85.外説・理想の世界(12)

「150体のアジンが、全滅した……? いったい、何者だ、お前たちは」

 ラストマンがカーネリアン・ファイアオパールの民家の壁をぶち破って、路上に出てきたときには、周囲のアジンが一体も残らず、鉄くずに戻って寝そべっていた。

 その代わりに、ラストマンの目の前には、クリル、リッカ、モンモが、ボロボロの姿で立ちはだかっていた。

 三人が三人とも、二枚重ねの服がところどころ破け、モンモに至っては、お気に入りの服が胴抜き状態になって、すり傷の浮いたへそを晒していた。

 この3人の中ではリッカがことに重い傷を受けていて、左腕を骨折したのか、だらんと下げたまま、それでも片手にエメラルドの槍を離さず、戦いを続ける態度を貫いていた。

「何者か、ですって?」

 クリルが腫れた瞼のために片目だけ開いたありさまで、不敵に返す。

「あたしたちは、セントデルタ三武神よ」

「なかよしシスターズだよ」

「癒し系モンモさんと、付属の2バカかな」

 しゃべった順番は、クリル、リッカ、モンモである。

「……」

 ラストマンはクリルたちのてんでバラバラな紹介には耳を貸さず、五体をイノシシのように低めた。

「来るわよ、モンモ。リッカをカバー」

「命令しないで、当たり前でしょ」

 クリルとモンモが、一番ケガのひどいリッカをかばうように、ラストマンの突撃を待ち構えた。

 その3人に照準を合わせ、ラストマンは、低めた姿勢からダッシュを開始した。

 チーターの最高時速である120キロメートルを瞬間的に叩き出す脚力で、もろいカーネリアンの敷石を砕きながらの突撃。

 クリルはそんな巨岩のような体当たりを前にしても、さらに一歩進んで、モンモの盾になる位置に陣取った。

 ラストマンの演算処理能力は、研ぎすまされた人間の反射神経の動きをはるかに凌駕する。

 ラストマンは、おのれの眼前に突き立てられているクリルの槍を、横に遊ばせていた両手で、まるで蚊を叩くようにして挟んだ。

 クリルのダイヤモンドの槍は、一瞬にして銀河のきらめきのような小さな粒に変じ、砕け散った。

「っ!」

 目をむくクリルの顔面に、ラストマンは拳を振りかぶり、放った。

 これによって、クリルのあごの骨と頬骨がボキボキに折れ、肉がめくれ、歯が投げ散らかしたポップコーンのように飛び散る……ということはなかった。

 うしろにいたモンモがクリルを押し倒し、その一撃をやり過ごしたからである。

 だが今度は、クリルもモンモも、ラストマンのすぐそばで寝そべるという、危険極まりない体勢にならざるを得なかった。

 当然、ラストマンは足元にいるクリルたちを踏もうとするはずだが……ラストマンはどういうわけか、クリルたちに追撃をはかるようなことは、してこなかった。

「!?」

 クリルとモンモは、ラストマンがぐずぐずと立ち尽くしている間に立ち上がり、リッカの元まで下がることに成功した。

「何で、いま追い打ちをしてこなかったの、こいつ」

 クリルが棒だけとなった槍を構えながら、となりのモンモにたずねた。

「わからない……何か意図があるんじゃないの」

「そうは思えない……まさか」

「何かわかったの? クリル」

「下を向けないんだよ、このラストマン。何か首の関節に石でも挟まってるんじゃないの」

「え、そんなの……そう、なのかな……?」

 モンモは半信半疑だったが、クリルの分析は事実だった。

 ラストマンは100年におよぶ埋没期間の果てに、身体の節々に砂利や土の侵入を許しているため、動きに制限を受けていたのである。

「それなら……そこにつけこむべきだね」

 全幅ぜんぷくの信頼をクリルに寄せているリッカが、ためらうモンモのうしろから告げる。

「――次で勝負を決めるわよ、リッカ。モンモもいい?」

「仕方ないわね……今だけは信じることにしたげるよ」

 モンモは渋々だが、返事をした。

「じゃあ……行くよ!」

 クリルが走った。

 ラストマンは深く腰を落とした、独特の構えでクリルの接近を待った。

 密着した戦いと、複数を相手取るのを得意とする武術、八極拳の構えである。

 ラストマン自身、クリルたちに自分の弱点を見透かされたことを気づいていたから、重心を落とすことで、足元をかばえる体勢に変えたのである。

 だが同時に八極拳は、武器による攻撃を防ぐには、不得手な武術でもある。

 深く腰を落としているがゆえに、俊敏な回避が難しいのである。

「はっ!」

 クリルが気迫を込めるとともに、ラストマンの顔面に、だけとなった棒を突き出した。

 ラストマンの回路は目の奥に集中する。

 ラストマンからすれば、これは射程外からの一撃。

 したがってラストマンには、これを手で弾くしか手はなかった。

 ラストマンはそのままクリルのふところに、凄まじい地団駄じだんだのような強烈な足踏み『震脚』とともに踏み込み、クリルの首と胸の間に向けて、肘を伸ばしてきた。

 そこは天突と呼ばれる、人体の急所のひとつである。

 並の人間なら、あっさりその一撃で命を落とすだろうが、今回は事情が違った。

 ひとつは、クリルが常人離れした運動神経の持ち主であったこと。

 そしてさらに重要だったのが、ラストマンが老朽化していたことである。

 その二つの要因が、クリルの命をつなげた。

 クリルは上体をそらせてラストマンの肘をかわしながら、その顎に、しなるムチのような動作で蹴りを食らわせた。

 強制的にラストマンの視界は、青空に向けさせられることになった。

 片脚を上げているクリルもまた、バランスを崩し、そのままカーネリアンの敷石に倒れこむ。

 ラストマンはすぐに頭を正面位置にもどし、倒れるクリルがいそうな場所に、強靭きょうじんな脚力を使って踏み潰そうとするが……今のクリルが生み出した一撃のおかげで、ラストマンにそんな暇は許されなくなっていた。

 ラストマンのカメラアイに、リッカが片手につかむエメラルドの槍で、狙いを定めながら、飛び込んでいたのである。

 とはいえ、ラストマンの両手はいまだに自由。

 リッカの片腕からの一撃など、両手で顔を覆うだけで防ぐことが可能なのである。

 その目算を果たすため、ラストマンはみずからの顔面に両手をあてがおうとしたが……その下から、モンモが深く踏み込んできて、持ち上げるような重いルビー剣の振り上げをしてきた。

 その剣はラストマンの両腕を跳ね上げ、ふたたびリッカの前に、ラストマンは顔面を晒すことになった。

 完全無防備。

 ラストマンの鋭敏なCPUが、この状況を打破するための、あらゆる方法を講じる。

 ――だがそこに生じた返答とは……運良くリッカが一撃をはずすことに賭ける、という消極的な選択肢だけだった。

 けっきょく、その選択をリッカがするはずもなく、槍は一切のブレさえなく、ラストマンの顔面にまっすぐ飛び、その切っ先をラストマンの顔の中程まで食い込ませていった……。

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