96.姦計

『英雄ノト様

 いま、あなたは苦しんでいらっしゃることと存じます。

 ですが、それは一時的なものなのです。

 あなたこそ間違いなく、世界の救い手。

 あともう少し、この苦しみという名の鉱脈を掘り進めば、あなたはその手に、栄誉という名の金塊を発掘することになるでしょう。

 自警団長の弟として、もっとも名声と権力と……そして神に近い人物として、あなたは今こそ、元来の求心力を発揮する時なのです。

 まずは姉のリッカ様に頼られるといいでしょう。

 あの方に、あなたの心からの言葉を用いて、ファノンの暗殺をお願いするのです。

 説得が不安? その心配は無用です。

 あの方もファノンをここに留めることを、快く思わない方。

 あなたがお思いのことを、すでにお姉さまも感じておいでです。あの方が行動しないのは、迷っているだけだからです。

 最後の決断を、ほかならぬ、あなたが代わりにして差し上げるのです。

 そして姉弟で手を結び、悪の権化ごんげファノンを倒すのです。

 一つ、懸案けあんがあります。

 ファノンの同居人クリルが、邪魔をするかもしれない、ということです。

 あの者が邪魔をすれば、あなた一人では勝ち目はないでしょう。

 あの者にはお姉さまをお当てなさい、きっと何とかしてくれるから。

 二人には、ゴドラハンの森あたりで話し合ってもらうのがいいでしょう。

 ファノンをそこへ連れ出すための具体策も、ここに記しましょう。

 お姉さまにまず、こう告げるのです。『ファノンの力は日に日に強くなり、いつセントデルタを破壊してもおかしくはない』と。

 『もう一日の猶予ゆうよもない、すぐにでもファノンを殺さない限り、われわれは絶滅動物の仲間入りとなる。それを防ぐスイッチは、あなたしか持たないのです』と。

 きっとお姉さまは、実行する最中にもためらうことでしょう。ですから、ファノンの殺害を、誰にもわからない場所で行うよう、助言して差し上げるのです。

 お優しいお姉さまは、それでも、ファノンの追放さえ果たせれば、それで良いと考えられるかもしれません。

 ですが、それではダメなのです。

 ファノンに必要なのは闇への帰命きみょう

 ですが、あの方はえある自警団長。あの方の手を汚すことは、あなたも本意ではないでしょう。

 もしも愛するお姉さまがファノンを殺害した、と人々に知れてしまえば、たちまちセントデルタの不和となるでしょう。

 そして、最悪のパターンの想定もしなくてはなりません――そう、ファノンが、お姉さまを逆に殺してしまうパターンです。

 あなたが気をつけるべきは、まさにこの二点。

 防げるのは、あなただけです。

 お姉さまのために、あなたにも行動してもらわなくてはなりません。

 他ならぬ、お姉さまのために。

 そしてあなたがやるべきことですが……(このあたりの文字は、ちぎれていて読めなかった) 』

 30分前。

 クリルがこのメモを見つけたのは、リッカとノトの家のドア前でだった。

 ガラス棒にインクを塗って書いたような、神経質にとがった文字。

 これにクリルは心当たりがあった。

「フォーハードの筆跡ひっせき……これ、罠だ」

 クリルは苦々しく、つぶやいた。

「フォーハードのやつ、何かたくらんでる。このメモはわざと置かれたもの。フォーハードが次元の力で、きっとここにワープさせたんだ……あたしがここに来ることを見越して……」

 ――フォーハードの罠はいつも、相手が罠だとわかっていても、そこに飛び込まざるを得ない構造になっている……。

 ――あたしとリッカをぶつけて、どうするつもりなの?

 ――メモは破られてたけど、そっちには、何が書いてあったの?

 クリルは、イヤな予感を禁じえなかった。

 だが、ファノンに関わることなら、行かないわけにもいかない。

 知りながらも、フォーハードの吐き出した蜘蛛くもの糸に飛び込まざるを得ない嫌悪感。

 そこまで判明しながらも、行かなくてはならない不安感。

 そう、まさにクリルは不安をおぼえていたのである。

 だがその不安はあえて考えないようにして、クリルはこうつぶやいた。

「待ってて、ファノン……絶対に、助けてあげるから」

 クリルはメモをくしゃりと握りつぶし、ルビー・ガーネット通りに捨てると、さっときびすを返し、森の方へ走り出していった……。

 もしも。

 ――もしもクリルが、ちぎれていない完全な文章を読めていたら……クリルはこれから、血塗られた運命に飲み込まれることはなかっただろう。(そうなると、かわりにファノンが、リッカの槍で喉を切り裂かれて死んでいたが)

 このことが、ゴドラハンの森にいる数人の――あるいはこの宇宙の運命を左右に分けたのである。

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