2日後の昼間。
その日もまた、
「はーい……リッカさん?」
メイが玄関の扉を開けると、そこには自警団長のリッカが、傘もささずに立っていた。
その表情は固く神妙で、何か良くない感情を腹に蓄えていることが、ひと目にわかる顔色だった。
「ファノンはいる?」
リッカはあいさつも何もなしに、とつぜん用件だけをメイに告げた。
メイは歯科医の仕事をしてきた経験上から、こういう顔色で、こういう態度で言葉を切り出される場合……次にどうなるのか、すぐに想像がついた。
この表情の人間は、『ほぼ間違いなく』メイにクレームをぶつけてきたのである。
ただし今回、リッカが言いそうなことで思いつくのは、ただ一つ。
すなわち、ファノンのことである。
リッカが尋ねるであろう質問で、メイはこれからファノンの身に良くないことが起こることを、敏感に感じ取っていた。
「ファノン……ですか?」
けげんに眉をひそめながらも、メイはリッカのいでたちを観察する。
リッカは腰にエメラルドのナイフを
さらに、扉の陰に、エメラルドの槍も忍ぶように置かれていたのである。
「ファノンに何か用なんですか? リッカさん」
「……ここにいるの? いないなら、どこに行ったの? いつ帰るの? いま、何をしているの?」
リッカはくどいほどの質問の波を浴びせてきた。
その問いを発したときのリッカの表情に、メイはさらに
――これ……ファノンと会わせちゃ、いけない。
「どうしたんですか? ファノンが何かしたんですか?」
「それは言えない。ともかく、ファノンを出して。ここにいるの?」
「さあ……わかりません。ここ最近、あいつ、家に帰ってないんです」
「そう……」
リッカが目を伏せたかと思ったが……それは一瞬だけのことだった。
リッカが腰の牛皮シースにさしていたエメラルドのナイフを、まるでトランプのカードでも引っ張り出すように軽々と、モーションもなく抜き出してから、ろくに反射行動も起こせないメイの首に当てて、壁に叩きつけてきたのである。
「あうっ!」
首をねじあげられるメイは、小さくうめくしかできなかった。
「ちょっ……リッカさ……苦し……!」
「メイ、正直に答えてちょうだい。ファノンは……どこにいるの」
リッカがメイの首に当てているナイフを、さらに強く押しつけた。
刃ではなく、平の部分で押さえつけているから切れたりはしないが、そのぶん首への圧迫感は増す。
これではしゃべるどころか、呼吸もできないことは、リッカにもわかっている。
そこでリッカは素早くメイの足を払い、床に倒すと、あらかじめ腰にさげていた荒縄を、うつ伏せに倒れるメイの両手に用いて、そのまま縛り上げてしまった。
「や……っ! 何するの、やめて!」
メイは残った両脚をバタつかせたが、それもリッカにつかまれ、もう一本残った荒縄で戒められてしまった。
リッカはそのまま、うつ伏せのメイに
「な……何を考えてるんですか、リッカさん! こんな横暴、エノハ様が許しませんよ」
「エノハ様だって何も言えんよ。これは自警団長の……独断だもの」
リッカは冷たく言い放つ。
「もう一度、尋ねるわ。ファノンは、どこに、いるの?」
「いません……ここには。あなたのところには、二度とだって、あいつは現れたり、させません。
ファノンを殺す気なんでしょう? 何でですか。
あいつが、あなたに何をしたんですか。あいつはあなたを、セントデルタのみんなを守った。あなたこそ、あいつを守ってあげるべきでしょ。何なのこれは」
「言う気はないのね、メイ」
「私は……これでもセントデルタの町長です。自警団長が何と言おうと、私は人々を守る義務がある」
メイの
死にたくない、傷つけられたくない、苦しいのもイヤだ。
それでも反論できたのは……メイの意地だけではない。
その意地以外の『何か』とは、何なのかを、メイはわかっている。
ファノンの危機にだけ反応する、その心の動き。
だがメイは終生、それに名前を与えることはなかった。
「リッカさん……いえ、リッカ、あなたなんかに、ファノンは殺させない」
「あたしはファノンを殺す気はない。ただ、ここからいなくなって欲しいだけ」
「それって追放でしょう? 人が人から離されて、セントデルタ外の放射線だらけの大地に放り出されて、生きていけるわけがないでしょう。あなたはこれから、人殺しをするんですよ」
「……メイ、黙りなさい」
リッカの声が、半音下がった。
「あなたのやることは、フォーハードのやることと変わらない。人の美点以外は認めないなんて……フタをするなんて……それ以外は人間の性ではないなんて……フォーハードと何も変わらない」
「黙りなさい!」
リッカはメイの首に当てているナイフを、ふたたび平から刀身に切り替えた。
メイの首から一筋の血が流れる。
「私、知ってるんですよ……あなたがクリルさんから、次代の女神になれと言われてること。
あなたの優しさがあれば、セントデルタはより良いものになる。クリルさんはそれを信じてたのに」
「あんな力を持つ子が……いや、フォーハードとファノンが同時に現れなければ、あたしだってこんなことはしなかった。
あの力はぶつかりあわせちゃいけない。
あたしだけが、それをさせない権力がある。それを行使する義務がある。
協力してくれないのなら……あんただって!」
リッカはメイの首にかけているナイフを、刀身をつけたまま、強く押し当てた。
すでに切り裂かれた傷口に、みるみる、エメラルドのナイフは埋まっていき、やがてそれは、メイの
「リッカ」
リッカの頭上から、男の声がかかった。
ファノンのものだった。
「俺はここだ」
ファノンは二階の手すりを握り、リッカを睨み下ろしていた。
「ファ……ファノン……! このバカ、出てくるなよ! 私さえ耐えてれば、どうにでもなったのに……なぜ出てきた!」
「もういいんだ、メイ。これ以上、誰かが俺のために傷つくのは耐えられない」
「ファノン……この……バカ野郎」
「ファノン……やっぱりここにいたんだね。逃げればよかったのに」
リッカがメイの首からナイフを離し、立ち上がると、階段に立つファノンをにらんだ。
「もういいだろう。あんたに付いていくよ。この場所じゃダメなんだろ? どこに行けばいい」
「ファノン……ダメだ! ファノン!!」
メイは声の限りさけんだ。
ファノンやリッカを圧するためというよりは、近所に聞こえるように。
情けないが……もはやメイにできることは、少しでも第三者に、リッカの凶行の
「大丈夫さ……リッカは人殺しなんかしない。安心してくれ」
ファノンはまるで病み上がりのように、小さくつぶやくと、自分はさっさと玄関のほうに歩いて行ってしまった。
「……」
リッカもまた、黙ってファノンに付き添った。
そして、メイだけが、縛られたまま、冷たい廊下に打ち捨てられた。
――バカ野郎……!
「リッカさんが殺さない、だと……? そんなわけ、あるもんかよ……ファノン。リッカさんは、セントデルタへの愛ゆえに……みんなを愛するゆえに……その条件さえあれば、誰だって殺す人だろうが……だから自警団長に選ばれたんだよ。わからないわけ、ないだろ、お前がそれを……!」