「……」
「……」
裏路地から出ても、クリルとモンモのふたりは黙ったまま進んでいた。
「……」
「………」
「…………」
「ねえ」
もともと沈黙が好きでないモンモが、先に口を開いた。
「なあに」
眉をわずかにあげて、モンモの背に追随するクリルがうながした。
「なんか、喋りなさいよ」
「何か話せって言われてもね……福沢諭吉っていう、この島国にいた昔の偉人が『マンガの神様』手塚治虫のひいじいさんをハゲにしようとした話でよければ、すぐにできそうだけど」
「いまの状況に、なにも関係ない話じゃないの。その緊張感のなさもムカつくわ、やっぱり」
「ねえモンモ、あたし、あなたに何かしたっけ? だいぶ嫌われてるみたいだけど」
「あなたね……私に昔、何をしたか、覚えてないの? 私と初めて話したとき」
「え? なにそれ?」
「6歳のときのことよ!」
小鳥のように無邪気に首をかしげるクリルに、いらだちを隠さずモンモが叫んだ。
「えーと……あー、温泉でお風呂に入ったあと、あたし、タオルを忘れたんだっけ。それで無断で、まだお風呂に浸かってるあなたのを借りたら、すごく怒ってたな」
「怒ってたな、じゃないでしょ。普通、赤の他人のタオル、使う? 他にもイラっとくることがあるんだけど、その最初の印象のせいで、あなたのこと嫌いになったんだよね」
「それはメイに叱られて、やめたよ? やっぱりタオルは人のを使っちゃ、いけないよね。うん、いけない」
「……もういいわ、見えてきたよ、クリル」
モンモが指を向けるところには、人だかりができていた。
――いや、そうではなかった。
それは人だかりではなく、通りを逃げまどう人々だった。
200人におよぶ人々の顔色は、命の危険を感じているように、みな一様に青ざめていた。
「逃げろ! アジンだ! アジンが出た!」
「別の通りにはラストマンがいるぞ!」
人々はまわりの家にそう喧伝しながら、走りまわっていた。
「アジン……それに、ラストマン!?」
それを聞いたクリルが、目を見開いた。
「この島国には、もう機械兵器はいないはず。どうして、ここに入ってきてるの」
モンモもまた、信じられない様子でつぶやく。
「あ、クリル、クリルだ!」
男のひとりが、クリルに気づくと、走り寄ってきた。
「クリル! お前ら! なんてことをしてくれたんだ!」
おそろしい剣幕で、男は出会い頭に吠えてきた。
「えっ?」
あまりに意外な言葉をぶつけられて、モンモが息を詰まらせたような声をあげる。
「ラストマンが街の人々を殺しまくってる、もうセントデルタはおしまいだ! お前らのせいだ!」
「ちょっと待って……どうしてラストマンの侵入が、あたしたちのせいになるのよ」
絶句するモンモをかばうように、クリルがその前に立った。
「お前らはあの極悪人リッカの友人だろうが! あいつがエノハ様にあんなことをしたせいで、この状況に対応できねえんだろが。このままセントデルタが滅びるなら、その友人のお前らにも責任がある!」
「そもそもリッカは無実だよ」
「嘘つけ! 新聞にも書いていた! まわりの奴らも言っていた! お前らはそうやって嘘で言いくるめて、俺たちを操ろうとしてたんだろうが!」
「新聞が……そんなことを?」
クリルは
「嘘つきめ!」
「メディアが書いてるのよ! 嘘のはずがないじゃない!」
男に追いついてきた別の町女が、たたみかけてくる。
その声に釣られて、ぞろぞろと別の男女がクリルたちを囲ってきた。
「そうだ、リッカを拘置所から引きずりだそう! そして責任をとらせて、ラストマンの前に突き出すんだ!」
「まずはこいつらを捕まえろ! それからリッカのところへ!」
「リッカを連れ出せ!」
「リッカを連れ出せ!!」
「ちょっと……そんなことをしてる場合じゃないでしょ!」
モンモが目を潤ませながらも、何とかやり返す。
「ラストマンが暴れてるのに、なんで責任転嫁なんかに熱を上げてるのよ」
クリルも現実論を展開するが、目の前の人々には、なしのつぶての様子だった。
「うるさい! 逆賊め!」
男はそう叫びながら、クリルの二の腕をつかもうとした。
「――触らないでよ!」
反射的にクリルは、男の手からのがれ、逆に男の頬を手のひらで打った。
ファノンなら、これで冷静に立ち戻る。
だが、集団ヒステリーにおちいっている人間には、これはまったく別の効果を与えることになった。
「抵抗したぞ! やはり、こいつはエノハ様をおとしめる魔女だ!」
「魔女!」
「魔女め!」
「いったい何を……時代錯誤もいいところだよ、あんたたち」
クリルが冷静に反論するが、相手のほうはそれに耳を貸すそぶり以前に、そもそも200人に及ぶ町人たちの言葉が大きく重なりすぎて、クリルの声はかき消されてしまっていた。
