88.外説・理想の世界(15)

 10日も経つと、セントデルタ騒擾そうじょうの真犯人は、リッカではなくロゴーデン一味だということが、世間にも知れ渡るようになっていた。

 エノハがわずかなりにも機能を回復したことで、セントデルタ備え付けの監視カメラ内の確認ができるようになったからである。

 カメラはしっかりと、ロゴーデンたちがエノハの頭上に爆弾を仕掛けるところを、撮影していた。

 エノハがこれを町長に見せたことで、事態は収拾の一途をたどった(さらに調べると、セントデルタ新聞でリッカの悪事を書き連ねたのも、どうやら、いまは亡きロゴーデン一派の男だったそうである)。

 町長は、エノハの代わりに中央広場で集会を開き、リッカの無実を口伝えで訴えたことにより、人々の怒りはリッカではなく、死んで闇の彼方に消えたロゴーデンたちに向かうことになった。

 そういうわけでリッカはいま、堂々と、サファイア・ラピスラズリ通りに面するセントデルタ中央病院で、折れた腕の治療に専念することができていた。

「リッカ……すまなかった」

 男が涙ながらに頭をさげ、ベッドに寝そべるリッカの右手をにぎった。

 ラストマン襲撃のときに、リッカを棒切れで殴った男である。

「お前を信じてやれなかった。他人の風聞ふうぶんだけでお前を判断して、勝手に憤って……その上に、あんなことまでしちまった。すまない。俺は、お前にどうしようもないことをしてしまった」

 男の懺悔ざんげに、横で控えていた弟のノトが顔をしかめるが、リッカのほうは、気にした様子も見せず、寝たまま小さく首を振るのみだった。

「間違いなんて、誰にでもあんじゃん。あたしだって、数え切れない失敗をしたけど、何とかなってきた。それは、あたしが失敗したときも、人が許してくれたから。許されてきたから、今があるんよ。気にしなくていいよ」

「しかし、それでは……」

「なら、こうしよう」

 リッカは思いついたような、明るい表情で、上体を起こした。

「誰か困ってる人がいれば、助ける。その人が助かれば、その人にも、困った人がいれば助けてやれ、と言うんよ。この連鎖を続ければ、みんな助かる。これって名案じゃない?」

「リッカ……」

 男が嗚咽に喉をしゃくらせるが、そこに、横に控えていたノトがしゃしゃりでてきた。

「きさまだったんだな、姉さまに怪我を負わせたというのは。お前にも同じことをしてやる。表へ出ろ」

 ノトが目を血走らせて、男に組みかかる。

「ノト」

 オパールの壁に背をつけて立っていたクリルが、静かにノトの名前を呼ばわった。

「なんだ、クリル」

「あんた、ラストマンが出たとき、何をやってたの。それどころか、リッカが投獄されてるときに、面会にさえこなかったじゃない」

「う、そ、それは……」

「酒場で姉の悪口を言ってる弟を見た……って言ってる人の話だって聞いたわ。『やはり、あの女は自警団長なぞに向いていなかったのだ』とか何とか喋ってたそうじゃない。そのへんも、どうなのよ」

