「それにしても、どうしてここが……いや……それはいいわ」
リッカは首を振ったあと、クリルをもう一度見た。
「あたしを止めに来たのね? クリル」
「リッカ……一度しか聞かないわ。これはいったい、何の真似」
クリルはダイヤモンドの槍で、リッカのエメラルドの槍を下に抑えながら、肩をぶつけ合うようにして顔を近づけ、
「……クリル……それは……うっ」
リッカは自警団のトップとして、エノハの名代として、威厳と尊厳を保ちながら、努めて平静を装って答えようとしたが、そこで喉を鳴らして絶句してしまった。
クリルの表情は暗く沈み、あきらかに友人を見る視線ではなかったからである。
――そう、クリルの顔はまさに、先日の食人鬼ノエムの頭に、ナイフを足で突き入れるときの表情と、同じだったのだ。
「あなたは選んだんだね。あたしじゃなく、エノハを。ファノンじゃなく、フォーハードを。未来じゃなく、過去を。
あなたこそ、エノハを超える存在になれると思ってた。でもそれは、あたしの白昼夢に過ぎなかった」
「クリル……あたしはやっぱり、ファノンを許容することはできない。おかしいよ。たった二人の人間に、あたしたちの行く末が決められるなんて。
あたしは振るうよ。自警団長としての
「それはあなたの言葉? それとも……ノトの言葉?」
「あんた……どこまで知ってるの?」
「あなたは利用されてる。弟ではなく、フォーハードに」
「フォーハード……? あいつがファノンを殺そうとするわけないじゃない。あたしを迷わせようったって、そうはいかないよ、クリル」
「迷わせるだなんて……心外だわ。ここまで来たら、もう、あたしの言葉さえ信じない気ね」
「それにね、クリル」
リッカはクリルの言葉を
「たしかにここに来るのは、ノトのひと押しがあったから。でも、この思いは、あたし自身のものだよ」
「リッカ……」
「決着をつけよう、クリル。セントデルタは、生き残ったほうが守る」
リッカはまるで、別れのセリフでも吐くような語感をほのめかしながら、握る槍に力をこめて、つばぜり合いを重ねていたクリルの槍を押し出してきた。
腕力ではリッカに劣るクリルは、少しずつ槍を引き、やがて、たまらずにクリルはうしろに飛びすさった。
「リッカ…………わかってるよね。あたし、ファノンを守るためだったら、誰だって手にかけられるって」
クリルは吐き捨てるように宣告した。
「……っ」
一方、クリルたちの取っている臨戦態勢を、ファノンは横で傍観することしかできずにいた。
両者が、ファノンのしゃしゃりでることを、許さない空気を
「クリル……」
「ファノン、聞いて。リッカはあたしが倒す。それがあたしのケジメ。それよりも……フォーハードがあたしと、あなたを掛け合わせて、何かを企んでる。どうもこの件にはフォーハードと、ノトが絡んでるみたい。気をつけてて。いきなりツチグモのレーザーが飛んでくるかもしれない」
「……わかった」
首肯するファノンだが、これは心配していなかった。
今のファノンなら、たとえ見えない場所からツチグモがレーザーを撃とうとも、自分だけでなくクリルの周りにガンマ線化のバリアを張ることができる。
これに使う超弦のエネルギーは、今のファノンにとっては微々たるもので、たとえるなら、目の前のコップをつまみ続けるのと同等である。
その程度のエネルギー消費なので、ファノンには、目の前で繰り広げられる戦いを鎮圧するため、リッカの槍だけを気化させる余力もあるが――そんなことをすれば、おそらくクリルは一生、ファノンを許さないだろう。
――ここからはもう、二人だけの戦いだ。
そこまで了解できるファノンは、もはや何も口を挟まなかった。
フォーハードに狙われるまでは、他人のそんな心の機微を理解できなかったファノンだったが、さまざまな危機に見舞われる過程で……いろんな人を失う過程で、自らの力や心を真面目に見つめるようになったのだ。
だが、それが実を結び、好きな人を守るほどに怜悧に研ぎすまされるには、まだ一年はファノンには必要だった。
――つまり、ファノンはこの日、クリルを守れないのである。
