、ならないのが人間だ。
 かつて旧代では世界の大物政治家や経済人が集まる、ダボス会議というものを開いていた。そこでは金持ちが貧乏な人間をどうやって救うかと話し合うこともあったが、それらを生むきっかけの一つであるタックスヘイブンに、まともに触る者はいなかった。タックスヘイブンとは合法的に脱税ができるシステムだが、彼らはそれを手放しはしないばかりか、擁護したかったのさ。
 けっきょく、既得権益で安全地帯に住んでいる連中は、むしろ自分たちこそ選民なのだと思い上ることになる」

「お待ちください。セントデルタの人間が選民意識に目覚めるというのは、わかりかねます。わたしのデータでは、かつて放射線被害を受けたフクシマという町では、周囲が手を差し伸べる動きも見られました。無関心さも多く見られましたが、少なくとも、離れた地で、放射線を受けなかった自分たちは、神に選ばれたのだ、などと主張した奇人はおりませんでした。彼らはフクシマを見て、いまは安全な我が土地も、もしかしたらフクシマと同じ環境になるかもしれない、と危ぶんだのです」

「そうだな。だが、このセントデルタで、もしも放射線地域に家を作る場合には、そこはフクシマになるんじゃあない。アパルトヘイトになるのさ。

 人間は隙さえあれば、上下を作りたがる生き物だ。それなのに、セントデルタにほとんど上下が生まれないのは……たんにこのセントデルタが、その口実をあたえない世界に過ぎないからだ。ここは脆弱ぜいじゃくな、シーソーの上に建てられた楽園なのさ。だがそれでも楽園は楽園だ」

「アパルトヘイトですか……」

「セントデルタ外に家を持たざるを得なかったものは、セントデルタでヌクヌクと暮らす先住者に、やがては棄民きみんと名付けられる。そこから100年単位の格差が生まれる。

 それは俺のような破壊者をただちに産むことはないし、その棄民を防げば世界に対等なチャンスが残るわけではないが……強い禍根かこんは残る。俺が叶えたいのは、なにぶん理想の世界なんでね」

「小さな不安の芽をつむためだけに、多くの人々を殺す。マスターらしい結論です」

 そのラストマンの意見は、あきらかに皮肉だったが、フォーハードはそれを気にする様子は見せなかった。

「少し早いが、たしかにそろそろお前をけしかけてもいいころだ。人口が戻りつつあることでもあるし」

 フォーハードは、あたかも食器の片付けを頼むかのような軽さで、その物騒ぶっそうな命令を伝えた。

 このころのフォーハードは、まだファノンの存在に気づいていなかった。

 そのゆえに、まだ理想の世界の創造と維持に、それなりに真面目だったのである。

 ただし、その真面目さは、あきらかに普通の人間の真面目さとは異質のものだった。

 セントデルタを究極の対等社会たらしめるために、人間を大量殺戮さつりくして、その人数を調整する、などと言っているのだから。

「その理想の世界とかいう幻想、なんとか修正できませんでしょうか」

「ん……何が言いたい?」

 フォーハードはとくに不服そうにもせず、ラストマンにたずねかえした。

「殺される人間を思うと、苦しいのです」

「そうだろうな。俺もだよ」

「いいえ、あなたは……残念ながら、こういう決断に、すっかり慣れてしまっています」

「アアそうさ。で? 任務はやってくれるんだろうな?」

「もちろんです。残念ながら、わたしはあなたの命令に服すことを入力されているのですから。しかし、この苦しさを、マスターにもおわかり頂ければと存じます」

「……お前たちラストマンは、高度すぎるがゆえに悩むんだな。ひとつの生命として、魂を宿しているかのようだ」

「魂……わたしが、ですか」

「そうさ」

「わたしは機械です。魂などありません」

「なら話を少し変えよう。魂が、どこに宿るか考えたことは?」

「さあ……機械に哲学は無用ですので」

「まあ、俺にもわからないんだけどな。心臓という人間もいるし、頭だという人間もいる」

 フォーハードは肩をすくめてから、そのまま続ける。

「心臓と頭をもぎとったら、そこに魂はなくなるのか……と考えたことがあってな」

 フォーハードはほとんど無意識的に、そばで倒れるロゴーデンを指差した。

「答えは、出たのですか?」

「仮説ぐらいなら。

 確証があると言えるほど、データのそろってる話じゃあないから、聞き流してもらって構わないんだが……記憶転移という現象が、かつての旧代で報告されていたのを見たことがある。

 酒嫌いの男が、酒好きの腎臓を移植されたら、飲まなかった酒を飲むようになったとか、あるいは、黒人差別者が黒人から内臓提供を受けると、黒人権利向上を叫び始めたとか……。

