10日後、アレキサンドライトの塔、49階。
そこでは上半身と下半身に分かれたエノハの身体が、硬いエメラルドのベッドに寝そべって、無数のマシンアームによって必要機材を埋め込まれ、あるいはドリルや電気ノコで微細な調整を受けていた。
室内は、おそろしく無機質で、あたかも精密工場の内部のようでさえあった。
かつてファノンが病後を暮らした、キッチンや風呂、トイレをそなえた塔の最上階に比べると、このアレキサンドライト49階は、生活感のあるものとは呼べない場所だった。
北側の壁には、あたかも昆虫の複眼のようにモニター画面が敷き詰められており、その両サイドには、何百本ものコードにつながった、スーパーコンピュータがそそり立っている。
その中心にあるベッドで、エノハは機械の施術を受けているのであった。
そして、動けないエノハのかたわらに、フォーハードが見下ろしていた。
薄暗い部屋なので、フォーハードの表情は闇にまぎれて、よく見えなかった。
「……ここは面会謝絶だ。お引き取り願おう」
エノハが顔上の訪問者をあしらったが、あしらわれたほうは、全くそれを意に介してはおらず、ただ黙ってエノハを見つめていた。
「フォーハード……私を試したな? セントデルタ人がみずから、問題を解決できるかを」
「……何のことだ?」
やっとフォーハードは口を開いたが、それは少し、かすれた声だった。
「とぼけおって……人々の混乱を誘い、セントデルタを乱し、それに流されることなく、絶望することなく、解決できる人間がいるかどうか、お前は心配になった。
だからこそお前はロゴーデンの奸計に気付きながらも、わざと見過ごし、こんなことをしでかしたのだ。
ここ数百年、お前は私と顔をあわせるたびに、『平和ボケのセントデルタ人』と話していたからな」
「その通りさ。リッカと言ったか。あいつに免じて、今回は俺とお前との盟約は続けてもいいとおもったよ。また100年後にも、俺は同じことをするかもしれないがな」
「そんなくだらないことのために、ラストマンを率いて、何百人も人々を殺したというのか」
「そう言うなよ。俺だって貴重な友人を、ひとり亡くしたんだ」
「友人……? お前がそう呼ぶ人物とは、よほど利用価値のあった人間だったんだな」
「……まあ、だいたいそんな感じだよ。ただ、あいつは死にたがっていた。死にたくても死ねないようにセットされてるから、苦しんでいたんだよ」
「お前が感慨にふけるとは、珍しいこともあるものだ」
「わかっている……覚悟もしていたさ。そんなことは、とっくの昔に」
フォーハードはそこで、首を小さく振ってから、いつもの体裁をつくろった。
「――でも、なかなか真に迫っていただろう。お前にさえ、人間の存続に疑問を持たせることができたんじゃないのか? あの現場を、ずっと見ていたものな」
フォーハードは目の前に覆いかぶさる、66面の監視モニターに目を移した。
そこにはアレキサンドライトの塔に備わった、大量の監視動画が流れていた。
その内のひとつには、確かにリッカたちがラストマンやアジンと戦闘した場所も、映っていた。
「……たしかに、その時はそう思ったよ。だが、リッカが……あの子がいてくれたおかげで、その思いは間違いだと確信できた。あの子には感謝してもしきれんよ」
「人間を信じ続けてもいいと思えたんだ。俺にも感謝できるよな」
「それにはノーだ。お前が奪ったもの、破壊したもの、産ませなかったもの、それを考えたら、誰一人……ロナリオすら、お前を許すことはできまい」
「お前が透明な水だとしたら、俺は赤い水。しかし俺たちは手を組んでるんだ。つまり混ぜてしまえばお前も赤い水なんだよ。俺と組んでる時点で、お前も同罪だぜ」
「フォーハード……ひとつだけ、言いたいことが」
「何だ」
「私の前で、泣くな」
エノハは修繕の終わった左手をのばし、横に立つフォーハードを指差した。
フォーハードは、頬から涙を流していた。
「なんだ、バレてたか」
フォーハードはばつが悪そうに肩をすくめた。
「お前には、人のたむけになることをする資格さえない。同情が欲しくても、私はやらんぞ。さっさと帰るのだな」
「……ああ、そうするよ。邪魔したな」
「フォーハード」
エノハは冷たい口調のまま、背を向けてスライド式のドアに向かうフォーハードを呼び止めた。
フォーハードは返事もせず、ただその場に立ち止まった。
「……あのホロコースター・ラストマンは、私のほうで埋葬してやる。それで我慢しろ」
「……感謝する」
フォーハードは背中を向けたまま、エノハに礼を言うと、ふっとその場から消滅していった。
「……っ」
エノハは一人になると、いささかぶっきらぼうに、取り戻した片腕で腕枕をして、目をつぶった。
「ロナリオ……あなたが生きていれば、世界はこんなふうにはならなかった。あの男も、ただの超能力を持った優しい男として、なんとか自分の力と折り合って、生きていけたはずなのに。あなたが死んだというだけで、あの男が狂い、世界が終わり……そしてこんな世界を未練がましく続けることになった。
たしかに、あなたは良くない死にかたをした。だがそのおかげで、世界はそれ以上に良くない滅びかたをした。
――死んだあなたを、恨めしく思うときがあるよ」
そう言ってエノハはしばらく、死者との会話をこころみるかのように、何事かを一人でつぶやいていた。