9.ひらめく力

 ファノンが喪服を着替え、いつもの麻の長袖に服装をかえて家を出た直後だった。

「クリルの預かり子、ファノンだな」

 玄関先で控えていた小男が、やぶからぼうに、言葉を投げつけてきた。

 話しかけるタイミングからして、ずっとここで自分を待っていたのだろう、とファノンは悟った。

「誰だよお前」

「あの女……クリルはどこへいった。あいつに話したいことが」

「イヤ、だから誰だよお前」

「俺はノト。自警団長の弟だ。クリルの居場所を。いいか、自警団長の弟だぞ」

「知らない」

 ファノンは首を振りながら、この数度の会話で、ノトのことを、話の通じにくそうな奴だな、と評していた。

「勉強のことでわからないことでもあって、あいつにききたいのか?」

「俺は学生じゃない!」

 ノトはにわかに激昂げっこうし、もともとツリ目だった眼光を、よりいっそう上に尖らせた。

 ファノンは別に皮肉をこめたつもりで、たずねたわけではない。

 指摘されずとも、ノトが学生でないことはわかっている。

 二十歳で死ぬことから、セントデルタの人々の学生期間はほとんどない。

 12歳になるとセントデルタの人々は学校を卒業し、おのおの仕事を始めないとならないのだ。

 だが人生があまりにも短いためだろうか、好学の徒はたいへんセントデルタには多く、10代後半の人物でも、クリルの博学をたよって家の扉をくぐりにくる。

 ファノンは、そういう意味で言ったのだろう、と予測して答えたのだが、どうやら相手のコンプレックスを逆なでしたようだった。

 ノトはたいへん背が低く、150センチもないだろう。おそらく昔から学生だとか子供だとか言われて、からかわれてきたのかもしれない。

 ファノンが憶測おくそくするとおり、事実、それはノトが一番気にすることだった。

「貴様、俺の背の低さをバカにしたな? 俺のことをバカにするってことは、自警団長リッカをバカにするってことだ。謝れ!」

「あ、ああ……すまなかった」

 ノトの虎の威を借りた言いように、ファノンは憤然とやりかえしたい衝動に駆られたが、なんとか飲みこんで、小さく頭をさげた。

 じっさい、悪いのは自分だから。

「ふん、ならいい」

「……」

「ならば、隠してないで、クリルの居場所を教えろ」

「……は?」

「知ってるんだろう、居場所を教えろと言っている」

「俺が、ウソをついていると?」

 ぎりぎりまで耐えていたファノンだったが、最後のその一言で頭をあげた。

 ファノンはクリルの居場所は本当に知らなかった。

 だから、その言葉を叩きこまれるまでは、愛想笑いでもしてやりこめる気でいたファノンだったが、その気が変わった。

 悪いと指摘されれば謝るが、そうでないことには、断乎だんこ抵抗すべきだ。

 と、死んだハノン先生なら言うだろう。

 セントデルタ人は短命ゆえか、気が短い。

「なあノト」

「なんだ」

「あれだな、自警団長が身内にいるからといって、身内全員が自警団長になったのをきいたことはない。エノハ様は血縁で自警団長を決めはしない」

「そんなことはわかっている! だが俺は自警団長になるつもりだ!」

「選定基準もエノハ様は気まぐれでやってるふうなのに、どうやってなるんだ? エノハ様の喜ぶことを100回やっても、エノハ様が自警団長にするかはわからないぞ」

「んぐ……それより、クリルの居場所を教えろ。あの女の」

「イヤだね、別に俺とお前は仲が良いわけでもなし。話す義理はない」

 ここぞとばかりにファノンは意趣返(いしゅがえ)しした。

「貴様、下手したてに出ていればズケズケと」

 どうやらノトは下手のつもりだったらしい。

 だがここまでくると、ファノンも怒りを抑えられない。

 ――人間世界はおよそ売り言葉に買い言葉なら、買ってやろうじゃないか。

 ファノンは気づいていた。

 ファノンの怒りに呼応するように、鼓膜(こまく)の奥のほうで、空気がふるえる、ブブブという連音が鳴ることに。

 本能でわかる。

 ファノンの『力』だ。

「――う」

 ノトはその瞬間、ファノンが聞いている振動音とは比較にならない高さの音を、聞き分けていた。

 強烈な雑音と、そして、全身に帯び始める、熱。

「なんだ……これは」

 ノトはみずからの手のひらを眺めたあと、ファノンのほうを見た。

 だが、ノトのその視界も、すぐに高熱によってゆがみ始める。

 たまらずノトは片膝をつく。

「おい……どうした」

 異常を察したファノンが、ノトに駆け寄った。

 ──こいつのこの様子……まさか、引き起こしてるのは俺か?

