ファノンが喪服を着替え、いつもの麻の長袖に服装をかえて家を出た直後だった。
「クリルの預かり子、ファノンだな」
玄関先で控えていた小男が、やぶからぼうに、言葉を投げつけてきた。
話しかけるタイミングからして、ずっとここで自分を待っていたのだろう、とファノンは悟った。
「誰だよお前」
「あの女……クリルはどこへいった。あいつに話したいことが」
「イヤ、だから誰だよお前」
「俺はノト。自警団長の弟だ。クリルの居場所を。いいか、自警団長の弟だぞ」
「知らない」
ファノンは首を振りながら、この数度の会話で、ノトのことを、話の通じにくそうな奴だな、と評していた。
「勉強のことでわからないことでもあって、あいつにききたいのか?」
「俺は学生じゃない!」
ノトはにわかに
ファノンは別に皮肉をこめたつもりで、たずねたわけではない。
指摘されずとも、ノトが学生でないことはわかっている。
二十歳で死ぬことから、セントデルタの人々の学生期間はほとんどない。
12歳になるとセントデルタの人々は学校を卒業し、おのおの仕事を始めないとならないのだ。
だが人生があまりにも短いためだろうか、好学の徒はたいへんセントデルタには多く、10代後半の人物でも、クリルの博学をたよって家の扉をくぐりにくる。
ファノンは、そういう意味で言ったのだろう、と予測して答えたのだが、どうやら相手のコンプレックスを逆なでしたようだった。
ノトはたいへん背が低く、150センチもないだろう。おそらく昔から学生だとか子供だとか言われて、からかわれてきたのかもしれない。
ファノンが
「貴様、俺の背の低さをバカにしたな? 俺のことをバカにするってことは、自警団長リッカをバカにするってことだ。謝れ!」
「あ、ああ……すまなかった」
ノトの虎の威を借りた言いように、ファノンは憤然とやりかえしたい衝動に駆られたが、なんとか飲みこんで、小さく頭をさげた。
じっさい、悪いのは自分だから。
「ふん、ならいい」
「……」
「ならば、隠してないで、クリルの居場所を教えろ」
「……は?」
「知ってるんだろう、居場所を教えろと言っている」
「俺が、ウソをついていると?」
ぎりぎりまで耐えていたファノンだったが、最後のその一言で頭をあげた。
ファノンはクリルの居場所は本当に知らなかった。
だから、その言葉を叩きこまれるまでは、愛想笑いでもしてやりこめる気でいたファノンだったが、その気が変わった。
悪いと指摘されれば謝るが、そうでないことには、
と、死んだハノン先生なら言うだろう。
セントデルタ人は短命ゆえか、気が短い。
「なあノト」
「なんだ」
「あれだな、自警団長が身内にいるからといって、身内全員が自警団長になったのをきいたことはない。エノハ様は血縁で自警団長を決めはしない」
「そんなことはわかっている! だが俺は自警団長になるつもりだ!」
「選定基準もエノハ様は気まぐれでやってるふうなのに、どうやってなるんだ? エノハ様の喜ぶことを100回やっても、エノハ様が自警団長にするかはわからないぞ」
「んぐ……それより、クリルの居場所を教えろ。あの女の」
「イヤだね、別に俺とお前は仲が良いわけでもなし。話す義理はない」
ここぞとばかりにファノンは
「貴様、
どうやらノトは下手のつもりだったらしい。
だがここまでくると、ファノンも怒りを抑えられない。
――人間世界はおよそ売り言葉に買い言葉なら、買ってやろうじゃないか。
ファノンは気づいていた。
ファノンの怒りに呼応するように、
本能でわかる。
ファノンの『力』だ。
「――う」
ノトはその瞬間、ファノンが聞いている振動音とは比較にならない高さの音を、聞き分けていた。
強烈な雑音と、そして、全身に帯び始める、熱。
「なんだ……これは」
ノトはみずからの手のひらを眺めたあと、ファノンのほうを見た。
だが、ノトのその視界も、すぐに高熱によってゆがみ始める。
たまらずノトは片膝をつく。
「おい……どうした」
異常を察したファノンが、ノトに駆け寄った。
──こいつのこの様子……まさか、引き起こしてるのは俺か?