「う……お、俺はいま忙しいのだ。おい、行くぞ! 弟の義務として、お前も同じ目にあわせてやる」

 ノトは急いた顔つきで、リッカに謝りに来た男の二の腕をつかんで、病室から引きはがそうとした。

「ノト」

 そこで、ノトの言動を観察していたリッカが、ようやく口を開いた。

「は、はい、姉さま」

 ノトは男から手を離し、直立になってかしこまった。

「セントデルタで私刑は禁止。わかってるよね」

「は、は、はい……」

「じゃあ、その人を裁くことは、あんたにできんじゃん」

「う、む……」

「裁けるのはエノハ様か、あたしだけ。でも、あたしはその人を許すって決めてんのよ。モウちょっかいは出さないで」

 リッカはそう言うと、ノトに興味を失ったように、枕に後頭部をうずめ、しゃべらなくなった。

「は、はい……」

 ノトは萎縮したように、肩を落とした。

「じゃあ、その話はそれで終わりだね。で、ノト、お姉ちゃんがピンチの時に、そのお姉ちゃんをこきおろしてた理由、教えてよ」

 追撃が足りないとばかりに、クリルがノトを槍玉にあげる。

「う……そ、そうだ。俺はいま仕事を途中で抜けているから……長々と話しているヒマはないのだった。じゃ、じゃあな」

 ノトは火災から逃げる小動物のような機敏さで、その病室から逃げ出していった。

「ちょっ……ノト!」

 クリルが言うが、ノトはもう、すでに立ち去っていた。

「……ったく」

「責めないであげて、クリル。いつか、わかってくれるよ」

 ベッドに身をあずけるリッカが、目をつぶったまま、たしなめてきた。

「手ぬるいよ、リッカ。あなたがそんなんだからノトがあんなふうに……まあ、今日はそれを言わなくていいか」

 クリルは持論を飲みこんでから、先ほどまでノトに絡まれていた男を見た。

 男もまた、所在なげに、この様子を見守っていたが、やがて小さく一礼して、病室をあとにしていった。

 病室には、クリルとリッカだけとなった。

「まあ、でも……リッカ、お手柄だね」

「まあね。なかよしシスターズの力があれば、たいてい何とかなるっしょ……ところでモンモは?」

 ぼんやりと石の天井を見上げながら、リッカがつぶやく。

「あたしがいるから、時間をずらしてお見舞いにくるんだってさ。ツンデレぶってる自分を可愛いって思ってるんでしょ」

「照れ屋だからねえー、モンモは……でも、あの子にも、お礼をしとかんとね」

「お礼はほどほどにね。その代わり、あの子やあたしが危険なことになったとき、命を張りなさいよ」

「えっ、なんで」

 リッカは半音ほど声をあげて、たずねかえした。

「さっき自分で言ってたでしょ。困った人がいれば助けてあげなさい、そうして助けた人にも、困った人を助けてやりなさいと伝えなさいって。もう忘れたの?」

「まさか――恩に着てるよ。忘れるわけがないよ。何があっても、あたしはあんたの味方だよ」

 リッカは横のクリルに、ほほえんだ。

 リッカは心よりの言葉として、生涯の誓いとしてそれを告げたのである。

 だがこの時点でクリルたちは、この約束が2年後に無残な形で破られることになると、考えられるはずがなかった。

 とはいえ、それはまた別の話である。

「ねえ……リッカさ」

「ん?」

「あなたは、あたしの勇者さまだよ」

「何よ、気持ちわるいねえー」

「あなたなら、エノハなんかより、すごい統治ができると思う。決めた。あたし、あなたをセントデルタの女神にしたい。そのためには、エノハには退位してもらわないとね」

「無理でしょ。そもそも、あたしなんかじゃ、エノハ様にかなわんよ。だってあたし、人間の復活なんてできんもん。あたしが一万年かけてできないことを、あの方は500年で成し遂げたんよ。あの方を越える人なんて、もう出ないね。

 あとクリル、その言葉、立派な転覆てんぷく罪だからね」

「むう……頑固だね、リッカ」

「あんたには負けるよ、クリル……おや?」

 リッカはそこで、のっそりと布団から上体を起こした。

 その視線は、サファイア窓の外に広がる中央庭園のほうを、見つめていた。

「何かあるの? リッカ……あっ」

 クリルがたずねかけてから、口を丸くひらいた。

 そこからファノン、ゴンゲン、モンモの声がもれていたのである。

 クリルが横すべり窓を上に開いて、下のほうを見てみると、たしかにその3人がワイワイと言い合っているのが見てとれた。

 ファノンは10日前とまったく同じ格好で、ゴンゲンに抱えられてその脇に据え置かれていた。

「うおおおおおおおっ!!!!! 何てことだ! もうエノハ様を襲撃した奴らが裁かれていたとはっ!」

 ゴンゲンが咆哮をあげていた。

 ゴンゲンは何日も家に帰っていないのだろう、野武士のような無精ぶしょうヒゲを伸ばしていて、あたかも遭難者のいでたちとなっていた。

「ドリョク! ユウジョウ! ショウリ!」

 ファノンはカタカタと人形のように口を開けては、しきりに甲高かんだかい声で叫んでいた。

 ――10日間ずっと、寝る間も食事の間も、ゴンゲンの腕に抱えられて努力論を吹きこまれたことで……何かが壊れたのだろう。

「ドリョクはセイギ! ドリョクはヘイワ! ドリョクはドリョク!」

「ねえ、ゴンゲン親方。そろそろ、ファノンを離してあげたら? どう考えても、いまのファノン、おかしいよ?」

 たまたま病院前で鉢合わせたのだろう、モンモが遠慮がちに忠告していた。

「いいえ! モンモさん! 彼はいま、失敗しているわけではない!!! ただ1万通りの努力のひとつをやってているだけなのです!!!!」

「イヤ……10日も親方と一緒だったんなら、もういいでしょ。解放したげましょうよ……」

「ドリョク! ドリョク! ドリョクとワタシ!」

 大筒のようにゴンゲンに脇を締められるファノンが、モンモを見ながら叫んだ。

「うぁぁ……」

 モンモは迷惑そうな顔で絶句する。

「ファノン、エラいことになってない?」

 リッカがベッドから立ち上がり、クリルと並んで窓を見下ろし、ファノンの惨状に顔をしかめた。

「2年後には戻ってるみたいだし、大丈夫でしょ」

「そういうメタ発言は萎えるからやめてよね」

「これでも耐えてたのよ? ラストマンと戦う時だって『マア2年後にはあたしたち、普通に登場してんだから、読者もあたしたちが勝つのをわかってるよね』って言いたくて、仕方なかったんだ」

「そりゃ……タブーって奴だよクリル」

 リッカはそこで、眼下のモンモと目があったらしく、大きく右手を振った。

 モンモもまた、ここから離れる口実となる助け舟が見つかったとばかりに、いつもより元気に手を振り返してきた――

 じっとりとした夏風の吹くこの日、ここにいる全員が、戦いの終わりを感じていたのである。

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