その言葉と感情が、いよいよ爆発してクリルたちを飲み込もうとしたとき――もっとも最悪のタイミングで、最悪な声が登ることになった。
「みんな! ラストマンが出たって本当?」
リッカが息を切らしながら、クリルたちの背後に躍り出てきたのである。
「ちょっと……リッカ! 何で来たの、このバカ!」
クリルがとっさにリッカと人々との間に割って入ろうとしたが……もはやそれは無駄だった。
「リッカ……!」
「リッカだ!」
「てめえ、エノハ様になんてことをしてくれた!」
「いまセントデルタがどうなってるか、わかってんのか!」
男のひとりが、盾になろうとするクリルを突き飛ばし、リッカの前に押し入った。
「死んで責任をとれ!」
「死ね!」
「死ね!!」
リッカが現れたことにより、もともと節度を失っていた人々の怒りが、一気にふくれあがっていた。
だがリッカは、黙ってそれに打ちのめされたりはしなかった。
「ラストマンはカーネリアン通りにいるのね? だったら、あたしに任せて。何とかしてみせる」
だが、正しかろうと、そうでなかろうと、それは聴衆の心には、届かなかった。
「何とかする、じゃねーだろ。このラストマンの騒動を起こしたのも、そもそもお前だろうが!」
「お前のせいだ!」
「お前が……お前のせいだ!」
男のひとりが、手にしていた木の板を、リッカの頭の上に振りあげたかと思うと……思いきり振り落としてきた。
しかしその軌道をさとりながらもリッカは、男を見たまま、動こうとしなかった。
とうぜん、木の板はリッカの頭頂を、ゴッと硬いものの爆ぜる音とともに直撃する。
リッカは一撃の終わったあとも、銅像のように動かなかった。
――が、その額の上からすぐに、どろりとしたルビー色の血が、壁面をたどる雨水のようにこぼれ始めた。
その血の雫はリッカの頬からあごに伝わり、やがてエメラルドの敷石に落ちて、いくつもの赤い斑点をそこに作った。
「ちょっと……あんたたち!」
間を置いてから、最初に
モンモのほうはこの状況に飲まれ、ただ泣きそうな顔で、まごつくのみだった。
「あなたたち……それが、守る人に対する態度なわけ? リッカが何のために、ここに来てるか……」
「うるせえ黙れ! 死んだ人間の気持ちと比べたら、こんなの無いも同然だろが!」
リッカを殴った男が、ヒステリックに叫んだ。
「お前も邪魔するってんなら、同じ目にあわせてやるぞ!」
「そうだ! お前らが共謀してエノハ様を殺そうとした!」
「死ね!!!」
「死ね!!!!!」
クリルが何かを言いかける前に、人々は大声と人数に任せて、たたみかけてきた。
「あんたたち……! それが私刑を禁じられてるセントデルタ人の言葉だって、わかってるわけ?」
「死ね!!!!!」
「死ね!!!!!!」
男も女も、このシュプレヒコールに舞い上がっていて、クリルの話に耳を傾ける者は、一人もいなかった。
モンモも血の気の失せた顔のまま、何かを言いたそうにするが、完全に場の空気にやられて萎縮していた。
「……失望だよ。あんたたちは、旧代から何も変わらない。エノハ暗殺犯をリッカと言うけれども、その証拠なんて……
まるでゴム人形。言われたことに疑問も持たない。右手を挙げよと言われれば右手を挙げ、踊れと言われれば踊りを始める。エノハがこれを見れば、あんたたちなんかにセントデルタを任せる気はなくなったでしょうよ」
「死ね!!!!!」
「殺してやる!!!!!!」
クリルのつぶやきも、とうぜん、ほかの人間たちが言葉をかぶせてきたため、すぐに
議論が議論たり得るのは、言葉のキャッチボールが可能なときだけだ。
人数が違いすぎるときの言い合いは、必ず多が少をねじ伏せるのである。
たとえそれが間違った意見であっても、それを止められるものは、誰もいない。
人々はついに、クリルたちにまでおどりかかる仕草を見せてきた。
「あなたたち……もういいよ」
クリルは絶望の顔を怒りに変えて、人々にむけて槍をかまえかけたが――その槍の切っ先に、リッカが背中で割り込んできた。
リッカは血まみれになりながらも、冷たく澄ました表情で、エメラルドの槍を握りしめ、人々に差し向かっていた。
「う……っ」
槍の鋭い切っ先を見せつけられたことで、人々は、にわかに自分たちがほとんど丸腰であることを思い出したように、言葉をわすれてうしろずさった。
そんな人々に向かって、にわかに、リッカは容赦のない、トラやヒョウが見せる低い姿勢からの突撃を開始した。
そしてリッカの槍は、最前面の男の顔面をよけ、そのうしろに隠れる女の髪の毛をかすめ……その背後から男女の背に襲いかかろうとしていた人造人間アジンの首を、金属のこすれる音とともに、はねとばしていた。
