95.獅子のごとく

 ポワワワンの川を超えると、うっそうとしたゴドラハンの森に抜けられる。

 500年前の建築物が遺跡として、木々に侵食されながら、朽ちながら、腐りながらも、まだわずかに文明を忍ばせて残る場所。

 ここは他のセントデルタ外と同様、放射能汚染されている場所ゆえに、エノハから早くから禁忌きんきの地として指定されていた。

 ただ、なぜこの森を、堕落だらくの王ゴドラハンの名を冠した呼び方をするのかは、誰もわからない。

 そのゴドラハンの森に入ってすぐにある、もとは何かの広場だった石畳の上で、ファノンとリッカはにらみ合うようにして向き合っていた。

「なぜ、セントデルタから、出ていかないの」

 そこに到着して5秒と経たないうちに、リッカはそう切り出した。

 リッカがここにファノンを連れてきた理由とは、以下によるものである。

 今のゴドラハンの森には、ツチグモの襲来による被害をおそれて、エノハは警備隊を出さなくなっていた。

 3、4人よこす程度では、ツチグモと遭遇そうぐうした場合、戦うどころか、逃げることさえ不可能だからだ。

 エノハのアレキサンドライトの塔には監視カメラが設置されてはいるが、森の中のこととなると、ツチグモのような巨体が歩いていない限り、ほとんど使える場面はない。

 つまり、この森でいま、誰が何をしようとも、誰にも気づかれることはないのである。

 ファノンがここで失踪しっそうしようとも――あるいは、殺されようとも。

「……」

「ヨイテッツが命を張ったことで、セントデルタの人々に、フォーハードと断固として戦う空気がでてる。だけど、空気や団結心だけでフォーハードと戦えるわけはない。

 それは歴史も証明してる……このセントデルタの前の国でも団結心を唱えて、竹槍を訓練して決戦に備えたことがあったらしいけど、じっさいに敵が来たときには、高度1万メートルからの爆撃機だった。

 彼らがやろうとしてるのは、その竹槍と同じよ。それだけ、あいつとは武力が違うんよ。

 でもこのままじゃ、みんなはフォーハードと戦うことを選ぶでしょうね。

 その結びつきがあるからこそ、これから、たくさんの人が闇に帰ることになる。殺されることになる――すべては、あんたが起因してるんだよ」

「俺がここからいなくなっても、フォーハードはセントデルタ人を利用するのに使うよ。彼らの命を、まるで袋の中のエサのようにばらまいて、俺を誘い出すのにな」

「あんたを守ろうとして死ぬ人間は、確実に減るわ。あんたじゃ、フォーハードにはかなわない」

「だから、俺の追放をダシに、フォーハードに取り入るつもりか?」

「あいつに天国を見せてやれば……あいつを歓待し、美服美食おりまぜて、必要なら女だってあてがって……あいつの爪を切って、牙を抜いて毒を出して、そうすればフォーハードもセントデルタの破壊を思いとどまるかもしれない」

「500年前は、たくさんの人がいた。90億だっけか。その中には、フォーハードと戦うのに、そういう懐柔かいじゅう戦術をやろうとした奴もいたと思うけどな。おそらく、あんたがやろうとしてることの100倍とか1000倍の規模で、やった奴もいたことだろう。

 それが通じなかったから、いまあいつは、ここで俺たちを苦しめてるんだよ」

「それでもあたしは、そっちに賭けたいんよ。

 弓矢一本でクマは倒せない。仕留めそこねたクマは必ず、怒りを持って、血走った目で、殺意を込めて、弓矢を放った人間を殺しにかかる。自分の脚を刺したイモムシが、逃げ場のない土の上でもがいてたら、人間のほうは怒りとともにトドメを刺すのと同じことなんよ。

 あいつを中途半端に攻撃したりして刺激しちゃ、ダメ。フォーハードと戦っちゃ、いけないの。あんたの力は、必要ないの」

「――俺は奴隷として100年を生きるより、獅子として1日を生きたい

 リッカの気迫にファノンは気おくれすることもなく、ぼそりと、ただし強い口調で返した。

「ファノン、あんた……」

「なんてな。ヨイテッツ親方の葬式の時、ゴンゲン親方が言ってた言葉だよ。あの人、ヘコんだら普通の名言を引き出すからな。

 誰が言った言葉かは知らないけど、まるで俺の気持ちを当てられたみたいな気分になった」

「ここへきて引用? 人の言葉に逃げないでよ」

「悪かったな。だけど、俺はあんたの意見に反対だ。

 1000歩譲って、あんたの策が実を結んだとしよう。

 そうなれば、これから生まれる連中が、これからずっと、ただの大量殺戮さつりく者に頭を下げなきゃ生きられない世界になるってことだ。

 そんなものを永続させる下地を、俺たちで作るなんて、ゴメンこうむるね。俺たちはもっと努力することがあるはずだ――俺が生きている今だけが、フォーハードと戦える最後のチャンスなんだ……」

「ファノン!」

 ファノンが言い終わる前に、リッカが動いた。

 その手に、先ほどメイを脅迫きょうはくするのに使った、エメラルドのナイフを握って。

 リッカはわずかのためらいもなく、ファノンの心臓を突いてきたのである。

 丸腰のファノンに、それをかわす術はない。

 だが、心臓に届く前に、ナイフはまるで泡のように根元まで消滅した。

 ファノンのヘリウム化の術である。

「くっ……あんた……ここまで力を使いこなして……」

 リッカは刀身を失ったナイフを見つめたあと、ファノンをにらみつけたが、ファノンのほうは、ここに来た時からずっと調子は変わらなかった。

「リッカ……俺を、生きさせてくれ」

「……! 化け物が、人間の言葉を吐くんじゃないよ!」

「!!」

 その言葉に、初めてファノンの顔色に動揺があらわれた。

 ほんらい心の機微に敏感なリッカが、こんなことを口走った理由。

 リッカはファノンの、もう一つの超弦の力の弱点を、見抜いていたのである。

 たしかに超弦の力は、憎しみの力がなくても、ある程度は振るうことができる。

 正面からやりあえば、ファノンの超弦の力が、かくじつに邪魔してくるのだ。

 だが、それがほんの一時的に使えなくなるタイミングがある。

 ひとつは憎悪ぞうおの念を萎縮いしゅくさせるほどに恐怖させることだが……それ以外に方法があることを、リッカは気づいていたのである。

 それこそが、ファノンが心を凍結させるほどに気にしている言葉をぶつけることだった。

 化け物、というキーワード。

 ファノンが、人と違うことを気に病んでいることは、リッカはたやすく想像できていた。

 リッカはその癒えない傷を、えぐったのである。

 リッカの目論見どおり、あきらかにファノンは、呆然と、いや、愕然がくぜんとして固まっていた。

 そんなファノンの首に向けて、リッカは渾身こんしんの力をこめて、エメラルドの槍を振りかぶり、一瞬のためらいもなく、全力で、思い切り突きこんだ。

 ファノンに、反応するそぶりはない。

 だから、槍はいっさいの滞りもなく、ファノンの命を奪う……はずだった。

 だがその切っ先は、にわかに横から現れた、ダイヤモンドの槍によって、横にそらされた。

 リッカのエメラルドの槍は、たんに空をかすめただけとなったのである。

「……一番見られたくない人に見つかったよ」

 槍の一撃を妨げた人物に、リッカは自虐的に笑いかけながら呼びかけた。

「――クリル……!」

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