──バカな。俺は力を人に向けるつもりなんて、ないんだぞ。
──ましてやクリルに言われてるんだ。
──この力は不幸にする力だから、使うな、と。
この不気味な体験は、ノトにも誰によって引き起こされたものか、およそ想像できていた。
ファノンが何か異端の力を使うことはセントデルタでは有名だが、ノトが聞いている話では、虫メガネと同じように、せいぜい黒い紙に煙をまぶすていど。
「バカな。こいつは幼稚な奇術しかできないはず……きさま、この熱を止めろ……」
ノトは体の表面に……いや、体内にも、どんどん熱が湧き出してくるのを感じていた。
そしてそれは、みるみる耐えがたいほどの熱さになっていく。
とくに、水分が多くつどう場所。
眼球、胃、そして当然、血管すべて──
「く、あ、熱……!」
ノトは両膝をついたまま、体を抱きしめるが、熱の襲来がやむことはない。
ファノンもファノンで、普段と自分の力のようすが違うことに気づいていた。
だがそれでもファノンは、この力を止められずにいた。
こんな力が出たことは、つい数日まで、一度もなかった。
「ファノン! やめろ!」
ふいに、ファノンの右耳から声が飛びこんできた。
ファノンがそちらへ振り向くと、メイが顔を青くしてファノンのほうを見ていた。
ファノン同様、葬式終わりにラフなポンチョ状の服に着替えたメイが、外出とばかりに玄関の扉を開けたところ、この凶行に出くわし、思わず声を張り上げたのだ(とはいえメイには、いつもの静かな住宅地に、苦悶の顔をして
「メイ……」
ファノンが意識をメイのほうを向けたとたん、自分の中の『力』もまた、ノトから意識をそらしたのを感じた。
そこでようやくノトはあえぐように大きく息をもらし、鎖の
「ガハっ! うっ、グッ……くっそ……何だ今のは……くそ!」
ノトは憎々しげに片膝をつきながら、ファノンを見上げていた。
「きさま……この殺人マシンめ。ウソの噂をでっち上げていたな? こんな能力があったなど、聞いていないぞ」
「違う、俺は」
ファノンはそう自己弁護するが、それは
ファノンを落ち込ませたのは、それだけでない。
あの炎に包まれた森で、クリルと交わした約束。
──もうあの力は使わないで。あの力はあなたを孤独にする。孤立させる力……。
クリルに固く誓ったはずなのに、それは激しい怒りのままに破り捨てられたのである。
当人に、それをやぶる気がなかったとしても、だ。
いずれ、この話はクリルにも届く。
──そんな時、俺はどんな表情をして、どんな言葉を言えばいいのだろう。
ファノンにはその事実が、もっとも自分の心を打ちのめしたのである。
「これをどう言い訳する。貴様は化け物だ」
ノトは立ち上がると、前のめりになりながら、まるで何かをひったくって走り出すような恰好で、その場から逃げていった。
ノトの背が遠くなるころ、ファノンはみずからの両手のひらを前にかざした。
「……どうなってんだよ、俺の体……」
「ファノン、今のはいったい」
メイがおずおずと、ファノンの横にきて、その顔をのぞきこもうとした。
「近寄るなメイ!」
ファノンはまるで醜いものを隠すように、メイから身をのがして、背を向けた。
「ファノン……」
「近寄ると、お前までケガをする!」
「おいファノン、私は」
「たのむ、お前まで傷つけたくないんだ」
ファノンは顔をそむけたまま、全力で走っていった。
「待てよファノン!」
メイには、去りゆくファノンの背に、その言葉しかぶつけられなかった。