後日のファノンなら、この森自体を気化させることで開けた場所にして、どのような奇襲でも対応できるようにしただろう。
だが、ファノンはこのとき、森の中を、まだ自警団員が巡回している、と決めつけていた。
フォーハード出現以前は、ゴドラハンの森の見回りは、日常的におこなわれていた業務。
そのため気化の術を使えば、巡回の人々も巻き込む、と思い込んで、使えなかったのだ。
だが実のところ、自警団員はすべて、ツチグモの再度の襲撃によって無駄死にをしないために、エノハによって巡回の禁止を申し渡されていたことを、ファノンは知らなかった。
そんな事実は、少し役所に行くなり、知り合いの自警団員に聞くなりで、前もってわかることなのだが……ファノンはまだ、この時はあまりにも運命に対して後手……いや、受身だったのである。
もし、森の消滅を起こしておけば、運命をへだてる、フォーハードの策もともに消滅させられたはずなのだ。
「クリル!」
先にそう叫んで動いたのは、リッカだった。
まずリッカはエメラルドの槍を、叩き下ろすように、クリルの頭上に振った。
「……っ!」
クリルは素早く槍を上手に持ちながらも、打ち下ろされるリッカの槍から五体を横に滑らせた。
むなしく土を叩いたリッカの槍は、だがすぐにクリルのよけたほうへ槍を横
しかし、もともとクリルはリッカの動きを予想していたのだろう、槍の横薙ぎが来る前から、自らの槍を下にずらし、それを受け止めていた。
クリルは一撃を防いだのち、あたかも時計の針を回すようにして、さっとダイヤの槍をひるがえし、横に払った。
リッカはそれを槍ではじき返したが、その間に武器を腰だめにしたクリルが、動作を感じさせないスピードで突きを放った。
リッカはその槍を、
――この間、まばたきほどの時間である。
「す、すごい」
横で見守るファノンが、手のひらを握りしめた。
あまりに激しい攻防。
――そう、それは、激しすぎた。
ファノン自身、気づいていなかったが、すでにこの時、失策を犯していたのである。
ファノンは集中してその戦いを見守っているあまり、他のことへの意識が薄らいでしまっていたのである。
すなわち、自分のまわりや、クリルたちを守るためのバリアを、このとき、我知らぬまま、ほどいてしまっていたのだ。
超弦の力が発揮できなくなるのは、恐怖を覚えたときと、意識に空白が生じたとき。
ファノンにとっては、自分の『育ての親以上の存在』が、命を賭して戦っているのだから、意識をそこに注がないはずがないのだ。
クリルに親友リッカをぶつける――その状況をこそ、フォーハードは用意したのである。
目の前で起こる強烈なできごとに、思わず見入ってしまう、ファノンの心理状態。
この状況は、リッカほどの手練れにしか生み出すことはできないことも、フォーハードは熟知していた。
フォーハードは不在のまま、そのありさまを生み出すことに、成功していたのである。
「あたしはね、リッカ」
槍を大きく水平にした姿勢のまま、クリルが呟いた。
「あなたこそ、この世界を変えられる人だと信じてた。勇者だと信じてたのに」
「見当違いだったね、クリル。あたしはそんなもんに、なりたくない」
そう言いざま、リッカはクリルに突撃を開始した。
クリルを射程にとらえざま、リッカはクリルの身に、槍が分裂して見えるほどの三段突きを見舞う。
クリルは顔面に来た槍をかわし、残りの二段を、カンカンと槍の持ち手ではじき、そのまま、反撃とばかりにダイヤモンドの槍を持ち上げた。
リッカの上体をすくいあげるような、クリルの槍の一閃。
しかし、その時すでにリッカは身をのけぞらせ、よける態勢に入っていた。
クリルの俊撃はリッカの顎の皮に、ちいさな切れ込みを入れはすれど、それ以上にダメージを与えることもなく、空をかすめるのみだった。
リッカはその姿勢を利用して、バック転してから地面に足をつく。
「……リッカ……っ」
「クリル……っ!」
2人はそこで、槍を構えなおし、お互いの出方をうかがうように、動作を氷のようにとめた――