 ──バカな。俺は力を人に向けるつもりなんて、ないんだぞ。

 ──ましてやクリルに言われてるんだ。

 ──この力は不幸にする力だから、使うな、と。

 この不気味な体験は、ノトにも誰によって引き起こされたものか、およそ想像できていた。

 ファノンが何か異端の力を使うことはセントデルタでは有名だが、ノトが聞いている話では、虫メガネと同じように、せいぜい黒い紙に煙をまぶすていど。

「バカな。こいつは幼稚な奇術しかできないはず……きさま、この熱を止めろ……」

 ノトは体の表面に……いや、体内にも、どんどん熱が湧き出してくるのを感じていた。

 そしてそれは、みるみる耐えがたいほどの熱さになっていく。

 とくに、水分が多くつどう場所。

 眼球、胃、そして当然、血管すべて──

「く、あ、熱……!」

 ノトは両膝をついたまま、体を抱きしめるが、熱の襲来がやむことはない。

 ファノンもファノンで、普段と自分の力のようすが違うことに気づいていた。

 だがそれでもファノンは、この力を止められずにいた。

 こんな力が出たことは、つい数日まで、一度もなかった。

「ファノン! やめろ!」

 ふいに、ファノンの右耳から声が飛びこんできた。

 ファノンがそちらへ振り向くと、メイが顔を青くしてファノンのほうを見ていた。

 ファノン同様、葬式終わりにラフなポンチョ状の服に着替えたメイが、外出とばかりに玄関の扉を開けたところ、この凶行に出くわし、思わず声を張り上げたのだ(とはいえメイには、いつもの静かな住宅地に、苦悶の顔をして(ひざまず)いているノトと、それに向けて立ち尽くすファノンしか見えなかったわけだが。傍目には誰が何をやっているのか、まったくわからない状態にも関わらず、そこに並々ならぬ危機感をおぼえてファノンに声をかけたのは、メイの鋭敏な判断力のたまもの、と言えるだろう)。

「メイ……」

 ファノンが意識をメイのほうを向けたとたん、自分の中の『力』もまた、ノトから意識をそらしたのを感じた。

 そこでようやくノトはあえぐように大きく息をもらし、鎖のかせから解き放たれた囚人のように、どしゃりと地面に音を立てて四つん這いになった。

「ガハっ! うっ、グッ……くっそ……何だ今のは……くそ!」

 ノトは憎々しげに片膝をつきながら、ファノンを見上げていた。

「きさま……この殺人マシンめ。ウソの噂をでっち上げていたな? こんな能力があったなど、聞いていないぞ」

「違う、俺は」

 ファノンはそう自己弁護するが、それは詭弁(きべん)であることもわかっていた。

 ファノンを落ち込ませたのは、それだけでない。

 あの炎に包まれた森で、クリルと交わした約束。

 ──もうあの力は使わないで。あの力はあなたを孤独にする。孤立させる力……。

 クリルに固く誓ったはずなのに、それは激しい怒りのままに破り捨てられたのである。

 当人に、それをやぶる気がなかったとしても、だ。

 いずれ、この話はクリルにも届く。

 ──そんな時、俺はどんな表情をして、どんな言葉を言えばいいのだろう。

 ファノンにはその事実が、もっとも自分の心を打ちのめしたのである。

「これをどう言い訳する。貴様は化け物だ」

 ノトは立ち上がると、前のめりになりながら、まるで何かをひったくって走り出すような恰好で、その場から逃げていった。

 ノトの背が遠くなるころ、ファノンはみずからの両手のひらを前にかざした。

「……どうなってんだよ、俺の体……」

「ファノン、今のはいったい」

 メイがおずおずと、ファノンの横にきて、その顔をのぞきこもうとした。

「近寄るなメイ!」

 ファノンはまるで醜いものを隠すように、メイから身をのがして、背を向けた。

「ファノン……」

「近寄ると、お前までケガをする!」

「おいファノン、私は」

「たのむ、お前まで傷つけたくないんだ」

 ファノンは顔をそむけたまま、全力で走っていった。

「待てよファノン!」

 メイには、去りゆくファノンの背に、その言葉しかぶつけられなかった。

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