「!!!」
目を丸くしたのは、人々だけではない。
人間に幻滅したクリルも、恐怖に固まったモンモも、みな、一様にその反応だった。
場が凍る中、アジンの首が敷石に落ちる音だけが、そこに響いた。
そのそばには、紫色の両眼をきらめかせながら、アジンが30体、すでに戦列を組んで人々の背後を閉ざしていた。
「何やっとるんよ。まだアジンは残ってる。アジンもラストマンも、自警団長のあたしが何とかするって言ってんでしょ。はよう逃げなさいよ」
「な、な、な、何なんだよ、おまえは」
リッカを殴打した男が、言葉を噛みながら問う。
「いいから早く! 逃げるんよ!」
リッカはアジンを睨み据えたまま、強く吠えた。
「こ……こんなことで罪滅ぼしのつもりかよ……俺は認めねーからな!」
「に、逃げるわよ、早く、こんな所!」
人々はこぞってリッカの脇をぬけて、走り出した。
その無防備な背中にアジンが飛びかかろうとするが……リッカがその進路にはさまって、あらかじめ腰だめにしていた槍を、アジンの畝のような腹に強く打ち込んで中断させた。
アジンはくの字に身体を折り曲げ、もといたアジンの集団の中に倒れこんでいった。
「ここは、通さんよ。あたしが闇に帰ろうが土に還ろうが、守ってみせる」
リッカがたんかを切りながら、構えなおす。
吹っ飛ばされたアジンと、その様子を観察していた同機の集団も、いまいましげに紫色のカメラアイの光量をあげた。
「来るなら来なよ。またぶっ飛ばしたげる」
リッカが叫ぶとともに、アジンのほうは警戒しながらも、リッカへの半包囲網を形成してくる。
襲うタイミングを見ているのだ。
「リ……リッカ……あなた、何で! なんで、連中を助けたの」
横のクリルが、わなわなとした声でリッカに追及した。
「あの連中は、あなたを殺そうとしたのよ? なんで? 理解できない」
「みんな、動転してるだけだよ。追い詰められたから、アア言っただけなんよ。本気であんなことを思ってる人なんて、誰もいないよ」
クリルの悲鳴に似た非難にリッカは、いつも通りの、とぼけた声色でかえしたが、アジンの群れから目線は離さなかった。
「あたしバカだから、クリルみたいに言葉をたくさん並べることはできない。モンモみたいに包むこともできない。けど、このセントデルタで生まれたからには――いや、セントデルタも関係ないかな……あたし、人を信じたいんよ」
リッカはそこで、わずかにクリルを見て、にこっと笑った。
「――なんてね。ホントはさっきも殴られた時、この人、ひどいことをするなあ、憎もうかなぁとか思ったんだけど、無理だったんよね。あー……ダメだなー、あたし」
自分の中でずっと眠っていたものを懐かしむように、リッカが優しげな表情で言葉をこぼす。
そんなリッカの感傷が終わるまで、アジンが待つはずもなく、いっせいに走り出してきた。
しかし、それらのアジンの、前列6体が、リッカの身体にのしかかろうと飛び上がったとき――
そのアジンのすべてが、横から稲妻のような速度で飛び出したダイヤモンドの槍によって、あさっての方向へ吹っ飛んでいった。
クリルの槍だった。
「バッカじゃないの。あなた」
クリルは一度槍を横に振ってから、リッカと同じく、正眼に構えなおした。
「でも……あなたの言う通りだよ。ここに生きる人間として、大事なことを忘れてた。それを思い出させてくれたってのは、ナデナデ案件だね」
クリルも、すっかり調子をとりもどしていた。
そんな二人にアジンが4体、躍りかかるが、その首が一瞬にして、横から風のように凪いできた一刀のもと、ポンっと跳ね飛ばされていった。
それは、モンモの一撃によるものだった。
「何よ、ナデナデ案件って。キモいんだけど、クリル」
クリルたちの前でしゃがむ格好となっているモンモが、唾を吐く前のような顔で、クリルをなじった。
「我が家ではこれで通じるのよ。メイにやると喜ぶよ」
「ここは公共の場よ。キモ姉は消えてちょうだい、この世から」
モンモもまた、クリルたちと並んで、ルビーの剣を両手に握りしめた。
「喧嘩はやめてよ、仲良くしよ?」
リッカは先ほどの気迫はどこへやら、困った顔でふたりを見回した。
「喧嘩してる場合じゃないよね。真面目にやりなさいよ、モンモ」
「えっ、私っ?」
「ヨシ……言い合いはこのへんにしとこう。続きは、また後で」
話を押し込むようにたしなめたリッカはすでに、戦士の表情に戻っていた。
そしてそれは、クリルとモンモも、同じだった。
「力を貸してもらうよ、二人とも。セントデルタの人々を……あたしたちの未来を、守りに行く」
リッカが号令かげんにつぶやくと、クリル、モンモがタイミングを合わせ、三人一緒にアジンの群れに駆けていった――