「アーサー、調子が悪そうだな」
キメの細かい灰
エッカート少尉はこのとき38歳。叩き上げの軍人で、イラク派兵にも参加した男だ。
わたし達はこの時、アフガニスタン某所の町外れにプレハブの仮説司令部を置いて、その中でこの会話をおこなっていた。
「エッカート少尉。わたしはアーサーではありません。前にあなたは、わたしの名をマイケルと名付けるとおっしゃっておりました」
『わたし』は46時間前にインプットされた情報を、忘却してしまったマスターに向けてアウトプットする。
「え? そうだったか……? そうそう、俺あのとき、マイケル・ジャクソンの歌を聴いた直後だったんだよ……BADはいいよ、俺も全盛期のマイケルみたいに、あのキレッキレのダンスをしながら歌おうと思ったんだが、途中で息切れがしてやめちまった。マイケルは凄いけど、真似するもんじゃねぇな。で、今はブリトニーだよ、時代はブリトニーだ、あー、やっぱりお前の名前、ブリトニーにしちゃ、もらえないか」
「わたしに性別はありませんが……それでは男から女になったことになりますが?」
「そうだよな、そうだよな」
エッカート少尉は笑った。30代の、よく日に焼けた肌をしわくちゃにしながらの、無垢な笑顔だった。
「それより、次の任務は? 男を演じるも女を演じるも自在ですが、テロリストを殺すのが、私の第一の任務です」
われわれラストマンは、このアフガニスタンで、人間の兵士の代わりに危険なテロ対策任務についていた。
それまで米軍は、アフガニスタンの人々が作物をかかえて歩くだけで、爆弾を運んでいると誤解し、爆撃をするなど、命の尊厳に関わる重要なミスを起こしていた。
そこでわれわれラストマンが500体、満を持して投入されたのだが――誤射や誤爆は、なくならなかった。
血も涙もない機械の兵士。
人間でやる失敗と、われわれの失敗に大差はなかったのだが、われわれは国内外および基地外でそう評価された。
「エッカート少尉。わたしの調子が悪いと、どこで判断されたのでしょうか。わたしは人間とは違い、顔色も声色も変わりません」
「その……あとがアレだっただろ」
「一家族の息子を、誰かが間違えて射殺した、とのことですので、わたしは速やかに、本部の命令で、謝罪に向かいました……ですが、わたしたちは人間の軍人を伴わず、ラストマン型を5体投入し、フル武装で、遺族に銃を突きつけながら、テーブルの上に札束を置いて、無言で帰るだけ、というものでした。
これが、人間の謝罪なのですか?」
「イラクの時にも同じことを命ぜられた奴がいたよ。そいつはPTSDを発症して、笑うことのできない男になっていた。優しい奴だったんだがな」
「わたしは、もともと笑わないので問題がないと判断されたのでしょう」
『わたし』はボディランゲージのような動作もなく、声の抑揚も見せず、淡々と語った。
だが『わたし』のシステム内までが淡々としていたか、となると、その返答処理にはエラーが出て、その向こうのリザルトは、500年経った現在でも未然のままとなっている。
「エッカート少尉。これを繰り返せば、世界はやがて平和になるのですね?」
「ん……それはな」
エッカート少尉は困ったように頬をかいたが、すぐに表情を厳しいものに変えて、こう続けた。
「なあアーサー、俺たちは軍人だが、なによりも戦う機械だ」
「わたしはそうですが、あなたは人間です」
「いいや、機械だね。国の意向で、国のために戦う。そこに俺は少なくとも、個人感情は挟まない。それがプロの兵士ってもんだ。お前が人間の部下だったら、こう言うんだがな。プラトンを読むな、エロ本を読めと」
「そう、なのですか……」
「そうさ、俺たちに……機械に哲学は無用なんだよ」
そう強い口調で言い切るエッカート少尉だったが、そのあとはいつもより1.6秒も長く、『わたし』の肩を何度も何度も、ポンポンと叩いた。
「……」
この時点ではまだ目の前にいる兵士・エッカート少尉こそ、私の主人だった。
……最後のアップデート・オーダーがやってくる日までは。