87.外説・理想の世界(14)

 10日後、アレキサンドライトの塔、49階。

 そこでは上半身と下半身に分かれたエノハの身体が、硬いエメラルドのベッドに寝そべって、無数のマシンアームによって必要機材を埋め込まれ、あるいはドリルや電気ノコで微細な調整を受けていた。

 室内は、おそろしく無機質で、あたかも精密工場の内部のようでさえあった。

 かつてファノンが病後を暮らした、キッチンや風呂、トイレをそなえた塔の最上階に比べると、このアレキサンドライト49階は、生活感のあるものとは呼べない場所だった。

 北側の壁には、あたかも昆虫の複眼のようにモニター画面が敷き詰められており、その両サイドには、何百本ものコードにつながった、スーパーコンピュータがそそり立っている。

 その中心にあるベッドで、エノハは機械の施術を受けているのであった。

 そして、動けないエノハのかたわらに、フォーハードが見下ろしていた。

 薄暗い部屋なので、フォーハードの表情は闇にまぎれて、よく見えなかった。

「……ここは面会謝絶だ。お引き取り願おう」

 エノハが顔上の訪問者をあしらったが、あしらわれたほうは、全くそれを意に介してはおらず、ただ黙ってエノハを見つめていた。

「フォーハード……私を試したな? セントデルタ人がみずから、問題を解決できるかを」

「……何のことだ?」

 やっとフォーハードは口を開いたが、それは少し、かすれた声だった。

「とぼけおって……人々の混乱を誘い、セントデルタを乱し、それに流されることなく、絶望することなく、解決できる人間がいるかどうか、お前は心配になった。

 だからこそお前はロゴーデンの奸計に気付きながらも、わざと見過ごし、こんなことをしでかしたのだ。

 ここ数百年、お前は私と顔をあわせるたびに、『平和ボケのセントデルタ人』と話していたからな」

「その通りさ。リッカと言ったか。あいつに免じて、今回は俺とお前との盟約は続けてもいいとおもったよ。また100年後にも、俺は同じことをするかもしれないがな」

「そんなくだらないことのために、ラストマンを率いて、何百人も人々を殺したというのか」

「そう言うなよ。俺だって貴重な友人を、ひとり亡くしたんだ」

「友人……? お前がそう呼ぶ人物とは、よほど利用価値のあった人間だったんだな」

「……まあ、だいたいそんな感じだよ。ただ、あいつは死にたがっていた。死にたくても死ねないようにセットされてるから、苦しんでいたんだよ」

「お前が感慨にふけるとは、珍しいこともあるものだ」

「わかっている……覚悟もしていたさ。そんなことは、とっくの昔に」

 フォーハードはそこで、首を小さく振ってから、いつもの体裁をつくろった。

「――でも、なかなか真に迫っていただろう。お前にさえ、人間の存続に疑問を持たせることができたんじゃないのか? あの現場を、ずっと見ていたものな」

 フォーハードは目の前に覆いかぶさる、66面の監視モニターに目を移した。

 そこにはアレキサンドライトの塔に備わった、大量の監視動画が流れていた。

 その内のひとつには、確かにリッカたちがラストマンやアジンと戦闘した場所も、映っていた。

「……たしかに、その時はそう思ったよ。だが、リッカが……あの子がいてくれたおかげで、その思いは間違いだと確信できた。あの子には感謝してもしきれんよ」

「人間を信じ続けてもいいと思えたんだ。俺にも感謝できるよな」

「それにはノーだ。お前が奪ったもの、破壊したもの、産ませなかったもの、それを考えたら、誰一人……ロナリオすら、お前を許すことはできまい」

「お前が透明な水だとしたら、俺は赤い水。しかし俺たちは手を組んでるんだ。つまり混ぜてしまえばお前も赤い水なんだよ。俺と組んでる時点で、お前も同罪だぜ」

「フォーハード……ひとつだけ、言いたいことが」

「何だ」

「私の前で、泣くな」

 エノハは修繕の終わった左手をのばし、横に立つフォーハードを指差した。

 フォーハードは、頬から涙を流していた。

「なんだ、バレてたか」

 フォーハードはばつが悪そうに肩をすくめた。

「お前には、人のたむけになることをする資格さえない。同情が欲しくても、私はやらんぞ。さっさと帰るのだな」

「……ああ、そうするよ。邪魔したな」

「フォーハード」

 エノハは冷たい口調のまま、背を向けてスライド式のドアに向かうフォーハードを呼び止めた。

 フォーハードは返事もせず、ただその場に立ち止まった。

「……あのホロコースター・ラストマンは、私のほうで埋葬してやる。それで我慢しろ」

「……感謝する」

 フォーハードは背中を向けたまま、エノハに礼を言うと、ふっとその場から消滅していった。

「……っ」

 エノハは一人になると、いささかぶっきらぼうに、取り戻した片腕で腕枕をして、目をつぶった。

「ロナリオ……あなたが生きていれば、世界はこんなふうにはならなかった。あの男も、ただの超能力を持った優しい男として、なんとか自分の力と折り合って、生きていけたはずなのに。あなたが死んだというだけで、あの男が狂い、世界が終わり……そしてこんな世界を未練がましく続けることになった。

 たしかに、あなたは良くない死にかたをした。だがそのおかげで、世界はそれ以上に良くない滅びかたをした。

 ――死んだあなたを、恨めしく思うときがあるよ」

 そう言ってエノハはしばらく、死者との会話をこころみるかのように、何事かを一人でつぶやいていた。

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