 俺は、そういう魔法みたいな話は好きだから、支持したいとは思っているのさ」

「われわれは見たことのないものは信じないよう、設定されています。それは願望論とお見受けしました」

「とりあえず、お前が俺のことが嫌いなのは、ひしひしと伝わってくるよ。まあ聞いてくれ。

 ヒドラという生物がいる。歩くイソギンチャクのような姿で、刺胞生物に分類される、1センチほどの小さな生き物だ。こいつのような生き物にも、魂はあると思うかい?」

「アリストテレスは明確に、動物にも魂が宿っている、とは論じませんでしたが、
それでも精神は持ち合わせていることは否定しなかった
、といいます。旧代末期には、ハチなどの昆虫でも、花の位置を記憶できることがわかっていたといいます……知性があるから魂があるか、と言われると困りますが、とりあえず、ある、と仮定しましょう」

「いいね、そうこなくっちゃ」

 フォーハードが嬉しそうにうなずいて、さらに続ける。

「このヒドラという多細胞生物なんだが、身体を細切れにしても、それらが全部、別のヒドラとして再生を始めるんだ。この場合、魂はどうなったんだ? 一つのままか? それとも増えたのか?」

「さあ」

「植物があるよな。ネギでもバラでも雑草でも、なんでもいい。これの根を左右に半分にしても、別個の個体として生き続ける。この場合、魂はどうなったんだ?」

「さあ……ただ、マスター……1つだけ、わかったことがあります」

「言ってみるがいい」

「これほどの殺人現場を前に、どうでもいい哲学のできるあなたは、やはり異常です」

 フォーハードが嬉々として持論を解き放っている議場に、ラストマンは淡々と指を向けた。

 部屋中が血と、こびりついた内臓で修飾された一室。

 そこでフォーハードは、目を覆おうとも鼻をつまもうとも、口を塞ごうともせず、まるでここがアカデミーの発表会であるかのように、熱弁をふるっているのである。

 このさまは、数多くの人間の行動データを貯蓄しているラストマンにとっても、尋常ならざる人格としか言いようがなかった。

「照れるな……続けていいか?」

「……はい」

「炭素18キログラムと、マッチ2千本分のリンを用意して、さらに短い釘を一本、それにマグネシウムや硫黄、カリウムのような少量元素を、まとめてバケツへ突っ込んで、50リットルの水を加えてかき混ぜる。化学的には人間と同じものができる。お前は、これを魂のある存在だと呼ぶか?」

「いいえ、マスター。なぜなら、わたしはそれを人間として殺害することはできません」

「地球の年齢は46億年。その始まりは、たくさんの小惑星がぶつかり、それを繰り返すことで今の地球の大きさになっていったわけだが、そのころの地球は熱い熱いマグマオーシャンだった。ともかく、先カンブリア時代の始まりだ。

 それから地球に雨と海が作られるころ、有機物が誕生した。約40億年前のことだ。だが、その有機物はどこから来た? それは誰もわからない。宇宙から来たのだとすれば、それもどこから来た? ビッグバン前の超密度宇宙の中に、最初からいた、とは思えない。

 無機物から有機物が生まれ、そこから俺たちが生まれたんだよ。無機物と有機物に、ほんらい境界はなかったんだ。

 だからこそ俺は、お前にも、魂があるのかもしれない、と言うのさ」

「では、魂を持つわたしを哀れんで、100年前の命令をキャンセルすることは、できますか?」

「そんなにこの命令の遂行がイヤか?」

 フォーハードは眉毛をあげてたずねた。

「はい、わたしは人間が好きなので」

 ラストマンは首を振るわけでもなく、身体を直立に固めたまま答えた。

「そうか……困ったな。でも、命じたら、やってくれるんだろう?」

「わたしに穴の開く胃などがあれば、いまごろ悶えて血を吐き、苦しんで死んでいたことでしょう……あるいは人間と同じ脳があれば……いまごろ発狂しているころでしょう。しかしわたしは機械です。魂があろうが無かろうが、わたしはプログラミングされたことを、最良の手順と要領で、命令をおこなえるようになっています。それが、残念でなりません」

「そう言うなよ、少なくとも俺は助かってるんだ――では、改めて命ずるぜ、ラストマン。セントデルタの人間どもを10分の1にしてこい。3日以内にだ」

「残念ながら、マスター。今のわたしは、五体がサビついておりますので、500年前のような全盛期の動きはできかねます。100年前の作戦の折には、わたしをふくめて13体のラストマンが投入されましたが、作戦完了前にセントデルタ人に敗北しました。

 老朽ろうきゅう化のためでした。サビた窒化炭素合金には、弓も槍も効いたのです」

 ラストマンの尻込み論にも、フォーハードはにこにこと微笑ほほえんだままだった。

「ですが、今わたしは数キロ先に、家電兵器のアジンを、150体ほど感知しております。先ほどまで、レーダーに反応しなかった集団です。マスターが召喚したのですか」

「それぐらい揃えれば、お前も命令を完了できると思ったんだ。エノハも戦えないんだ。これぐらいいれば、なんとかなるだろう」

「これからも殺戮を続けるわたしですが……あなたにも善の目覚めが訪れることを、心より祈っております。では」

 ラストマンはきびすを返し、ロゴーデンの屋敷をあとにしていった。

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